2013年4月24日のブックマーク (2件)

  • ASSIOMA(アショーマ) » クリエイターになるということ

    今日は色々と考えせられる一日だった。まず目に飛び込んできたのは、ユニクロ柳井会長の「年収100万円も仕方ない」という記事だ。グローバルリズムによって、新興国も先進国も賃金体系をフラットにするというもの。柳井会長によれば、今後グローバル化が進めば年収1億円の人と、年収100万円の層へと二極化が進むという。 「それはグローバル化の問題だ。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」 次に目にしたのは、家入さんの未払いの件に関するホリエモンのコメントだ。 ホ「すごいよね、いまロゴとかだとさネットで頼んだら5000円とか」 家「そうですね、クラウドソーシング的なサービスで」 ホ「5000円とか1万円でやってくれる人

    kagurakanon
    kagurakanon 2013/04/24
    こういう状況だと評価経済という思想も理解できなくもない。非キリスト教文化圏でそれができるかは別として。
  • 「社畜」と「ノマド」の間-適度な「社間距離」の「ノマド風」働き方

    私は20数年前、初めて「社畜」という言葉を聞いた。「社畜」とは、『勤めている会社(営利企業)に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化したサラリーマンの状態を揶揄したもの』(フリー百科事典:ウィキペディア)とある。随分、人を馬鹿にした言葉だと思うが、さすがに近年では、「社畜」と呼ばれるサラリーマンは少ないだろう。 日の高度経済成長期において、私生活を犠牲にしてまで働き続けた「社畜」は、もちろんそれだけのリターンを期待することができた。当時の会社は企業福祉の中で従業員の家庭生活を丸抱えにし、従業員は「社畜」として生きることと引き換えに多くの生活保障を得てきたのだ。それは「御恩と奉公」による戦国時代の主従関係と同じように、互恵関係だったのである。 しかし、今日では企業の終身雇用制が崩れ、従業員に対する企業のシェルター機能は弱まった。そして、従業員と会社の関係は希薄になり、

    「社畜」と「ノマド」の間-適度な「社間距離」の「ノマド風」働き方
    kagurakanon
    kagurakanon 2013/04/24
    万が一に備えて自己愛のリソースは分散しておいた方が無難。