タグ

学校とその他に関するkana321のブックマーク (3)

  • 未だに学校で『紙のノート』が使われているのを見て驚いた話

    娘に中学受験をさせようか、それとも地元の公立中学校へ行かせようか迷っている。 で、手始めに地元の中学校を覗いてみたのだ。 職員玄関で『不審者じゃありませんよ』プレートを渡されたのにも驚いたが、なによりも授業風景に腰を抜かした。 私(アラサー)が厨房だった時とほとんど変わっていない。 教科書を読めば分かるようなことを教員が白墨で板書し、生徒がそれを紙のノートにシャーペンで写している。 なぜラップトップPCでノートを取らないのだ。 私が大学生の頃でさえ、学生はPCでノート取ってたぞ。 情報を記録する媒体として紙ほど不便なものはない。 紙が手元になきゃ情報得られないじゃないか。ネットワークに繋がらない情報は情報価値ゼロだよ。 数式や漢字の書き取りなんかはペンタブレット使えばいいだけの話。 あと分からない言葉あってもググれないじゃないか。どうすんだよ。 ここまで書いた内容をに話したら「小学校も私

    未だに学校で『紙のノート』が使われているのを見て驚いた話
  • 人の顔を「キモい」って言う人が嫌い。

    高校1年生です。男子です。 ある日いつも通りに登校したら、ホームルームの前の時間に 同グループの仲の良い男女同士が「1年で一番キモいやつは誰か」について話していた。なぜだかは知らない。 話があっちこっちに行ったり来たりしながらも その中のひとりが「�やっぱさ、一番キモいのは◯◯じゃね?!ww」と、いきなり大きな声で言った。 ◯◯くんが同じ教室にいたの知っていたはずなのに。 他の一人が「おい聞いてんだろ、やめろよ」って制した。その顔も笑っていた。 ◯◯くんは何の反応も見せずに、文庫を読み続けていた。 いくらその背中を眺めつづけてみても、彼の心情を読み取ることはできなかった。 とにかくそういう話を嬉々としてするあいつらのことが僕は大嫌いで だがしかし正面切って「そんなこと言っちゃダメだよ」と言う勇気もなく そこに目をつぶって彼らに迎合する気なんかは毛頭なく 「こいつらと仲良くなるのはやめとこ

    人の顔を「キモい」って言う人が嫌い。
  • いじめについての続き - 内田樹の研究室

    ある媒体で、「いじめ」についてコメントした。それは昨日のブログに書いた通り。 それについて追加質問が来たので、これも追記として書き留めておく。 Q: 学校という場は社会の雰囲気とは切り離されたものではなく、一定程度の影響を受けていると思います。現実に、リストラが激しくなる一方ですし、1分1秒ごとに自己成長を求められる息苦しい世界になりました。この状況にあって、学校だけを過度な競争社会から切り離してある種のユートピアにすることは可能なのか、それとも競争を是とする今の社会を根底から変えない限り、社会に蔓延するいじめ体質はなくならないのか。この点はどう思われるでしょうか。 A: 学校は来は苛烈な実社会から「子供を守る」ことを務とするものです。それは学校というものの歴史的発生から明らかだと思います。 ヨーロッパで近代の学校教育を担った主体のひとつは、イエズス会ですけれど、それは「親の暴力から子

  • 1