タグ

2013年4月16日のブックマーク (3件)

  • 隋の煬帝の墓が出土 - 枕流亭ブログ

    ご無沙汰ぶりのブログで、わりとビッグニュースの紹介です。隋の煬帝の墓が江蘇省揚州市邗江区西湖鎮司徒村曹荘で出土したとのことです。 ↑今回発見の墓 揚州市は長江下流域の北岸に位置している古くからの都市ですが、隋のころには江都と呼ばれていました。南朝の文化を愛した煬帝は、たびたびこの江都に来ておりまして、最期を迎えたのもここでのことです。煬帝は江都に宮殿を建てて趣味全開の遊興三昧。晩年に華北の情勢が怪しくなると、江都から離れようとせず、そのために部下の宇文化及に殺害されております。 さてこのたびの出土品ですが、鎏金銅鋪首や金瓖玉腰帯といった文物が出ているようですが、やはり決定的だったのは、墓誌の発見ですね。 「隨故煬帝墓誌」(隨は隋と通字)というようです。墓誌中に「隨大業十四年」とか「帝崩于揚州」とかあって、決め手になってるようです。 ↑鎏金銅鋪首 ↑発見された墓誌 あと今回発見の墓の東側の墓

    隋の煬帝の墓が出土 - 枕流亭ブログ
  • こいこいバス運賃表

  • 欠画 - 言葉を“面白狩る”:楽天ブログ

    2008/09/08 欠画 カテゴリ:カテゴリ未分類 「御諱恵・統、御名睦之三字、自今欠画不及候事 壬申二月   太政官」(明治五年(1872)「続波多野家文書」) 御諱の「恵」と「統」、御名の「睦」の三字は、今後「欠画」するに及ばない。 「避諱(ひき)とは、目上の者の諱を用いることを忌避する、中国など東アジアの漢字文化圏にみられる慣習である。二字名の場合にどちらか一字を忌避・タブーとするため特に偏諱(へんき)といい、日では二字名がほとんどであるために、偏諱が一般的である。……明治から昭和には日でも避諱が採用されたことがある。仁孝天皇(恵仁)、孝明天皇(統仁)、明治天皇(睦仁)の諱の内、「恵」、「統」、「睦」がそれぞれ欠画とされた。」( 「Wikipedia」) 【闕画・欠画】(『広辞苑』) 漢字の画を省くこと。特に天子または貴人の名と同じ漢字を書く時、はばかってその漢字の画を欠くこと

    欠画 - 言葉を“面白狩る”:楽天ブログ