相手(発言者)の意図を(勝手に)想像しないこと 一つだけ挙げればこれだけだと思います。「言ったこと」以上のものを読み込んで想像するのは各自の勝手とは言え、その自分の想像がいつのまにか根拠になって、執拗に相手に噛み付いていってしまう人をよく見かけます。せめてそれは脳内だけのことにして、「書かれたことだけ」で議論し、意図まで邪推して何か言ってしまうことに謙抑的な人が増えるだけで不毛な議論の半分以上は無くなるでしょう。 二つ目、三つ目を考えるなら 知っていることを伝えるというのは難しいということを認識する 上から目線で…とかいう「態度」(そしてそういう受け取り方)が必要以上に不毛なやり取りを長引かせることもしばしばです。それぞれが知っていること、知らないことなど千差万別なのですから、何も一つこれを知っているからエライの何のという話にはもともとならないはず。聞き手が敏感すぎる場合もありますが、ここ
本城達也 「超常現象の謎解き」運営者。 ハンドルネームは「ウィザード」。 超常現象の調査がライフワーク 若島利和 「懐疑論者の祈り」の運営者。 ハンドルネームは「ワカシム」。 蒲田典弘 「Myth of Roswell Incident」の運営者。 ハンドルネームは「テンカマ」。 ロズウェル事件が大好物 那須野美穂 「気になる資料室」の運営者。 ハンドルネームは「NAZOO」。 若島です。 はじめまして。創立メンバーであり、懐疑論者であるワカシムこと若島です。 初なので自己紹介でも書こうかというところですけれど、プライベートな紹介はここに書いているのでありまして、ちと違うことでも書きましょう。 まあ、なんですよ。私と本城と蒲田は、Yahoo掲示板の科学>オルタナというところに参加していたころからの付き合いで、けっこう長い。 那須野さんはもう少し後ですけど、互い
「知識は正しい方がよい」という話をもうちょっと掘り下げようと思ったら、なぜか懐疑論になってしまったので、先にこっちを投下します。 懐疑主義とは疑うことではない まかり間違って私の文章を読んでいるような人から見ると、世間には「あまりに簡単に信じすぎだ」と思うことが多いかと思います。そういった問題意識があるからこそ、「疑え」という強い主張が出てきます。 そんなわけで、「疑え」というキャッチフレーズは良く使われます。懐疑主義の猛者というより「ニセ科学批判者」という肩書きで有名になってしまった菊池誠さん*1のASCIIの記事も「ASCII.jp:信じるな疑え! 「ニセ科学」批判の菊池教授に聞く (1/3)」でしたし、香山リカさんとの対談本も『信じぬ者は救われる』です。 結果として「疑う事が重要だ」「懐疑主義者は、常識も、そうでないものも疑ってかかる」という印象が強くなり、「疑え」は懐疑という考え方
「水からの伝言」が又、一部で流行っているようです。本当に酷い話です。私はこの話が嫌いです。 どうか、「水からの伝言」の話は止めてください。もう、こんな話は広めないでください! 分かっています。こんな過疎ブログで訴えたところで、何の効果も無いでしょう。でも本当に嫌なんです。 ただ訴えるだけでは伝わらないでしょうから、私が何故こんなにも「水からの伝言」を忌み嫌っているのか、その原因となった出来事をご説明します。 始めはいつだったのでしょう。正確な日時は分かりませんが、遅くとも昨年の夏にはもう始まっていました。私が気付いたあの日、ニュースで甲子園の話題をやっていたのを覚えていますから。 しかし私はあんなにショックだったのに…本当にどうでもよいことばかり覚えているものです。 あの日、気付いたのは朝の4時くらいだったと思います。何かの拍子に夢から覚めたのです。それはあまりに自然で、最初は起きたことに
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