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震災に関するkanedasakaeのブックマーク (8)

  • 「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉:朝日新聞デジタル

    私は東日大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。 小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。 あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。 しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡

    「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉:朝日新聞デジタル
  • ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

    東日大震災から3年。震災直後にビートたけし氏が『週刊ポスト』誌上で語ったインタビュー記事「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」は、当時大きな反響を呼んだ。その言葉は、震災から3年が経過した今でも色褪せることはない。著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)にも収録されている当時のたけし氏の言葉を、あらためて全文公開する。 * * * なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。 ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。 だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ

  • あまちゃん最終回~「第二章・イーハトーブへ」

    あまちゃん制作スタッフのみなさん、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。 半年間、当に素晴らしい時間をすごさせてもらいました。事前特集の予告VTR。まだどこの誰とも知らなかった能年ちゃんが海に飛び込む姿。遠くからひきの映像でとらえ、チャプンと海に落ちるあの映像。「面白そうだな…?」という直感レーダーのささやき。1話目から録画して、全話をHDDレコーダーにおさめることができたのは、2013年のイイ仕事でした。これで今年は仕事納めと言ってもいいくらいです。 ま、ブルーレイ買えよって話ではあるんですが、ライブ感ってのも大事ですからね。朝イチでの受けのコメントもセットで見たいじゃないですか。あれやりたかったですねー。毎朝あまちゃんを受けて1分ほどしゃべる、って仕事。感想言いまくりたいですもんね。 28日の最終回。 もはや、語ることは多くありません。登場人物のストーリーはキレイに回収され、唯

    あまちゃん最終回~「第二章・イーハトーブへ」
  • 震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞

    流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 配信=2013/02/07 記事=耳塚 佳代 Tweet 大槌町町 臼澤良一 64歳 当日は自宅にいたんですよ。事業の報告書を書いていたんです。あとはファイルに綴じるだけだったので、るんるん気分でインデックスを付けていた。そうしたら、とんでもない大きな揺れ。一度も経験したことがない、当に恐ろしい揺れ。うちが潰されるんじゃないか、死んでしまうんじゃないかという。プリンタやパソコン、棚とかレコードとか、ぜーんぶ(崩れてきた)。前にも進めない。早く止まってくれないかと思っていたが、当に長いんですね。 やっと揺れが終わって、そしたらうちのが「お父さん津波だから逃げよう」って、1階から声が掛かった。テレビも電気も全部付かない。ラジオのスイッチ入れて聞いたら、3メートルの津波だと。親父の代からあそこに住んでいたけど、ここま

    震災・津波 流された人が笑顔で手を振っていた「ニコーっと笑って、お前もか、って」 | 大槌みらい新聞
  • 震災から1ヵ月、グーグルは「まだ走り続けている」 (1/6)

    東北地方太平洋沖地震は、「ネットの力」が再確認された出来事でもあった。 Twitterでは、安否確認や災害知識などがものすごいスピードで行き交っていた。デマも多く拡散したが、そのたびに打ち消す声も上がってくる。テレビやラジオと合わせて使うことで、多くの角度からいち早く意見を得ることができた。 その中で非常に重要な役割を果たした企業といえば、検索大手のグーグルだ。グーグルは、大災害が起こった際、「Crisis Response」(クライシス・レスポンス)という特設サイトを立ち上げている。チリやハイチの大地震の際もこのサービスを提供して、被災者たちに情報を届けていた。 今回も、地震発生からわずか2時間という驚異的なスピードでクライシスレスポンスの日語ページをリリース。その後も、安否情報を調べる「パーソンファインダー」、地図で避難所を探せる「避難所情報」、電車の運行状況が分かる「鉄道遅延情報」

    震災から1ヵ月、グーグルは「まだ走り続けている」 (1/6)
  • 復興支援ソング「花は咲く」| あの日、そして明日へ | NHK

    復興支援ソング「花は咲く」 NHKでは、復興支援ソング「花は咲く」を2012年3月から放送しています。以来、さまざまなバージョンを制作。世代や国境を越えて多くの方々に歌い継がれています。作詞の岩井俊二さん、作曲の菅野よう子さんは、共に宮城県のご出身です。 作詞家・作曲家のご厚意により、著作権料がNHK厚生文化事業団を通じて被災地への義援金として届けられています。

    復興支援ソング「花は咲く」| あの日、そして明日へ | NHK
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

  • 住民の意思によって、福島県白河市等の学校給食が変わった | カレイドスコープ

    何の科学的根拠もないまま、国が机上で勝手に決めた暫定基準値を破棄し、独自により厳しい基準値の下に学校給を組みなおした福島県白河市。 校長を始め教員たちは、「教育者として子供を守っているんだ」という自信を取り戻し、保護者たちは、以前にもまして子供たちのに関心を持ち、何より、子供たちの表情が明るくなったことは、大きな救いです。 白河市を皮切りに、この動きは福島県の線量の高い地域に、今後どんどん広がっていきます。 国は、もう信用できない 3月17日に突然、発表された国の決めた品の暫定基準値。 子供を守るため、こんなものなど信じることはできないと、福島の保護者たちが市や教育委員会に訴えて、学校給の内容を変えてしまいました。 市の側や教育委員会の内部でも、以前から「野菜に500ベクレルは、どう考えてもおかしい」と疑義が起こっており、とうとう国の基準を実質、破棄して独自の安全基準を設けたという

    住民の意思によって、福島県白河市等の学校給食が変わった | カレイドスコープ
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