関連エントリー集に纏めますが ブログ普及委員会(PC/要Flash) ようやく応用編が更新されたので見た。注目はトラックバック観の質疑応答。予想通り、下記のようなものだった。 例えばブログの記事を書きます。関連する他のブログ記事にトラックバックをうちます。そうすると相手の記事から自分の記事にリンクが貼られて、そこからコミュニケーションが生まれると言うわけです。 これが言及記事を書くからトラックバックを送るような考え方から見ると、最初に言及先の記事を読んでから、記事を書き、その後トラックバックを打つと言う順序を踏む。コミュニケーション重視だと検索トラックバック方式(記事を書いた後に関連記事を探す方式)を採用し、言及方式だと記事を読んでから文章を書くと言う方式を採用してしまう。このような考え方の違いは仕方がない。ないが、予想通りの質疑応答を聞くと何だか気が滅入る。別に私は沢山のトラックバックを
Seesaaが落ちて記事が書けない アクセス過多で503エラー……そう言うわけで、コメンテーターはみんな無責任の追記書いておく。 リンクを貼ってあーだこーだ言う人々 「ひっそりとブログをしたい」のなら、他者のブログへリンクするのは危険です(PC) 私はリンクを貼ってそのリンク先についてぼこぼこに書いたとしても、別に放って置けばよいのではないかと思う。例えばTVに向かって愚痴を吐くように、例えば共同通信を読んで反応したように、感想を書く自由は誰にでもあるのではないかと思うからです。ついでに言えば、私を含め、TVに愚痴を吐くように書いた記事に反応されても困る場合があるのです。ならば、書かなければ良いではないかと言われてしまいそうですが、人間が小言を呟いたり、独り言のような日記を更新したりするのは大体そう言う心情だと思うからです。 従って、反応される可能性があるというのは考慮する上で書いて欲しい
注意事項 誤解を招かないようにするために書きますが、この記事は「眞鍋式ブログ講座を読んだ人々が無差別なトラックバックをしないか。した場合どのように困るのか」を書いたものです。懸念記事と言う事に注意してください読んでください。 派閥が増えるだけなら誰も困らない またネット(ブログ)社会がややこしくなりそう 私はこの記事で「困る」と記しました。ただそれには一つの前提条件があるのです。白線で示した文化の境界線の内側に入ってくるから困るのです。眞鍋ブログ派が生まれただけでは私は困りません。 では、具体的に何が困るのか解説しましょうか。 参考資料:トラックバック論が混迷を極めている件について(PC) これだけトラックバックに対する考え方があると言うのに、多くの場合衝突しない。それにはちゃんと理由があるのです。コメントをしないトラックバック派が挨拶トラックバック派に対し、意図的にコメントをしないトラッ
リンクフリーとマナー うたたね:雑記帳(掲示板だけど) うたたねの掲示板にはこう記される。 リンクフリーが当たり前ってのも勝手なルールだよな リンクフリーはWWWの原則であるがルールではない。むしろ文化に近い存在であるだろう。 マナーとはある文化によって生まれるものであると私は見なしています。フランスにはフランスなりの文化がありそこからマナーが生まれるでしょう。アメリカにはアメリカなりの文化がありそこからマナーが生まれるのでしょう。これは私がサイトに書かれた文章やマナーについての書籍を読み続けてきて辿りついた見解。 従って、リンクフリーを重んじる文化にはリンクフリーをマナーだと考えるのが普通だろうし、無断リンクを嫌う文化からすれば、リンクは許可制とするマナーが生まれても不思議ではない。それぞれ文化が違うのだから話をしようがない。きっと、リンクを許可制とする文化圏の人から見たら私をマナー違反
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