ブックマーク / takiyusuke.hatenablog.com (38)

  • 風の頃 - 一朴洞日記

    『芥川賞・直木賞150回全記録』(文春ムック)より無断で切取らせていただきました。 講演会のトリは、五木寛之さんだった。スペイン戦争のお噺で、歴史に埋れた市民の運動などをご紹介された。学園紛争真只中だったから、学生聴衆への注意喚起、ありていに申せば、ほんのわずかの共感・激励を含みつゝも、冷静な判断をと懸念を表明されたのであったろう。無知な私は、その真意を把握しかねた。 『さらばモスクワ愚連隊』『蒼ざめた馬を見よ』『青年は荒野をめざす』次々ベストセラーで、飛ぶ鳥落す勢いの人気作家だった。朝鮮半島からの引揚げ体験、大学は苦学の果てに露文科除籍。業界紙編集者・作詞家・放送作家から叩き上げて直木賞を受賞。その経歴までが学生を痺れさせていた。 薄暗いジャズ喫茶の隅っこで、「安穏な定住者の眼じゃなくてさぁ、旅人の眼で視なけりゃ、人生は見えないと思うんだよな」などと気炎を吐いている若者は、まず間違いなく

    風の頃 - 一朴洞日記
  • 敦盛草 - 一朴洞日記

    敦盛草 - 一朴洞日記
  • 古茶 - 一朴洞日記

    古茶 - 一朴洞日記
  • ありえねぇ - 一朴洞日記

    将棋の板谷進(当時)八段と、寿司屋でちょくちょく、ご一緒した時代があった。 初対面のとき、私はひと眼で八段と気づいたが、板さんも女将さんも将棋にはまったく不案内らしく、たまに一人でふらりとやって来る中年の客とだけ、思っていたらしい。いつも銭湯帰りに寄られるのだろう、やゝ上気したお顔で、髪も乾ききってはいなかった。 きびしい勝負のあと、寛いでおられるのであろうから、初めはあえて声をお掛けせずにいた。何度目かに、席が隣り合せた。板さんや女将さんと、あまり会話が弾んでいない様子だったので、視かねてついに、 「板谷進先生で、いらっしゃいましょ?」 ほう、ようやく将棋を知ってる奴が現れたかとばかりに、話題が回転し始めた。板さんと女将さんは、狐に摘まれた顔つきで、こちらを窺っていた。 八段は名古屋にお住いで、対局があると上京される。将棋連盟の宿泊施設に泊ってもよいのだが、当時ご子息が東京の大学生だった

    ありえねぇ - 一朴洞日記
    kanehiro-sakae
    kanehiro-sakae 2021/07/04
    楽しく貴重なお話でした。(^^♪ 谷川、羽生の時代から、今や四天王による群雄割拠の様相。若い藤井二冠が頭一つ抜け出ましたかねぇ。
  • リズム感 - 一朴洞日記

    劇場公開の新作映画を、映画館で観た最後が、さていつだったか、思い出せもしない。「スターウォーズ」二作目か「地獄の黙示録」か。とにかく、ずうっと以前のことだ。 もともとは嫌いな質ではなかった。年に百五十映画と、四十の舞台(新劇と小劇場)を観て歩く生徒だった。いつの頃からか、世間で繰広げられている文化現象が、なにやら遠くの出来事と感じられるようになってきて、足が動かなくなった。小遣いが不足していた事情もあったが。 久びさに今、これは俺が観るべき映画だと、公開を待つ気になっている映画が登場した。ワーナーブラザースのミュージカル映画「イン・ザ・ハイツ」だ。 七月三十日公開とある。オリンピック関連の話題に掻き消されて、取沙汰されることも少なかろう。 (オリンピックに関しては、最悪シナリオというか、ひとつの悪夢を予想している。急遽来日できなくなった有力選手や、来日しても出場できなくなった選手や、

    リズム感 - 一朴洞日記
  • つばめ - 一朴洞日記

    つばめ - 一朴洞日記
  • 豆ごはん - 一朴洞日記

    豆ごはん - 一朴洞日記
  • 津軽 - 一朴洞日記

    津軽三味線奏者の只野徳子さんを、カッコイイ女性だと思っている。 名人とも、津軽三味線を全国的に有名にした人とも云われた、先代の高橋竹山のライブを、一度だけ聴きにいったことがある。年月はさっぱり記憶にないが、四十年も前だったろうか。邦楽について知るところは皆無だったが、こういうものも、今聴いておかねば再び機会は訪れぬかもしれぬと考え、出かけたように思う。 プログラムは二部構成で、第一部が竹山ソロ。休憩後、「弟子の竹与と弾きます」となって、ほっそりした躰つきの女弟子さんとのデュオだった。竹与さんとは、当代(二代目)の高橋竹山さんである。 眼の不自由な名人は、補って余りある巧みな話術の持ち主。曲間の喋りでは、こてこての津軽訛りで客をなごませ、会場に均一な空気を創り出した。そして幾度も「竹与がぁ、竹与がぁ」と。このお弟子さんのことが、可愛くてしかたないんだなあという気配を、隠そうともしなかった。

    津軽 - 一朴洞日記
    kanehiro-sakae
    kanehiro-sakae 2021/06/22
    その昔高橋竹山の自伝「竹山ひとり旅」を読んだ記憶があります。イジメなんてものじゃない壮絶な芸人人生。竹山の「鳴き三味線」の凄みは今の洗練された芸人さんからは出て来ませんね。
  • ぶらんこ - 一朴洞日記

    ぶらんこ - 一朴洞日記
  • わさび - 一朴洞日記

    わさび - 一朴洞日記
  • 垣根直し - 一朴洞日記

    垣根直し - 一朴洞日記
  • あふせ - 一朴洞日記

    立川談志さんが、こんなふうにおしゃったことがある。 ――埼玉県熊谷(くまがや)って云うでしょう。あれ、クマガイじゃないのかね。 たしかに上品上生(じょうぼんじょうしょう)の往生を祈願したのはクマガイ直実だし、その史実から名付けられたラン科の山草はクマガイ草に違いない。拙宅のご近所さんで、生前のお住まいの跡地が今は記念美術館となっている近代洋画の巨匠のお名は、クマガイ守一画伯である。なぜ、こんなことが起きるのか。 まだ少しは世間的関心があったころだが、「週刊ポスト」のセンターページに「弐十手物語」という長期連載劇画があった。タイトルページにはご丁寧にニジッテモノガタリと、ルビが振ってあった。 あるとき酒場のカウンターで、お若いカップルが「あれニジュッテだよね」「変よね」と話していたから、普通なら大きなお世話は控えるはずが、当方も相当酩酊していたか、「ニジッテが正しいっ」と呟いてしまった。当然

    あふせ - 一朴洞日記
    kanehiro-sakae
    kanehiro-sakae 2021/06/17
    「あふせ」はるな、ってことですね(#^.^#)
  • さざえ - 一朴洞日記

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  • 風船 - 一朴洞日記

    風船 - 一朴洞日記
  • 下劣 - 一朴洞日記

    自分に発破を掛けたいとき、マックスラックス(MAX LUX)のライブ映像を観る。二人のロシア人女性アリシアとラーナ、清純派ヴォーカリストとセクシー・ロックンローラーによるユニットだ。オリジナル曲もあるが、オールディーズを多く歌って、私でも理解できる。 以前はマックスラグジュアリ(MAX LUXURY)として、三人ユニットだったが、ダイナマイト・パワーのオリガが脱けて、近年は二人で活動している。 六木・赤坂界隈のライブ映像が多いようだが、音楽の色合いも、いわば六木地場音楽だ。ざっくり申せば、アン・ルイスから荻野目洋子への流れを、現代に蘇らせた傾向とでも云おうか。 現在のことは知らない。私の知る時代には、六木で受けても新宿では受けなかったり、逆に新宿で大人気でも六木では通用しなかったり、夜の美意識にも微妙な相違があった。これからそれへと住替えするホステスさんやゲイボーイさんらは、メイク

    下劣 - 一朴洞日記
  • メザシ - 一朴洞日記

    メザシ - 一朴洞日記
  • 現金 - 一朴洞日記

    今現在、少々機嫌がいゝ。久しぶりに煮た肉じゃがの、出来が好かったからだ。 学生時代同級だった大北君は、文学や芸術や政治運動やらに捩れてしまいがちだった仲間うちでは珍しく、すっきり社会人になってゆけた、都会型スマート人間だ。学生時代からの恋人と、周囲も羨む結婚をして、人生着々、云うなれば私とは真逆の人生を歩めた男である。 唯一残念だったのは、健康を害して、少し早くリタイアせねばならなかったこと。しかし彼のことゆえ、なにかしら生甲斐を見つけられぬはずはあるまいと、心配には及ばなかったが、なんと家庭菜園に熱心になっていった。体調を窺いうかがい、運動量を加減しうる分野だったのかもしれない。それに日光浴と健康な肉体労働。 季節々々に、ご丹精の成果を、送ってくださる。今年の気候と作柄の傾向、手入れの問題点と反省などの、ご報告を添えて。 昨月は、蕪と玉ねぎと春菊をくださった。なにせ収穫間もない野菜類だ。

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  • ところ変れば - 一朴洞日記

    前回は何年前か、うっかりすると十何年前か、憶えがないほど久しぶりに、スーパーで米を買った。 両親の郷里は米どころで、さすがに伯父伯母はすでに他界しているものの、従兄弟たちが、農家のお爺だったりお婆だったりする。中元・歳暮など無沙汰挨拶といえば、農産物詰合せが普通で、味噌漬けやなとが同封されてはいても、要するに米を贈ってくださる。 拙宅の口はこの二十年で減る一方。ついにはひと口となった。到来米が底を突くことなど、年間を通じてありえなかったのである。 ところが近年、様相に若干の変化が生じてきた。自然の代替りで、従兄弟の息子たち娘たちが、次つぎ当主となってきた。正直申して、顔もよく憶えていない。その嫁さん・婿さんともなると、まったく見知らぬに近い。 ある時、こちらから申し出た。 「けっして縁を切るってわけじゃねえけんどもさ、これからは気遣いねえようにしてくんなせえ。ご無沙汰はお互いだすけさ、今

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  • レターパック - 一朴洞日記

    古くからのよしみある雑誌が、創刊五十年だとのことで、その記念号にお祝い原稿を書いたところ、執筆者への配給として、十冊送ってくださった。自主活動として同人雑誌刊行に経験ある者であれば、一冊一冊がおろそかにはできぬものと解る。自分用の取置きぶんを別として、九冊は有効利用したいものだ。 かつてともに活動した先輩お二人が、すぐに思い浮んだ。ご著書を頂戴したこともある。ともにご高齢だ。お元気とはいえ、外出の機会などはほとんどなくなったという。ご無沙汰のお詫びと、近況お見舞いと、過去の思い出のほんのひとかけらを話題にしていただく、云うなればお退屈しのぎとして、お届けしようと思ったわけだ。 次に同年代の友人三人が決った。いずれも定年退職者だが、老け込むには早いと、なにかしらの活動を続けている連中だ。しかもこの雑誌の昔を、ある程度知っている。 最後に若者二人。卒業して社会人になっても、ない暇を何とかやり繰

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  • ざまあ - 一朴洞日記

    いささか旧聞に属するけれど、日曜昼のテレビ番組「噂の東京マガジン」が、TBSからBS-TBSへ「お引越し」したそうだ。 テレビレスライフの暮しゆえ、近年は視聴していない。が、なにせ放送開始から三十年以上にもなる長寿番組だ。かつては観ていた。「噂の現場」には興味惹かれる話題が多かったし、「やって! TRY」には毎回腹を抱えて笑わされた。 森毅郎さんには、NHKアナウンサー時代から、注目していた。室町澄子さんとのコンビによる「女性手帳」には、心に残るインタビューがいくつもあった。 毅郎さんもさることながら、亡くなられたお兄さまの、森哲郎さんのご著書からも、おおいに蒙を啓かれた。その地中海紀行や、フェニキア・カルタゴの貿易路についての考察などは、今も古びてはいないと思っている。 さて、BSへの「お引越し」番組だが、広報を観てみると、久びさの私でも知る顔ぶれ。つまり不動のメンバーがずらりと並ん

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