最近、台湾では教科書問題が話題になっている。 陳水扁政権は政権末期を迎えて、「去中國化」を積極的に進めている。それは蒋中正空港を桃園国際空港に名称を変更したり、郵便局の正式名称も臺灣郵政と、名称を中華から台湾に改名した。 中華民国の名残を消し、台湾化を推し進めている。それは教科書も同様である。 現在の台湾の教科書では、孫文(台湾では、字の孫中山を用いている)の名称には、必ず「国父」という尊称を使っている。 台湾教育部は教科書を、中小学校向けの教科書の「国父」など五千に及ぶ名詞を変更し、教科書の「去中国化」を進めようとしている。 国民党はこうした変更に反発し、国民党系政治家が執政している18の県、市ではその教科書を使用しないと反発している。 今回の変化は、中国を外国とみなし、両岸関係も両国関係と解消する予定である。 国民党側は孫文が中華民国の国父であることは、憲法でも明記されており、教育部が
最初からそうだったわけでもないのだが、ぶくまのコメントはあまり書かない。 書くとしても、備忘とかか。 メッセージ伝達用には、書かない、というか、あまりぶくまが変な方向に盛り上がっているとき参考情報を書いたりするか。 くさしとか、ネガコメには使わない。このあたりごく個人的な感覚の問題かもしれないけど、ぶくまのコメントでネガコメというか揶揄のメッセージを書く人間というのは卑しいんじゃないかという感じがしてきている。あと、べたにコメント欄のネガコメというか。 ネガコメしたいなら、ブログに書いたらいいんじゃないか。というか、否定されるべきものと否定するものは、同じ地平にいるべきじゃないか。あれ、決闘なんかでも相手に銃を渡すというか。 日本人だと5.15でも2.26でもそうだけど、軍人が闇討ちしちゃうんだよな。あれは西洋の軍人の感覚からすると相手に銃を与えないと恥辱になる。 ってなことを書くと。 私
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