サイクルプラス「あしたのプラットホーム」
カール・ユーハイム(1886〜1945)は、木の年輪をかたどったドイツ菓子バウムクーヘンを日本に伝えたドイツ人。老舗洋菓子メーカー「ユーハイム」(神戸市)の創業者だ。 株式会社ユーハイム提供/ 今から75年前、1945年8月14日の夕方6時前。神戸・六甲山上のホテルの一室で、ある菓子職人が59年間の生涯を静かに終えた。 「私は死にます……けれど、平和はすぐ来ます」 大きな安楽イスに埋まるように座っていた彼が、息を引き取る直前、妻に伝えた言葉だ。 まるで神のお告げを伝えるような、荘重かつ静かな口調だったという。 職人の名はカール・ユーハイム。木の年輪をかたどったドイツ菓子バウムクーヘンを日本に伝えたドイツ人で、老舗洋菓子メーカー「ユーハイム」(神戸市)の創業者だ。 2度の世界大戦と大震災——歴史の荒波に翻弄されても、職人たちは古きよきドイツ菓子の伝統を守り、安心・安全の菓子づくりを継承してき
桜花(おうか)。日本軍が戦争中に開発した「特殊滑空機」。機首部に大型徹甲爆弾を装着、加速用のロケットを3本搭載してグライダーのように滑空する。着陸装置は持たず、飛行士が自ら操縦して目標を攻撃(体当たり)するための、いわゆる特攻兵器である。桜花11型は戦争末期に755機が生産され、55機が出撃。 離陸機能はなく、大型爆撃機に吊り下げて目標近くまで誘導する必要があった。しかし母機の一式陸攻(設計搭載量800kg)にとって2140kgの桜花は完全にオーバーウェイト。鈍重な爆撃機は相手の戦闘機にとって、もはや格好の標的でしかなかった。実際、初陣となる1945年3月21日の作戦では、部隊は敵のレーダーに補足されたちまちF6Fヘルキャットの迎撃を受ける。出撃した一式陸攻18機は桜花もろとも全滅、援護した零戦隊も30機中10機が未帰還という惨憺たる結果に終わっている。
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