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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (116)

  • 著者名列挙やめい! - jun-jun1965の日記

    一般に、多くの人が書いた書物というのは、編者を設けて「五木寛之編」とかするものである。かといって、中央公論社の『日の文学』を国会図書館OPACで、編集委員会に一度出ただけの谷崎先生の著書のようにしてあるのは困る。 しかるに最近、主として書下ろし小説のアンソロジーで、作者全員の名前をずらずら並べるのが増えてきた。 「最後の恋」阿川佐和子,角田光代,沢村凛,柴田よしき,谷村志穂,乃南アサ,松尾由美,三浦しをん著 新潮社 2005 といった具合である。仮にこれを、論文を書く際に論及したとしたら、コピペすればいいといっても、見た目が良くないし、なんだか百姓一揆の唐傘連判状みたいで気持ち悪い。やめてほしいと思う。あと中条省平、変なタイトルをつけるのやめてほしい。いや私だって人のことは言えないのだが、『中条省平は二度死ぬ!』はいいとしても、『名刀中条スパパパパン!』なんて、中味はまともな文藝時評なの

    著者名列挙やめい! - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/10/24
    この傾向は『中吊り小説』あたりから?
  • 阿部謹也は何が偉いのか - jun-jun1965の日記

    郷和人氏が『環』とかいう、私とは無縁の雑誌で『日売春史』の書評をしてくれたのを先日知った。といっても、主として網野善彦批判の書評なのだが、そこで、網野が網野銀行という財閥の一族であることを初めて知った。 (活字化のため削除) - 以前、現代の推理小説作家の自伝的エッセイを二冊ほど読んで、実に人柄が、純文学作家とは違うなあ、と思ったことがある。推理作家でも、松清張とか高村薫、北村薫など、文藝趣味の強い人はまた別なのだが、純然たるパズルのように推理小説を書く人というのは、まあさっくり言ってしまえば俗物というか、会社員でも平気で勤まりそうな、あるいは理系のような、そんな感じがしたのである。森見登美彦にもそれを強く感じるが、これは理系の研究者だ。

    阿部謹也は何が偉いのか - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/10/20
    話がでかくて面白い。
  • 黒古一夫の村上春樹論 - jun-jun1965の日記

    私は『反=文藝評論』に徹底的村上春樹批判論を載せた時、黒古一夫による春樹論を見落としていたらしい。あの時はかなり網羅的に春樹論を見たはずなので、不明を恥じる。黒古には三冊の「村上春樹」を表題に含む著書があるが、うち一冊は私のあとで出たものである。また『村上春樹と同時代の文学』は、1990年のものだが、実際に春樹に触れているのは、『TVピープル』の時評めいた一文だけで、しかも最新の『村上春樹 「喪失」と「転換」の物語』は、第一部が『村上春樹 ザ・ロスト・ワールド』と同じなので、事実上黒古の春樹論は一冊しかないと言ってもいい。 つまらぬことから書くと、黒古は、『風の歌を聴け』を春樹の「デヴュー作」と書いている。古い文章から最新のまで「デヴュー」である。教養のないライターや佐藤亜紀などがよくこういう間違いをしでかすが、六十を過ぎてなお、「デヴュー」を英語のdeviewか何かだと思っているのだろ

    黒古一夫の村上春樹論 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/09/26
    今日の名言。「教養のないライターや佐藤亜紀などがよくこういう間違いをしでかすが」
  • 読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記

    ちょいと前の日経新聞で佐々木敦とかいう人が、今の小説はダメだと言う人がいるが、読まずに言うのはおかしい、と言っていたのだが(ただし取材記事)、うーん具体的にどこのどなたさんが、読まずにそういうことを言っているのか、ちと教えて欲しいのであるが、別に私は今の小説がダメだとは言っていないし読んでもいるのだが、これは佐々木なるお方が推奨する古川日出男とかを読まねばならんのだろうと思って読み始めたが、三島賞受賞作は実につまらなかった。この人は通俗作家らしいので、そっちの代表作らしいアラビアなんとかの「大仰文体」に、またかとうんざりさせられた。 「大仰文体」は擬古典的なところもあるので、起源を探れば、中世の軍記物語や浄瑠璃にまで遡るし、歴史小説や大河ドラマ、ファンタジーやSFにも淵源するだろうが、私がはっきり最近の大仰文体の始祖と思えるのは、富野喜幸(由悠季)で、1979年のノベライゼーション『機動戦

    読んだけどつまらなかったよ - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/09/06
    大仰文体。
  • 史上最低の芥川賞受賞作 - jun-jun1965の日記

    最近でいえば、中村文則と双璧をなす。漢語表現をそのまま使っているほか、変な日語が散見される。中味にしても、何ら小説である必然性がなく、これなら、ドキュメンタリーかノンフィションを読んだほうがいいだろう。白英露とかいう女の描写も中途半端だし、「梅」とかいうに至っては、何も描かれていない。まるで明治40年以前の青春小説の出来損ないで、青年二人が主人公なのに、尾崎豊がどうのこうの言っているだけで、「性」については何も書いていないというのが、いかにもシナ人らしい。同人雑誌に載って埋もれていくべきレベルの「小説」である。 石原慎太郎は欠席したそうだが、選評は文章で書いてくれるのではないかな。もっとも、石原が出席しても、受賞作に変りはなかっただろう。 豊崎由美は今回の受賞作に激怒しているが、小川や川上に気で期待していたのか? 豊崎と大森望の「メッタ斬り!」が始まって以来、芥川賞の選考は文学オタク

    史上最低の芥川賞受賞作 - jun-jun1965の日記
  • 逆接助詞「も」のにわかな流行 - jun-jun1965の日記

    最近、学生のレポートで二例ほど、逆接の接続助詞「も」が使われているのに出くわした。「ナポレオンはエルバ島を脱出してフランスに上陸、再度皇帝を名乗るも、ワーテルローの戦いに敗れ・・・」の「も」である。『岩波国語辞典』では、後世の文語的表現とあり、『日国語大辞典』は、主として古典から用例を拾っており、この用法はないようだ。 推量するに、大正から昭和にかけて多く使われたのではないかと思うが、昨今にわかに流行しているのは、ウィキペディアでこれが多用されているからであろう。その原因を探ると、ウィキペディアには歴史について詳しい記述をしている項目があり、『国史大辞典』がしばしばこの「も」を使っているので、そこから流れてきたものと思われる。

    逆接助詞「も」のにわかな流行 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2008/07/19
    Wikipediaで流行しているように見えるも、世間一般では今一つである。
  • 栗原裕一郎氏の盗作疑惑 - jun-jun1965の日記

    栗原裕一郎氏初の単著『<盗作>の文学史』(新曜社)の帯に、大きく「ん?」とあるのが、斎藤美奈子氏の『妊娠小説』(筑摩書房、1994)の帯のパクリではないかと、複数の読者から指摘があり、話し合った結果、帯は著者の作品ではなく営業部の作品であるということで一致したが、「ん?」という二文字に著作権があるかどうか、疑問であるということで両社顧問弁護士が話し合ったが結論が出ず、識者の意見を聞いたところ、「ん?」は、1992年に太田出版から刊行された渡部直己『<電通>文学にまみれて』で、高橋康也「法螺侍」を評して渡部氏が使った表現ではないかとの指摘があり、渡部氏に問い合わせたところ、著作権を主張する気はないとのことで、一件落着し、関係者一同胸を撫で下ろした。 というのは嘘だが、それはともかく、これはすばらしいである。 (付記)長谷邦夫氏から、「ん?」は谷岡ヤスジではないかとの指摘をいただきました。ま

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    kanimaster
    kanimaster 2008/06/29
    笑った。
  • 二種類の未亡人 - jun-jun1965の日記

    「未亡人」という言葉は差別語だといわれる。確かに字面はその通りである。ただ、語源探索をしていくと、「男」という字は田圃で働く姿であるから、男だけが働くのか、「差別字」だとかいうことになりかねないし、未亡人という語は便利なのである。「久生十蘭未亡人幸子」と書けばすぐ分かるが、「久生十蘭夫人」と書いたら久生がまだ生きているようだし、「夫人だった」と書くと離婚でもしたようだからである。「久生十蘭夫人だったが久生は死んでしまった幸子」では、おかしい。何が何でも避けねばならない語とは、思わない。 さて、作家や学者、文化人の未亡人には、二種類ある。いい未亡人と、悪い未亡人である。いい未亡人は、夫の死後、その原稿を整理したりもするが、夫の実情を書いたりもする。時には自ら自立して文筆家になったりする。そしてその文筆は、時には夫の名を離れて、武田百合子のように、もはや「未亡人」の呼称も必要ないほどのものにな

    二種類の未亡人 - jun-jun1965の日記
  • 荻上チキの正体 - jun-jun1965の日記

    九月にここで、ちくま新書が出たら荻上チキの実名を明かす、と書いたら、ほどなくチキから、やめてほしいという懇願メールが来た。会社で仕事をしているので、顧客などに知れるとまずい、というのだ。 チキは私が小山エミと論争している時に、「小谷野さんがぐずぐずになっている」と書いているし(私はぐずぐずになどなっていない)、林道義をも批判しているから、匿名批判は卑怯だという考えのもと、明かすべきだと思うのだが、一点、躊躇されるのは、私がチキの実名を知っているのは、当人がを送ってきた時に封筒の裏に書いてあったからで、当人が知らせてきたのを、当人が嫌がっているのに明かすのは、どうか、と思うからだ。もっとも当人は、封筒の裏に書いたことは忘れていたらしく、筑摩書房から聞いたと思ったらしいが、それは個人情報保護法違反だから、ない(筑摩の編集者とはもちろん時々電話で話すから、「名知ってるんですが、明かすとまずい

    荻上チキの正体 - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2007/12/20
    封筒に本名を書いて郵送しただけで晒そうとしている。口が軽く、信頼出来ない人だと思う。
  • 失恋運転禁止 - jun-jun1965の日記

    飲酒運転に対する取り締まりや判決はどんどん厳しくなっている。ところで某所で「失恋運転禁止」に関する文章を読んだ。失恋して精神的にボロボロになっている時に運転するのは禁止すべきだというのだ。まあ半分冗談だが、実際、精神的にヤバイ状態の時の運転は自粛すべきだろう。 しかしでは、タクシーの運転手が失恋したら、どうするのか。バスやトラックの運転手はどうか。こう考えてみると、まじめに、精神不安定時の運転は禁止すべきではないかとさえ思える。飛行機のパイロットだって、愛人がいるのがにばれたりしておたついている時には、搭乗を控えるべきではないか。実際、心身症で逆噴射しちゃった機長もいたわけだし。(若い人は知らないだろうが、心身症という言葉はこの1982年の日航機逆噴射事件で知られるようになった) - どうも最近、「叫ばれる」という言葉が濫用されているような気がする。こないだなんか「格差社会が叫ばれる今日

    失恋運転禁止 - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2007/11/01
    世界の中心で愛が叫ばれる。
  • 猫を償うに猫をもってせよ - 初心者のための相撲入門

    時津風騒動で、時津海が引退して時津風を継いだが、北の湖理事長が「時津海」と口を滑らせたのは、そのせいだったんだな。 ところで、なんで名門と言われる時津風部屋を、三十三歳の力士が継ぐんだ、とか疑問に思っている人も多いようなので、一から説明する。実は某社から「相撲入門」執筆のお誘いを受けたのだが、相撲なんて、テレビでちらちら観ているうちに興味を持てばおいおい分かってくるものだし、を買って入門(自分が力士になるんじゃなくて)する人もいないだろうから売れないだろうと言って断った。 ここで「相撲」と言っているのは「大相撲」と俗称される、日相撲協会が取り仕切るプロ相撲のことで、ほかにはアマチュア相撲(実業団)、大学相撲がある。その辺は野球と同じだ。プロ相撲の特徴は、まず「部屋」に入門しなければならないということで、昔はだいたい中学を出て入門していたから、力士も行司も、十五歳での入門が多かった。今で

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    kanimaster 2007/10/14
    おもしろい。
  • 学歴「差別」? - jun-jun1965の日記

    「日東駒専」「大東亜帝国」が妙な波紋を呼んだようだが、「学歴差別」という言葉自体、おかしな言葉である。今の日で、貧しくて上の学校へ行けなかったなどという人はあまりいないのだし、能力で人を区別するのは当然である。能力差別がいけないなら、試験はいけないのか。「差別」というのは、「いわれなく人の地位を定めること」だから、生まれで差別する天皇制は差別だ。しかし、生まれつき大東文化大学卒というやつはいない。 「差別」といえるのは、「能力はあるが学歴が低いので差別される」という場合だろう。しかし最近、あまりそういう話は聞かない。成蹊大学卒でも、何の疑問も抱かれることなく首相になっている。まああと、数学とか理数系がダメなので国立へは入れなかったというのもあろうが、それでも早稲田に落ちるとしたらそりゃ、まあ、知的職業としては使い物にならんだろう。 呉智英さんは、たぶん、MARCHで教えたことがないのだろ

    学歴「差別」? - jun-jun1965の日記
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    kanimaster 2007/07/07
    女性の尻を触るのは学歴関係なし。
  • なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記

    前から気になっていたのだが、なぜ「モテない」と片仮名書きするのだろう。私は片仮名書きしたことはない。なっていたとしたら、文責・取材者である。どうも片仮名書きだと、嘲弄しているような、頭が悪いような印象を受ける。 さて、渡部伸の『中年童貞』を買った。私のが八冊も参考文献にあがっていて、ありがたいことである。ヨコタ村上のもあるが。 著者の言っていることの根幹、つまり恋愛は誰にでもできるものではない、というのは私と同じだ。もっとも、それを「資主義」に結びつけるのは、どうか。もう少しロマンティック・ラブ・イデオロギーの構成要素は複雑だと思う。民主主義とか平等思想とか、「愛のないセックスはいけない」思想とか。 ところでこのには、著者の学歴が書いていない。大卒であることは文中の記述から分かるのだが、大学名がない。もしかすると「渡部伸」というのは筆名で、半分匿名の方なのだろうか。もう一つ、奥付には

    なぜ片仮名書きする? - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2007/07/04
    仕事中に大笑いした。
  • 依頼状 - jun-jun1965の日記

    仕事の依頼のファックスなどで、最初は自分の名前が出てくるのだが、下のほうへ行くと、自分の名前のところに別人の名がある、という経験をした物書きや学者は多いだろう。最初に誰かに頼んで断られ、名前のところだけ直したのだが、二つか三つあるうち一つを直し忘れると、こういうことが起こる。激怒する人もあろうが、とにかく、気をつけてくれよと言うほかない。 さて先日、「八犬伝」関係の仕事が舞い込んだ。あまり内容がいいものとは思われなかったが、引き受けた。するとメール添付で、私のプロフィールなるものが送られてきた。ところが、四行くらいある紹介文の上の二行が、こうなっていた。 説経節、浄瑠璃などの語り物文藝から、「八犬伝」も論じ、特に泉鏡花を愛好したが、幸田露伴の「幻談」などの再評価にも一役かった あとの二行は確かに私の紹介文だったが、これは違う。これは川村二郎先生の紹介文である。なぜなら、これは私がウィキペデ

    依頼状 - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2007/01/25
    おもろい。
  • それは訳せません - jun-jun1965の日記

    私が『反=文藝評論』に載せ、『村上春樹スタディーズ05』にも再録された村上春樹批判の評論中に、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる「太った美人の少女」の、やたらと主人公にセックスを迫る描写の引用がある。果して英語版でもここはそのまま訳してあるのか、と今日駒場の図書館でアルフレッド・バーンバウムの英訳を見てきた。「31」で女が、「ねえ、精液を呑んでほしくない?」と言うところは訳してあったが、その後、もう一度女が「精液呑んでほしくない?」と言い、「あたしじゃあ興奮しない?」かなんか言って、主人公が、興奮している、勃起しているから、と言って見せる部分は、カットされていた。そりゃあ、そうだろう。こんなところまで訳したら、村上春樹はポルノ作家だと思われるよ。思わない日の読者が、あまりに変。 川端康成の『雪国』に「この人指し指がいちばんよく君を覚えていたよ」というエロティックなせ

    それは訳せません - jun-jun1965の日記
  • 「三丁目の夕日」のダメさ - jun-jun1965の日記

    昨日、評判の映画「ALWAYS 三丁目の夕日」をビデオで観て、あまりのひどさに怒りさえ覚えた。単に昭和33年の東京の町並みを再現しただけで、シナリオはチープで傷だらけだし、あの時代特有の臭いや貧しさというものがまるで伝わってこない。だいたい小日向文世が「お前はこれから一流品に囲まれて暮らすんだ」と言って万年筆を返させる箇所など、素人がシナリオを書いているとしか思えぬ。社長をするほどの人間がそんな低レベルに人の気持ちを無にするようなまねをするわけがない。全編これ、出来の悪いマンガなみの筋立てである。 私は学生時代、西岸良平の『夕焼けの詩』が好きで、かれこれ十数冊は読んでいた。『三丁目の夕日』は読んでいないが、あれはだいたいあの顔がいいのだし、「原作」と銘打っていてもまるで別物だろう。西岸には『赤い雲』のような優れたホラーもあった。何より、あの横長顔にもかかわらず、女性が時おりとてもセクシーに

    「三丁目の夕日」のダメさ - jun-jun1965の日記
    kanimaster
    kanimaster 2006/07/04
    レトロをテーマにした映画だから、当時の映画を観ろというのはちょっと違うと思う。