さて、前々回「人衆ければ即ち狼を食らう――森鴎外と久保忠夫」(id:qfwfq:20091108)の末尾に、わたしは《仙台のバスではいまも「ヤギヤマイレグチ」と言ったり、デパートではいまも「缶入れですね」とか「十箇入れ」ですね、と言っているのだろうか。こんど久保先生にお尋ねしてみようと思う》と書いた。折りあって先生にお尋ねしたところ、最近は外出することも間遠になりデパートにはとんと無沙汰をしている、バスの運転手の誰もが「イレグチ」などとアナウンスしているのではあるまいが、との由であった。むろん、これは「iはeに変化しやすい」ということの卑近な一例にすぎぬのであって、仙台のバスやデパートの従業員の言葉づかいが現在どうあれ、草いきり→草いきれの変化に関する仮説は有効性を失しない。 そのことよりも、馬場孤蝶が「更に衰へざりし鴎外大人」で書いていた東京日日新聞の国詩募集に関して、貴重な御教示を賜っ