70年代のオイルショックによって、大量生産=大量消費のシステムが限界に突き当たった。また80年代からの新自由主義の流れは、08年からの恐慌によって矛盾を破局的な形で明らかにした。今からすれば68年から70年代に及ぶ世界的な叛乱は、この40年間の帰結を「予感」していたと思えなくもない。そのなかでイタリアで生まれたオペライズモの潮流の人々を中心に、認知資本主義という概念で「産業資本主義の蓄積の史的システムの重大な危機」(注1)を把えようとする試みがある。「3・11」の危機的な状況のなかでほったらかしにしてあったが、雑誌『現代思想』の11年3月号はほぼ丸ごと「認知資本主義とは何か」の特集であった。そのなかでヴェルチェッローネ「形式的包摂から一般的知性へ」を中心に、認知資本主義という把握の妥当性・有効性を考えてみたい。 ところで認知資本主義とは何か。一般的には産業資本主義に対し、非物質的な労働が大