はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
あなたメッセージとわたしメッセージの変形バージョンが、「事実ことば」と「意見ことば」です。事実ことばとは、まるで客観的事実かのように言うことで、この言い方で言われると相手は反発したくなります。一方、意見ことばは主観的意見としていう言い方で、受け入れやすくなります。 例えば上司に「A君さ、顧客リストを確認してクライアントに会うのが当たり前だと思わない? みんなそうしてるよ。これ、常識だよ」といわれるとどうでしょう。なんだか劣った人間のような気持ちになりませんか? 確かにリストを確認してから会うのが当たり前かもしれません。でも上のように言われると、言われた方には逃げ道がなくなってしまいます。そして責められた気持ちになります。 同じ内容を意見ことばとして言うと、こうなります。「A君、僕の考えでは顧客リストを確認してからクライアントに会いにいったほうが、能率がいいと思うんだ。キミはどう思う?」こう
[Alt]+[Tab]や[Alt]+[F4]、そしてもちろん[Ctrl]+[Alt]+[Del]──。それ以外に[Alt]キーは何に使うのだろうか? [Alt]キーを普段から使っているだろうか。案外、なくなってもPCを使うのに大きな支障はないキーなのだが、それだけにうまく使えば意外な効果が期待できる。 [Alt]キーを押しながら[Enter]でプロパティ ファイルの「プロパティ」を見るときにどんな操作をしているだろうか。多くは、右クリックして「プロパティ」を選択? それともエクスプローラメニューのファイルから「プロパティ」を選ぶ? ファイルを選択して、[Alt]キーを押しながら[Enter]を押すと、プロパティが表示される。もちろん[Alt]キーを押しながらマウスでダブルクリックしてもいい。 案外知られていないが、ファイル操作を劇的に早く、確実にしてくれる。 [Alt]キーを押しながら[E
2006年12月24日20:30 カテゴリ Art for your own sake なんで私がPerlを愛用している理由は、実はこれなのです。 創造的労働者の悲哀 (内田樹の研究室) 久しく労働は(主観的には楽しくても、制度的には)義務であり苦役であった。 しかし今、労働は創造となった。 そのせいで仕事をする人々はその定義上、仕事をつうじて絶えず自己実現の愉悦と満足にうちふるえていなければならなくなった。 Shiro「創造」や「芸術」といったものが、相変わらず、ひどく誤解されていることが 不幸の元であるのかもしれない。三木清が言うように、岡本太郎が言うように、 芸術は生活の中にあるものではなかったか。 それは生活を楽しむ技術(三木)であり、自由を取り戻す手段(岡本)ではなかったか。 Perl を使っていて、というより Perl Community に身を置いていて嬉しいのは、この「創造
慶應義塾大学と共立薬大が 2008 年度に合併する。関西学院大学と聖和大学の合併に続いて、二件目である。 毎日新聞の社説はこのニュースにこうコメントしている。 「来年度は大学・短大志望者が総定員に収まる『大学全入時代』。既に定員割れを起こす大学が相次ぐ中で、今回の合併劇は統合・淘汰の時代の始まりを示唆する。」 この状況判断はその通りである。 しかし、統合・淘汰を手放しで「市場の論理」として受け容れるべきではない。 そのことはこれまでも繰り返し申し上げてきた。 毎日新聞の社説もその点については留保をしているが、私の見解とはいささいかの「ずれ」がある。 社説はこう続く。 「こんな時代になったのは、少子化が進んだためだけではないのだ。大学教育の『質の低下』という積年の、本質的な問題がある。(…) 経済成長や基準緩和の中で増え続けた大学(06 年度学校基本調査で、国立87校、公立89,私立568)
教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。 安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。 「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日本はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」 私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。 しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。 法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。 それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。 愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。 私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。 日本人はもっと日本の国
むかしむかし、管理教育華やかなりし頃のこと。とある学校での話。 素行が落ち着かない男子生徒のしつけを効率的に行うために、クラスで「点数制」が敷かれました。最初の持ち点は10点で、廊下を走ったりするとマイナス1点、忘れ物もマイナス1点、けんかはマイナス3点といった感じで持ち点を減らしていきます。で、ゼロになると親を呼び出されて説教されるという仕組み。 点数をつけるのが先生ではなくて同じクラスの女子だというあたりがなんとも時代がかっていますが、My Revolution が売れていた時代でもありましたので、運用1週間にして生徒の静かな拒否運動の末にこの仕組みは崩壊。思い出だけが残りました。 今日紹介するのはこんなネガティブな点数制ではなく、ProBlogger で紹介されていた、「点数制でブログのモメンタムを維持する」というポジティブなものです。 仮想的な点数で仕事の大小に重み付け ブログの維
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