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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (116)

  • 純文学作家はなぜ犯罪小説を書くか - jun-jun1965の日記

    何かと話題の吉田修一『悪人』を読んだ。私は吉田の「パーク・ライフ」をまったく評価していないし、『パレード』もどうということはなかった。前者は芥川賞、後者は山周五郎賞受賞作で、『悪人』はある意味最高峰の一つである大佛次郎賞、そして毎日出版文化賞を受賞している。大佛賞は、学者であれば60過ぎの大物でなければ貰えないものである。といっても吉田は受賞時41で、同年で受賞した学者もいる。 『悪人』は、ほぼ予想どおり、通俗小説であった。推理小説というより犯罪小説で、人情話でもある。しかしこのところ、純文学作家が、宮部みゆきばりの犯罪小説を書くというのがはやっているのは、純文学の行き詰まりの一端を示していると言えよう。実際これを、作者名を隠して読ませたら、多くの人が宮部と答えるのではないかとすら思う。 長編推理小説にはどれでも一つはミスがあると言われるが、これの場合、ほとんど現代版『砂の器』で、殺人の

    純文学作家はなぜ犯罪小説を書くか - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2010/09/23
    猫猫先生、谷崎を棚に上げるの段。
  • 人間関係プロレタリアート - jun-jun1965の日記

    大学一年の時に「人間関係プロレタリアート」という言葉を見つけて、これだ! と思った。それこそがまさに、私が求めていた概念であったのだ。もちろん、自分がそうだという意味でである。しかし、サークルの読書会で、「それは××さんが人間関係プロレタリアートじゃないからですよ」と言ったら、いきなり三年生の先輩が「また、そういう言葉を使いたがるう〜」と嫌な顔をしたものだ。しかし使いたがったのではなくて、それこそ必要な概念だと思ったのである。 「もてない男女」というと、まだ、同性の友達はいるという含みを持ってしまう。同性異性を問わず、貧弱な人間関係しか持てずにいる者を表すために、必須の概念だと思う。それとも何か別の用語があるのか。 (カニさんが「非コミュ」と言っているが、それは違和感がある。コミュニケーション能力というのとは必ずしも関係ないから。ファッションセンスが悪いとか、顔が醜いとか、流行りものに疎い

    人間関係プロレタリアート - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2010/09/20
    先生、それは「非コミュ」というのでは?
  • 猫猫塾夏期講座(文学) - jun-jun1965の日記

    http://www.pipeclub-jpn.org/column/column_01_detail_77.html 連載二回目です。「憎悪はもう…狂っている」はちょっと変ですね。 - 生徒:先生、小説とかを論じていて、「完成度」って言葉が出てきますね、あれは、どういう意味なんですか。 先生:お、それはいいところに気がついたね。こういうのはみんなたいてい、分かったような顔をして、訊くのは恥ずかしいと思っていたりするからね、そういうことをあえて訊くのはいいことだよ。で、辞書は引いたの? 生徒:はい、『日国語大辞典』を引きました。 先生:それはすばらしい。最近はツイッターなんてのがあって、そこですぐ自分で辞書を引きもしないで人に訊く人なんかいるからねえ。で、何て書いてあった? 生徒:いやあ…もう簡単に、完成している度合いとか…。 先生:説明になってない、ってやつだね。 生徒:ああ、でも用例

    猫猫塾夏期講座(文学) - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2010/09/15
    「文章が彫琢されているとか、一文一文の完成度が高い、とか言うのは、要するに、あんまり面白くない、って意味なんだよ。」 音楽も同じ。ミュージシャンに完成度が高いですねなんて言ったら、殴られる。
  • そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記

    その新書の原稿は春ごろには完成していたが、十月刊行予定とのことでだいぶ待たされた。東大卒、20代、男の編集者Kは、『大河ドラマ入門』でひどい仕事をした奴で、その時『小説宝石』で宮崎哲弥氏と対談した際も、再校ゲラで宮崎氏の直しが反映されていないなど、この社の質の低下ぶりを窺わせるものがあったが、もう一回つきあったのである。 時間があるからブラッシュアップしましょうなどと言って、Kは、テクスト形式のままいくつか直しを提案したが、存外マイナーな修正しかなかった。 そして八月末になって、いよいよやるというのでゲラにして、校閲に見せるというので、私は用意しておいた「校正に関する覚書」を送った。以下のごときものである。 一、みだりに語の統一をしない。「とき」と「時」、「ころ」と「頃」などは、文脈に応じ、その周辺の漢字の量などを勘案して使い分ける。 二、差別語のむやみな規制はしない。「シナ」「看護婦」「

    そして新書が一冊没になった - jun-jun1965の日記
  • 狩野享吉と性 - jun-jun1965の日記

    沼野大人ありがとうございます。しかし「一徹」って私は私小説だけ書いているわけではないので…まあご存知ですよね。 - 青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』は、中公文庫になった際に「亨吉と性」の一章が削られてしまったので、そこだけ初版からコピーした。ここには、生涯独身だった亨吉の、自身のオナニー記録および、千代子という若い女性との交情が描かれている。それは岩波書店の小林勇が書いたことの修正という意味あいもある。 その中に、亨吉とずっと同居していた姉久子について、亨吉が淫夢を見たとかいうところで、こうある。「われわれでさえ、その父母、きょうだい、教師とセックスをする夢を見なかったというのは、一人もいないのではないか」 そうかなあ…。私は、ないけれども。 ほかに、亨吉が結婚しなかったのは、顔が醜かったからだという青江の想像を記し、「男は来女以上にその容貌姿勢を気にするものだ」とある。そうかなあ……。こ

    狩野享吉と性 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2010/09/01
    子供の頃、毎年夏休みには軽井沢の別荘に行ってました。
  • やっぱり現代音楽は怖かった - jun-jun1965の日記

    諸井誠の『現代音楽は怖くない マーラーからメシアンまで』(講談社、1985)というを見つけたので借りてきた。 私は、文学でも音楽でも「前衛」が苦手である。そこで、こういう題のを見つけると(ほかにはたとえば『「ユリシーズ」演義』とか)、よしよしどれだけ「怖くない」と思わせてくれるか、前衛のあいつらどもが面白いのだと説得できるか、お手並み拝見と意地悪な根性になるのである。 結果、やっぱり怖かった。ここで諸井が章題に掲げているうち、リヒャルト・シュトラウス、マーラー、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー、バルトーク、サティ、ヴァイル、ガーシュイン、シベリウス、バーンスタイン、メシアンは、もともと怖くない。怖いのは、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンである(あとプーランクもいるのだがこれは怖いとか怖くないとか以前のものがある)。それらの章を見ても、ひたすら音楽的データが並んでいるだけで

    やっぱり現代音楽は怖かった - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2010/08/22
    「十二音音楽は死ぬほど退屈だ。能よりひどい。」 確かに。
  • インターナショナル - jun-jun1965の日記

    私が『バカのための読書術』で、岩井克人の『貨幣論』に、『資論』の冒頭部分は多くの人が暗記している、と書いてあったのを、そんな人どこにいるのだ、と書いた時のことである。高橋源一郎氏と対談したら、そこについて、1968年頃はみな暗記していたんですよと教えられて、あとで追記した。 それと似たようなことがもう一つあって、1980年頃、高校生だった私は音楽に関心があり、といってももちろんクラシックなのだが、前田憲男の『作曲入門』というを買ってきて読んでいた。すると、「インターナショナル」の歌とかいうのの冒頭部が引かれていて、「ご存知!」と書いてあった。私は、おいご存知じゃないよ知らないよと思ったが、このは1972年の刊行だった。そして、私がその「インターナショナル」という歌を初めて聴いたのは、恐らく二千年以降のことだった。大島渚の『日の夜と霧』の中で歌われたのを聴いた時で、それはまったく、未

    インターナショナル - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2010/08/15
    起て飢えたる者よ、今ぞ日は近し!
  • 黙祷の音頭 - jun-jun1965の日記

    http://plus.harenet.ne.jp/~kida/topcontents/news/2010/062901/index.html 藤山寛美の追悼会で横山ノックが「黙祷の音頭をとらせてもらいます」と言ったのはよく上岡龍太郎がネタにしていたが、これはノックさんでなくてもやってしまいそうで、それほどの笑い話のようには思えない。 それに引き換え、私の祖父の葬儀の時に「祝電が届いております」とやった人やら、母の四十九日(一月)にやってきた母の長兄に「あけましておめでとうございます」とやったうちのバカ父親のほうがよっぽど言語道断である。

    黙祷の音頭 - jun-jun1965の日記
  • インテリぶってる - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/seikooo/20100625 阪大の院生が、「インテリぶってると思われたら嫌」とか言うのって時代か、それとも言語文化研究科だからか。 そういえば院生時代、台湾からの留学生が、学生室でいきなり私につっかかってきて、「あなたはインテリぶっている」と言うから「インテリですから」と答えたら唖然としていたっけ。 http://d.hatena.ne.jp/asakura3/20100625/1277463346 東大卒で「deth」なんて書く人にこんなこと言われたくないと思う。高田里恵子の字だって間違っているし、「蟖たし」を知らないくらいで私は驚かないよ。「文学書」と言ったら小説の棚へ案内されるのは当然で、つまらんことを言う前に自分で調べたらいい。大江の「アナベル・リイ」は「リィ」じゃないぜ。 http://d.hatena.ne.jp/asakura

    インテリぶってる - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2010/06/28
    先生はあまり学生をいじめないでください。
  • 『三四郎』の「女は」 - jun-jun1965の日記

    夏目漱石が『三四郎』で「女は」という表現をやたらと使っていることは、詳しい人なら知っている。初めの「汽車の女」はともかく、美禰子も、名前が分かってからも、しばしば「女は」と書かれていて、石原千秋だったか小森陽一だったか、これを気にして、どういう使い分けなのであろう、などと書いていた。 しかし、漱石門下の林原耕三の文章を読んだら、これは「彼女」の代わりだったのである。「彼女」なんてのは、明治になって、西洋語のshe などの訳語として作られたもので、それ以前は男だろうが女だろうが「彼」だったのである。漱石はそんな語を使うのを嫌がって、「女は」とやっていたのだという。しかししまいに世間と妥協して「彼女」を使うようになったというが、『門』では既に「彼女」が使われている。 林原のどの文章かはあえて書かない。もう誰か指摘しているかもしれないし。

    『三四郎』の「女は」 - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2010/05/19
    「彼女」に「かのおんな」とルビが振られている例もありますね。/『金色夜叉』は女性も「彼」だったような気が。
  • 私は東浩紀に負けた - jun-jun1965の日記

    はい、東さん、三島由紀夫賞受賞だそうで、おめでとうございます。あれは面白い小説でした。 「任期付き」といっても人気があるようなので更新されるのでしょう。30代で早大教授。なに、東大でなくてもいいではありませんか。 何も一回りも年下の人相手に勝ったの負けたのやらなくてもいいようなものですが、私なんぞ小説を書いても芥川賞も三島賞も候補にすらならないし、もう教授になる見込みなんかないんだから、もうこれは負けた、でしょう。 いくらデリダやポストモダンが学問的詐欺でも、東が留学もしたことがなくても、人気のある者が勝ちなのであります。まあ東さんは東大学術博士(しかも私と同じ超域文化科学)だから文句ありませんが、もう今や、漫画やアニメ評論をやっていれば、大学院なんか行ってなくても大学教授になれるご時世です。何? 大学にこだわるお前は権威主義だ? 冗談言っちゃいけません。給料がもらえるほうがいいに決まって

    私は東浩紀に負けた - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2010/05/18
    猫猫先生は奥さんが美人なので、負けではありません。
  • 猫を償うに猫をもってせよ - 一瀬陽子に刑事告訴されている

    京都府南警察署の大槻という刑事から電話があったのは、四月七日の午後のことだった。何ごとならんと思ったら、一瀬陽子という女が、私を脅迫罪で訴えたという。何でも、一年以上前の昨年1月12日に、一瀬が「2ちゃんねる」に私のことを書きこんだので私が怒り、「必ず復讐はします」とメールしたのであるが、一瀬はその時、「削除依頼を出した」と言って謝ってきたのだが、その「復讐をします」という片言隻句をとらえて脅迫だといっており、弁護士がついて告訴状を出してきたというのだ。 いや実に悪質な嫌がらせである。私は、脅迫罪というのは、殺すとか殴るとか、内容がなければならないし、五万円払わなければ何々するというもので、これはそのどちらの要件も満たしていない、そもそも警察で受理すべきものではない、と言ったが、大槻は「いや、それが、なると言うんですよ」と言う。その上大槻は、上京して私に事情を聞きたいと言うから、そんなもの

    猫を償うに猫をもってせよ - 一瀬陽子に刑事告訴されている
  • 新機軸  - jun-jun1965の日記

    手塚治虫の『マンガの描き方』(1977)に「新機軸を打ち出せ」という節がある。その最後に、弟子たちが「新機軸なんて、手塚先生や石森先生がやっちゃって、俺たちやることないよなあ」と言うのを聞いて手塚が「ばっきゃろー!」と怒鳴りつけ、「自分で努力もしないで、なんたることであろうか」などと書いてあった。昔読んだのを記憶で書いている。 しかし、手塚もちらりと思っただろうが、弟子たちのぼやきはある程度正しいのであって、映画的手法とか、コールドオープンとか、「シーン」という擬音語とか、そのレベルの新機軸は、当時さすがにもう無理だったろう。その後も、むろん新機軸らしきものは出ているが、大枠は固定し、ないしは何かの亜流でしかありえまい。 - 渡辺たおりが『祖父 谷崎潤一郎』を出したのは1980年、ここで谷崎と渡辺千萬子の往復書簡の一部が明らかにされたのだが、谷崎松子は衝撃を受けて、私が死んだあとなら何を書

    kanimaster
    kanimaster 2010/04/27
    手塚治虫がどなったのは「ばっかもーん!」ではなく、「ばっきゃろー!!」です。
  • 「イスラーム」の二重基準 - jun-jun1965の日記

    http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20100425 ええと、一応元塾生徒さんなので解説しますがそういうことはジェラール・ジュネット『物語のディスクール』が基書で、「神の視点」というより全知視点といいます。また三四郎は視点人物であり、作中内の語り手であります。また歴史的にいえば、小説はむしろ元来全知視点で書かれており、20世紀に入ってから視点を限定するようになったというのが通説であります。もうひとつ基書はウェイン・ブースの『フィクションの修辞学』です。 - 最近「イスラーム」という表記が多い。それが正しいというのは、書く当人がそう書くなら別にいいのだが、「イスラム」と書くと「イスラーム」と直す校閲や編集者がいて、それはどうか、と思うのである。だってそれなら「ソクラテス」だって「ソークラテース」が正しい、ということになってしまうから。「ウラジオストック」

    「イスラーム」の二重基準 - jun-jun1965の日記
  • リスト「死のチャルダッシュ」 - jun-jun1965の日記

    http://www.youtube.com/watch?v=l4oNJMpdkJE いくら言っても世間でゴジラのテーマだと言う地球防衛軍のテーマが聴こえる。しかしリストって正当に評価されていない気がする。 ところでこの曲は、音楽之友社から出ている『バルトーク物語』で知ったのだが、もうその先、苦しくてこのが読み進められなかった。以下アマゾンレビューに書いたもの。 伊東信宏の『バルトーク』が、伝記というより民俗音楽採取に関する研究だったので、伝記を読みたいと思って購入したのである。著者がバルトークの弟子だというので一抹の不安はあったが、想像以上にわけの分からない代物であった。訳者は羽仁協子・大熊進子となっているが、羽仁は羽仁五郎夫の娘。いきなりその羽仁によるお説教くさいまえがきがあり、「バッハがどんなに偉大でも、インタープリターの人格を通してしかその偉大さは聞くものに伝わってきません」。

    リスト「死のチャルダッシュ」 - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2010/04/24
    「いくら言っても世間でゴジラのテーマだと言う地球防衛軍のテーマが聴こえる。」 確かに。
  • 川上未映子はいじめっ子の味方か? - jun-jun1965の日記

    毎度言う通り私は新刊書を進んで読んだりしないので、今回論争の都合上『ヘヴン』を読んでみた。かねて、これはいじめっ子側に立っているとか賛否両論の小説だったが、またどういうわけか擁護するほうも狂気じみていた。私は毎度言う通りいじめっ子は死刑にしてもいいと思っているくらいだから、読むと不快になりそう、ということもあって敬遠していたのである。 さて、ここで物語の筋を説明しつつ、私の感想をさしはさむことにする。いじめられているのは中学二年の男の子で、その子の語りで進み、誰も名前を呼ばないから「僕」でしかない。場所は東京郊外らしく、何百メートルもある並木道を通って行くというから国立であろう。また公立中学らしく、時代は90年代のようだ。 いじめの中心人物になっているのは、二ノ宮という、小学校から主人公と同じ学校の、成績がトップクラスの男、それに百瀬という、同じくらい成績のいい男である。しかし、成績のいい

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    kanimaster
    kanimaster 2010/04/10
    『ヘブン』。
  • 陳腐な合唱 - jun-jun1965の日記

    ライターズ・ジム著となっているが、見崎鉄という人が書いた『謎解き「世界の中心で、愛をさけぶ」』を図書館で予約してようやく手に入れた。はじめのほうを読んで、そうだそうだと膝を打つ。 これがベストセラーになった当時、『いま、会いに行きます』などと併せて、なぜこういうものが売れるのか、というのでどこだったか新聞が話を聞きにきた。記者氏はいきなり、こういう陳腐なものが売れて、みんな驚いたわけですよね、と言うので、私は、みんなって誰ですか、と問うた。記者氏はびっくりして、いや、こんな、ありきたりな物語が…などと言う。もちろん、ベストセラーになったのだから、買って読んだ「みんな」ではないわけで、知識人がみんな、というような意味だろう。しかし私が「誰がびっくりしたんですか」といったことを繰り返すので、記者氏はとうとう「あの、お話を伺いに来たのですが・・・」などと言い出し、私はしょうがないと、説明を始めた

    陳腐な合唱 - jun-jun1965の日記
  • ここは丸の内なのだぞ! - jun-jun1965の日記

    直木賞の歴史に泥を塗った、とは言うまい。過去の直木賞受賞作にも首をかしげるのはあるし、乙川優三郎『生きる』のように、継嗣もないのに武士が「隠居」したり、年代はきっちり書いてあるのに、将軍家光の死と重臣たちの殉死が無視されているなどというのもあるのだから。しかし直木賞史上最低の作の一つであるのは間違いない桜庭一樹『私の男』の冒頭で、ヒロインが結婚しようとしている男が、夜、路上で喫煙する男を見て「ここは丸の内なのだぞ!」と驚く場面がある。路上喫煙は禁止のはずだというのだ。 もちろん、この喫煙する男が、作の主人公で、このおバカな台詞を吐く奴は愚かな奴として造形されているのだから、いいのか、と思った。それにしても、いくら路上喫煙禁止だって、夜になってまで気で驚く奴がいるか、という違和感は残った。 さて、桜庭の『赤朽葉家の伝説』を読んで、どうやら桜庭というのは、××ではないかと思った。もしかした

    ここは丸の内なのだぞ! - jun-jun1965の日記
  • 戦後文学者チャート - jun-jun1965の日記

    ふと思いついて、こんなものを作ってみた。もちろん位置は暫定的なもので、政治的左右についてはっきりしている人もそうでない人も、前期と後期で変わった人もいるし、私小説云々についてはさらに分からないので暫定である。もっとも気づくのは、右側の上と下がくっきり分かれている感じであることで、右下は「志賀直哉-小林秀雄」派、右上は福田恆存-三島由紀夫派とでも言おうか。 字が小さくて見えないようなので、後日何とかします。 http://homepage2.nifty.com/akoyano/chart.png ↑ ここから大きいのがとれるみたいです。 - ところでいつも思うことで、言ってもいるのだが、書評などを仕事にする人は、見ているとむやみと新刊を読んでいるが、いったいいつ古典的作品を読むのだろう。それとも、古典的なものは若いころにみな読んでしまったのか、あまり読んでいないのか。私など、古いものを読むの

    戦後文学者チャート - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2010/04/05
    瀬戸内寂聴が真ん中。
  • 栗原さんと枡野さんと豊崎さんへ - jun-jun1965の日記

    ツイッターでもめていたのを、栗原さんと枡野さんにはメールしたのだがどうしても埒が明かないので、ここでまとめて声明としておきます。 まず私は、前から「論者と論点を混同しない」ということをモットーとしておる。Aの言ったことでaはいいがbは良くない、と分別するわけである。それはまあ、当然のことだ。 さて私は、豊崎由美さんの書いたものをそうよく読んでいるわけではないが、「悲望」や翻訳『エンジェル』を褒めてくれたし、恩義は感じていた。しかし、渡辺淳一や石原慎太郎を攻撃するのがどうも一調子で、かつある種の「俗情との結託」だと感じていた。渡辺淳一に関しては、『失楽園』の頃つまり97年ころ、高橋源一郎が『文學界』あたりで批判していたと記憶するし、石原に関しては、都知事就任の頃から、イデオロギー的な批判が数多かった。 だが、この二人のせいで、芥川賞や直木賞の選考がおかしくなっているなどということはないので

    栗原さんと枡野さんと豊崎さんへ - jun-jun1965の日記