いまから30年前のきょう、1987年3月14日、劇場アニメーション『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が封切られた。これは、架空の惑星を舞台に、他国との戦争状態のなか初の有人宇宙飛行に挑戦する若者たちを描いた、ファンタジーにしてリアルな青春映画である。 同作で監督・原案・脚本を手がけた山賀博之は、この映画をつくるため、大阪芸術大学在学中に知り合った岡田斗司夫、武田康廣らとともにアニメ制作会社「ガイナックス」を1984年に設立していた。当初は、OVA(オリジナルビデオアニメーション)用の企画として玩具メーカーのバンダイに持ちこんだところ、話を進めるうち、劇場作品にグレードアップし、制作のための会社もつくろうと話がどんどん大きくなっていったという。 製作費は8億円、音楽は坂本龍一に依頼し、ハリウッドでのプレミア公開も話題を呼ぶ。スタッフは、当時24歳だった山賀をはじめ大半が20代だった。若いクリ