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ブックマーク / kaze-no-katami.hatenablog.jp (213)

  • ただその40分間の為だけに(8) - 風のかたみの日記

    図書室を出たクマは、またいつもの桜並木をバス停に向かっていた。司書教諭との会話に示唆されるところはあったし、なにより初対面の彼女と自然に話が出来た事が嬉しかった。『あんな人が教鞭を執ればいいのに』とも考えたが、それは彼女が言うところの「月の裏側」の部分なのかも知れなかった。 見慣れた道の景色は先週と殆ど変わっていない。それは別段不思議な事ではない。しかし、事物を優しい気持ちで眺めることが出来た日々と今は明らかに何かが違う。 初夏の日差しに輝く新緑、草の香りを運ぶ風、沿道に置かれた色鮮やかな鉢植え。全てがよそよそしく他人行儀な冷たい顔をして自分を拒絶している。クマにはそう思えてならなかった。 『目に映る物すべてがナッパを思い出させる。だがこんな事をいつまでも続けていてはいけない』 クマは充分それを承知していた。しかし、そこから脱却するには更に長い時間が必要な事も事実であった。『唯、このまま無

    ただその40分間の為だけに(8) - 風のかたみの日記
  • ただその40分間の為だけに(7) - 風のかたみの日記

    「クマくん」若い女性司書教諭はそう声を掛けると直ぐに「あなたに悪いニュースがあります」と、まるで外国映画の台詞を直訳したような表現で続けた。しかし、それを聞いたクマは別に嫌な気はせず、それどころか随分洒落た言い方をするな、とさえ思った。 「言わなくても解ると思うけど、君をこのまま図書室に置いておく訳にはいきません」 その言葉にクマは如何にも心外という表情を浮かべて、殊更大袈裟に両手を広げ、ゆっくりと首を横に振る。それこそまるで外国の映画俳優がそうするみたいに。 「私は伝えるべき事は伝えました、件に関し君に拒否権はありません。直ちに3年1組の教室に戻り、現国の授業を受けて下さい」 『この芝居がかった言葉使いは、多分誰かが作ったルールなのだ。だからこの世界では誰もがそのルールを守らなければならない、与えられた台に役者が従うように』 「オーケー、ボス・・・」 そう答えたところでクマは目が覚め

    ただその40分間の為だけに(7) - 風のかたみの日記
  • ただその40分間の為だけに(6) - 風のかたみの日記

    50分間の昼休みが終わり、五時限目の授業開始を告げるチャイムが鳴り始めても、クマは図書室の机の上に広げたレポート用紙の束を前に座ったままだった。 昨夜のナッパとの電話の後、殆ど一睡も出来なかったせいで、彼の両眼はサングラス無しで雪の照り返しを浴びた時のように真っ赤に充血していた。それでも登校したのは、取り敢えずそうする事が気を紛らわす唯一の手段と考えたからだった。 にも拘らず彼は、必修科目である現代国語Ⅲの授業を自主休講にしてまでも、気に障るその忌々しいレポートを読む方を選んだのだった。 すると若い女性の司書教諭が、一人だけ部屋に残っているクマが気になったのか声をかけて来た。「授業はどうしたの」「今日は何もないので自習しています」クマがそう答えると、彼女は学年、クラス、氏名を聴取し手帳に書き込んだ。『後で職員室で調べられるとマズイ事になるかも』とクマは考えたが、『日頃問題行動を起こしている

    ただその40分間の為だけに(6) - 風のかたみの日記
  • ただその40分間の為だけに(4) - 風のかたみの日記

    アグリーとヒナコの誘いを振り切り学校を出たクマは、バス停に向かう途中、彼とは逆方向に移動する若い女性の集団とすれ違った。辺り構わず大声で会話をする彼女達は、上下ともジャージのトレーニングウェアを着用し、髪はボサボサ、運動はかかとを履きつぶしている。 集団の正体は深沢高校に隣接する学生寮に住む女子大生で、クマ達はそのだらしない装いを、学校名から「日体スタイル」と呼び完全に馬鹿にしていた。日体はその名の通り日体育大学のことであり、校舎はすぐ目と鼻の先にあった。 しかしその日のクマは、彼女等には目もくれなかった。 暫くすると深沢八丁目の停留所に渋谷行きのバスが来た。二人は前扉から乗車し定期券を運転手に見せる。座席は空いていなかった。 「私ね、夢を見るのが好きなの。朝起きたらすぐに見たばかりの夢をノートに書いておくの」ナッパは吊革につかまって、流れ去る外の景色を眺めながら唐突にそう言った。その

    ただその40分間の為だけに(4) - 風のかたみの日記
  • ただその40分間の為だけに(3) - 風のかたみの日記

    「イ、ヤ、だ。くどいよ。何でもいいからオレを巻き込むのだけは止めてくれる」いつになくクマは声を荒げた。 5月下旬、デューク・エリントン死去の報が世界を駆け巡っている頃、ジャズとは殆ど縁の無い、それでもミュージシャンの端くれを自認するクマとアグリーの二人は、難しい顔をして3年1組と2組の間の廊下に立っていた。 その少し前、クマが帰ろうとしているとヒナコがやってきて「ねえクマさん、アグリーどんが話があるって」と伝えた。 『用があるなら自分で来ればいいのに』何となく嫌な予感がするクマだったが、3年生になってから出来た数少ない友人であるヒナコの言うことを聞き、脱色ジーンズ地のバッグを肩に掛け廊下に出た。 「待ってて」ひとこと言うと全方位外交のヒナコは、何のためらいもなく2組の教室にズカズカと入り、事も無げにアグリーを連れて出てきた。 「それで、なに」クマが面倒くさそうに口を開く。通常彼は言葉には一

    ただその40分間の為だけに(3) - 風のかたみの日記
  • ただその40分間の為だけに(1) - 風のかたみの日記

    そして1974年4月、僅か11名の部員で春の甲子園に準優勝を果たした徳島県立池田高校野球部への称賛が続く中、クマは唯一人、自分のフィールドで新たな挑戦を開始した。 高校3年になって遅れ馳せながら大学受験に目覚めた彼が先ずした事は、卒業に必要な必修科目だけを選択、それに因り生じる自由裁量の時間を自宅学習にあてる事だった。 「という事はもう放課後学校でギターは弾かないって事かい」クマの決定を聞いた音楽仲間のアグリーやセンヌキを始め、周囲の者たちは一様に驚きはしたが、因数分解位でしか得点が望めない数学と早く縁を切りたいと切望していた彼にとって、それは当然の結論と言えた。 『とにかく現役で大学に合格すること』それがクマが自分に課した目標だった。とは言え、勿論大学ならば何処でも良いという訳ではない。そこまで割り切るならば、受験勉強などせずとも行けるところは幾らでもある。しかし、そのような進学を親が認

    ただその40分間の為だけに(1) - 風のかたみの日記
  • お知らせ - 風のかたみの日記

    今年の5月から6月にかけて、私は「青春浪漫 告別演奏会顛末記」なる小説のような雑文を連載して、自ら己の文才の無さを白日の下に晒し「拙文王」の名を不動のものにした。 実は自分でも忘れていたのだが、その第5回には次のような記述があった。 『・・・ムーはヒナコとかいう1組の女子と一緒にやるとのことであった。 このムーとヒナコ(HIM)二人と、アグリー、クマの四人はグループを組んで、その7か月後、世田谷区民会館のステージ立つことになるが、この物語ではそれには触れない・・・』 これは所謂「続編」もある事を臭わせた心算だったのか。しかしその時は多分、具体的な計画などは無くただ漠とした布石に過ぎなかったと思う。 それでも、時の流れを止める事は出来ない。たとえ物語の中でも登場人物達は歳を重ねている筈である。私は時計の針を進め、彼等のその後を見届ける義務があるのではないか。そんな気がして来たのだ。(かなり都

    お知らせ - 風のかたみの日記
  • つくつく法師の記憶 - 風のかたみの日記

    「夏の終わり」は何故か切なく物悲しい。何となくそんな気がする。それは眩しい日差しが少しずつ薄れてゆくせいなのか。それともやがて訪れる秋を無意識裏に受け止めた為なのか。否、ただ単に一人黄昏ているだけなのか。 ひと口に「夏の終わり」と言っても、その気配を知るきっかけは人それぞれ違うだろう。例えば、人影が途絶えた避暑地。歓声が消えたテニスコート。クラゲが漂う波打ち際。仕舞い忘れたビーチチェア。或いは早朝の空気の澄明感、かも知れない。 しかし、もしそれが蝉時雨であると言ったら、少し変に思われるだろうか。実を言うと私に「夏の終わり」を告げるのは「つくつく法師」の鳴き声なのである。 蝉は早ければ五月頃から鳴き始める。「ハルゼミ」という種らしいが私は聞いた記憶がない。専ら耳にするのは、七月初旬の「ニイニイゼミ」と下旬の「クマゼミ」に「ヒグラシ」、それに八月から加わる「アブラゼミ」の大合唱。但し、どれがど

    つくつく法師の記憶 - 風のかたみの日記
  • ジャポニカ学習帳 - 風のかたみの日記

    このブログに投稿している通り、普段私が撮影している写真は草花の接写が多い。そのせいか知人からは「ジャポニカ学習帳」と揶揄される始末である。 この「ジャポニカ学習帳」とは、ショウワノート(株)が専ら子供向に1970年に販売を開始した歴史のある学習用のノートであり、私もその存在の認識はあったが使った事は一度も無い。尤も既にそれを使う年齢を超えていたとも言える。 さて8月26日、たまたま見ていたニュースで「ジャポニカ学習帳」の見出しが映った。それによれば同学習帳の50周年を記念して「昆虫シリーズ」が復活するという。 すんなり聞き流していたところ、前述の知人から「昆虫が気持ち悪い、という声があって販売を中止していたらしい」との連絡があった。 私はてっきり、またぞろモンスターペアレントなる愚かなクレーマ集団の仕業かと考え、更なる情報を当たってみたが、どうもはっきりしない。取り敢えず2012年から「昆

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  • 季節の花 葉月 (ニ) - 風のかたみの日記

    今週のお題は「暑すぎる」との由。確かに梅雨明け以降、いきなり猛暑日が続き、気象情報等では「命に関わる暑さ」という言葉を用いて熱中症への注意喚起を行っている。 暑さを形容する文言が年々先鋭化しているような気もしないではないが、しかし残念な事に未だに搬送されたり、不幸にも命を落とす人が後を絶たず、8月に於いてその数は、新型コロナウイルスに因る死亡者数より遥かに多いという。しかもマスク着用がリスクを高めるというのも何とも皮肉な話である。 実際のところ屋外に出れば、照りつける強い日差しは正に「肌に刺さる」凶器である事を思い知る。にも拘らずその最中、私は飽きもせず「川口グリーンセンター詣」を続けていた。 それにしても首からカメラを提げてうろつくのはかなりシンドイ。しかもマスクをしている為、息でメガネが曇り、更に暑さで集中力が欠けピントが甘くなる。そして何よりも肝心な被写体の草花が「夏枯れ」で元気が無

    季節の花 葉月 (ニ) - 風のかたみの日記
  • 想い出は帰らない - 風のかたみの日記

    昼過ぎ、南南西の風が厚い雨雲を運んで来た。 一瞬にして空を覆うスコール。昔、パダンのホテルの部屋から眺めた景色に似ていた。 程なく大粒の雨が、風に揺れる街路樹の葉を叩き、行き交う車のライトが、濡れたアスファルトに滲んだ。 あの日も、心を閉ざして、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。そして僕らが愛した優しい日々は、 いつしか物語に似た過去に変わった。 突然の電話のコールが、7回を数えて沈黙した。 ほんの少し間、鼓動と秒針のシンクロが乱れた。 深く息を吸いゆっくりと吐いた。 冷たいレモネードをひと口飲んだ。 やがて雨雲は走り去り、パールモーブの黄昏が辺りを包んだ。 何処か遠く、同じこの空の下、君は今、移ろう季節を、誰と見ているのだろう。 1986年の眩しい夏は終わろうとしていた。 昔作った歌を基に、洒落たショートストーリーを書いてみようと考えたが、残念なことに訳の分からない散文しか出来なかった。そ

    想い出は帰らない - 風のかたみの日記
  • 土曜の朝の風のかたみ - 風のかたみの日記

    最近の土曜の朝は「川口グリーンセンター」へ行き、草花の写真を撮影する事がすっかり習慣になってしまった。個人的趣向で引き続き外を自粛している現在、残された数少ない楽しみのひとつだ。 園内の混雑を避ける為、未だ人の少ない開園時刻に合わせて家を出るが、丁度その時間にはTOKYO FMで「Peace of Mind:土曜の朝のサラ・オレイン」という番組が放送されており、これを聴きながら車を転がしている。 冒頭にリスナーからの「お便り」が紹介され、そこからサラ・オレインがその日のテーマを展開してゆく。しかし漫然と聞いていると、大概の「お便り」はウイットに欠けるショーもない内容ばかりで少々ウンザリしていた。「そろそろ『風のかたみ』の出番かも知れない」、そう思った。 ところで、以前私がこの番組宛てにリクエストを送ったところ採用され、特製マグカップを手に入れた事は既に述べた。 kaze-no-katam

    土曜の朝の風のかたみ - 風のかたみの日記
  • 令和弐年八月拾五日 - 風のかたみの日記

    梅雨明けしたと思ったらいきなり連日の猛暑。とてもでは無いが身体がついて行かない。それでいて8月7日には「立秋」を迎え、暦の上では既に秋になっているのである。これはどう考えても納得しづらい。 それと言うのも、我が国は明治になると西洋と足並みを揃える為、暦をそれまでの太陰太陽暦から太陽暦に改めた。これにより明治5年12月5日は明治6年1月1日と読み替えられ、以後、夏至や冬至などの「二十四節気」、入梅や二百十日などの「雑気」とそれに伴う様々な風習や年中行事は、全て約1ヶ月前倒しになってしまった。「立秋」という言葉の季節感が失われた理由はここにある。 中でも可哀そうなのは織姫と彦星である。来ならば梅雨が明けた現在の8月7日が七夕であったのに、今の7月7日は梅雨の真っ盛り。彼等はこの150年あまり、まともに逢瀬もままならない。さぞかし明治政府を恨んでいることであろう。 さて、それはさておき、今日8

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  • 海に連れてって - 風のかたみの日記

    どうやら今週のお題は「夏うた」という事らしい。毎回「如何に手を抜きブログを更新するか」そればかりを考えている私としては、夏に因んだ歌をYouTubeから引っ張り出して、リンクを貼り付ければ一丁上がり。これを見逃す手は無い。自慢では無いが長く生きている分、古今東西の隠れた名曲にも精通している心算である。 早速取り掛かって適当と思われる候補を5曲ほど見つけ、「これで盆休みはのんびり過ごせる」とすっかり安心していた。 ところがである。「好事魔多し」の諺通り、思いもかけない事が私の身に降りかかった。 8月9日未明、枕元に置いたスマホが勝手に点灯し、メッセージらしきモノを表示した。何と「はてなブログ」で誰かが私をIDコールしているのだ。 確認すると以下の通り。 さえわたる (id:saewataru) 風のかたみ (id:kaze_no_katami) さんからは、「全体を通して打楽器が控えめでは?

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  • 月への尽きない想ひ - 風のかたみの日記

    深夜ふと目が覚めた。見慣れた寝室がいつもより明るく感じられた。よく見ると光はカーテンレール辺りから漏れている。外を確認すべく起き上がり、カーテンを開く。その瞬間、私の眼は光の正体を捉えた。満月! 小学生の時、天体望遠鏡を買って貰った。経緯台の屈折型だったが、フレキシブル・シャフトという縦横微調整可能な機能を備え、子供にしてみれば充分過ぎる立派な代物。 木星のガリレオ衛星は勿論、条件さえ揃えば土星の環を見る事も出来た。そして圧巻は何と言っても夜空で一番大きな天体「月」である。 それまでも写真などで、月の地表=白く輝く山岳部や「海」と呼ばれる黒っぽい平地、そして所構わず無数に空いた大小様々な穴ボコの知識はあった。しかし実際に自分の眼で見るのとは全く違う。時間の経つのも忘れ、いつまでも接眼レンズから目を離す事が出来なかった。 「天文学者になろう」そう考えた時期もあったが、やがてそんな事は忘れてし

    月への尽きない想ひ - 風のかたみの日記
  • 季節の花 葉月 (一) - 風のかたみの日記

    8月1日。朝、カーテンを開くと久方の青空。唯それだけの事で気持ちが晴れる。朝も摂らずカメラ片手に車を走らせる。行き先はいつもの「川口グリーンセンター」。 午前8時40分、開園前の駐車場には既に数台の先客。この時間帯に訪れる人の殆どは重装備のカメラマン達。流石に家族連れは未だいない。 午前9時、検温を済ませ入園。シャッターを切りながら散策、暑い。日焼けを避ける為に着て来た長袖のサマーセーター、堪らず袖をまくり上げる。マスク必須の園内の体感温度は更に上がる。 1時間程で早くも消耗。いつものように誰もいないテラスの日陰で休息。テーブルに置いたスマホの気象情報は、関東甲信越の遅い梅雨明けを伝えていた。 尚、今回もまた撮影した写真を約3分半の動画に纏め、以下の通りYouTubeにアップした。 季節の花(葉月)/風のかたみの日記

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  • 貼り忘れた写真(或いはカナユニ再訪) - 風のかたみの日記

    これまでレストラン・カナユニについて全5回、約12,000文字、凡そ原稿用紙30枚相当を費やし私見を述べた。元原稿から削除した部分や添付写真を含めれば、安易な卒業論文程度の量にはなったと思う。しかし何時もの悪い癖で脇道に逸れ、余計な記述が散見された事も否めない。 これらを書き終えた時は、初めて南青山を訪問してから既に1ヶ月が過ぎ、私は無性にまたカナユニに行きたくなっていた。脱稿記念、未掲載メニューの写真撮影等々、自分を納得させる理由は幾らでもある。私は迷わず予約の電話を入れた。 ということで今回は出来る限り言葉による虚飾を廃し、視覚に訴えてみようと思う。 2018年4月14日夕刻、私はまたカナユニの扉を開ける。笑顔で出迎える横田誠氏に、この店一番の上席ヘ案内される。生演奏を正面に見る中央奥の席だ。 程なくして現地集合のTも到着。先ずは前酒にシェリー、その後シャブリと「漁夫のサラダ」「エス

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  • 新生老舗レストランを南青山に訪た <その5> - 風のかたみの日記

    そしてTはワインを一口飲み漸く「これ、味はいいんだけど、とにかく強烈」と理解不能な言葉を呟いた。早速私も残ったひと欠片を取り皿に乗せ、フォークで更に小さく分けて口に入れた。 これまで随分ブルーチーズをべて来たつもりだったが、これは初めての味。特段臭みや塩分が強いとも思えない。しかし凄まじい程の衝撃が口の中を蔽いつくす。 困惑する私の顔を見てTは笑いながら「初めてチーズに負けた」とまた訳の判らない事を言い、皿に残ったブルーチーズに恨めしそうな視線を送った。これが有名なロックフォール (Roquefort) の味なのかどうか私には判断出来ず、唯Tに向かい苦笑するばかりだった。 しかし年齢と共にイケ図々しさを身に着けてきた私はこんな事ではめげない。幾分の酔いも手伝って、次なる試みは今夜この場所でここにいる者達の注目を集めてみようと思い立った。 手始めは先ず、以前、元赤坂で飲んだ自家製「レモン・

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  • 新生老舗レストランを南青山に訪た <その4> - 風のかたみの日記

    ところで私には気掛かりな点が一つあった。それはかって種々便宜を図ってくれた浅見氏の姿が見えない事だ。私は氏の風貌からてっきりかなりの高齢と思い込んでいて、二年前の閉店を期に引退したのではないかと考えていた。しかしTによれば浅見氏は我々とそれ程歳が変わらない由、ならば再会出来るかも知れないと期待していたからだ。 若干躊躇したが思い切って誠オーナーに訊ねると、現在神楽坂で働いていおり。先だっては客を連れて来てくれたという。何故ここで働いていないのかは兎も角、取り敢えず健在である事だけでも判っで少し安心した。 やがて音も無く散る木の葉ように夜のとばりが周囲を包み始め、漸く客が入店して来た。元来私は他人のプライバシーに立ち入る趣味は持ち合わせていないが、それとなく見ていると中年男性と若い女性のカップル。怪しげな香りがプンプンする。 暫くすると彼等のテーブルに、氷入りのワインクーラーに浸かった赤ワイ

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  • 新生老舗レストランを南青山に訪た <その2> - 風のかたみの日記

    さて、誰を誘って「カナユニ」へ行くか。灰色の脳細胞に真っ先に浮かんだのは大学の同級生二人の顔。我々三人は卒業後も連絡を取り合い、時折会う他に毎年1度、観光&グルメ旅行を実施。北は冬の北海道、南は夏の沖永良部島まで日各地に足を運び、名所旧跡の見学は勿論、美しい景色に息を吞み、思いがけず美味しいべ物に出会う時もあれば、期待に反し大外れした事もあった。 彼等ならばこの「カナユニ」というレストランの価値を認めてくれる確信はあった。しかしよく考えてみると夫々次第に責任ある立場になり、しかもその頃、一人は難病の子供を抱え対応に追われていた為、迂闊に声は掛けられない。世の中には親しいが故に控えなければならない時もある。 次に考えたのは新人教育を一緒に受けた同期入社の中で、特に親しくしていた二人。だが彼等は転勤で東京にはおらず、こちらも諦めざるを得なかった。 そんな時ふと思い出したのが赤坂の貿易会社に

    新生老舗レストランを南青山に訪た <その2> - 風のかたみの日記