2017年10月21日、わたしは池袋の某出版社で打ち合わせをした後、立憲民主党の演説を聞くために新宿まで足を運んでいた。新宿は小雨が降っていて、やや肌寒かったが、路上に長い事いられないような天候でもなかった。 わたしは雑踏に混ざって、だれでもない人間になり、そこに集まった多くのひとびとと一緒に、どこか険の有る表情をした若者たちがそこかしこで演説の手配をする中、壇上に耳を傾けた。 福山哲郎の演説が始まり、わたしは雨を防水フードで遮りながら、そのことばに耳を傾けた。いま、インターネットにはその時の様子がすべて動画であがっている。だがわたしは自分の記憶を優先してその時のことを書いておきたいのだが、福山は、原発事故について当時の与党・民主党議員としての責任を痛感すると苦しいかすれ声でいったあと、途中に息継ぎをいれながら、脱原発という難しい課題について、次のようにいった。 「日本ならできる。日本人な