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差別と人生に関するkanedasakaeのブックマーク (2)

  • 養護学校で働いてるけどダウン症の子供を中絶した

    ここでしかかけないから吐き出す。 あまり細かいことは特定につながるからかけないし、フェイクも入れる。 30超えての妊娠だったので、心配だったこともあり検査を受けた。 その時点ですでに「障害児は産みたくない」と思っていたんだ。 毎日仕事では障害児の教育なんかをしてる自分が、自分だけは障害児はいらないと思っていた。 それでも「まさか私が当たるだろう」なんて思ってなかった。 毎日仕事で障害児の親から障害児を預かり、障害児にモノを教えて、ご飯をべさせて、職業訓練もして…職場生活の殆どを障害児と過ごしている私が、 結局障害児の母親になることを拒否した。 診断結果を聞いた時、何も迷うことなく 「おろします、すぐにおろします」 と返事をしていた。隣にいた、旦那に何も相談することもなく反射的に答えていた。 頭の中で毎日接している障害児のことを考える余裕はなかった。 ただ考えたのは、その障害児の母親たちだ

    養護学校で働いてるけどダウン症の子供を中絶した
  • 障害者は感動ポルノとして健常者に消費される - ログミー[o_O]

    障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される--難病を患うコメディアンが語った、"当の障害"とは 私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく 私たちが障害者の姿に感動しているのは、心のどこかで彼らを見下しているからかもしれません……。2014年12月に亡くなったコメディアン兼ジャーナリストのStella Young(ステラ・ヤング)氏は、従来の「気の毒な障害者」という枠を破った率直な発言で人気を集めました。健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する社会の理解を求めました。(TED2014より) 何も達成していないのに「達成賞」をもらった理由 ステラ・ヤング氏:私はビクトリア州の田舎の、とても小さな町で育ちました。ごくふつうの、穏やかな家庭です。学校へ行き、友達と遊び、妹たちとケンカし、といった具合にとても「ふつう」でした。 私が15歳になった時

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