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2019年1月12日のブックマーク (5件)

  • 脱社畜サロンと脱社畜ブログは無関係です - 脱社畜ブログ

    「脱社畜サロン」とかいう名前のオンラインサロンが炎上している。はじめに言っておくと、この炎上している脱社畜サロンとこのブログ(脱社畜ブログ)は何ら関係がない。 この界隈とは基的に距離を置いておきたいと思っていたので普段は言及しないようにしているのだけれど、サロン名「脱社畜サロン」と僕のブログ名とが紛らわしいことこの上ないので、風評被害が発生しつつあり、僕にも愚痴のひとつやふたつは書く権利はあると思い久々にブログを書くことにした。 「脱社畜サロン」というオンラインサロンができたことは少し前から知っていた。きっかけは「脱社畜サロン」について僕に問い合わせて来た人がいたことで、その時は即座に「まったく関係ないです」と答えた。正直、「脱社畜」という僕がブログや書籍で使っている言葉があやしい(と僕には感じられる)オンラインサロンの名前に使われてしまったことに嫌な感じはしたが、残念ながら僕はこの言葉

    脱社畜サロンと脱社畜ブログは無関係です - 脱社畜ブログ
  • 正月におせちを食べて節分に恵方巻きを食べてバレンタインにチョコを食べ..

    正月におせちべて節分に恵方巻きをべてバレンタインにチョコをべてひな祭りにちらし寿司をべて土用の丑にうなぎべてこどもの日にちまきをべて台風の日にコロッケべてハロウィンにかぼちゃべてクリスマスにチキンをべて大晦日に年越しそばをべて、それで誰が損するってんだよなあ。 まあ、うなぎの獲りすぎとか恵方巻の販売ノルマとかは改めるとしても、なんでも行事に乗っかって楽しめればいいんじゃんなあ。 何だって最初は誰かが考えたものだし、商売の上手い奴がそれを広めたんだろうし、それを斜に構えて「作られた伝統だから」とか言うのってほんと馬鹿馬鹿しいよなあ。

    正月におせちを食べて節分に恵方巻きを食べてバレンタインにチョコを食べ..
    kanototori
    kanototori 2019/01/12
    流行っても廃っても所詮ローカルという自覚があれば楽しめる。それが伝統。
  • 長野が独占激白「僕は大丈夫」「なぜカープが強いのか知りたかった」 : 鯉速@広島東洋カープまとめブログ

    2019年01月11日23:00 長野が独占激白「僕は大丈夫」「なぜカープが強いのか知りたかった」 カテゴリトレード・FA目標 Comment(180) 引用元:・http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1547200649/ 1: 名無しさん@おーぷん 2019/01/11(金)18:57:29 ID:L33 長野が独占激白「僕は大丈夫」「なぜカープが強いのか知りたかった」 「うれしいですよね、当に…。カープの皆さんはもちろん、広島の街の知り合いの方々も、皆さん口々に『困ったことがあれば何でも助けになるから』と言ってくれているんです。ありがたいことですよね」。 いつものちゃめっ気は封印して、長野は素直な思いを口にした。 思い焦がれて入団した巨人を思わぬ形で去ることになった。傷ついていないはずがない。 それでも「僕は大丈

    長野が独占激白「僕は大丈夫」「なぜカープが強いのか知りたかった」 : 鯉速@広島東洋カープまとめブログ
  • 人名力 : 太田亮による『姓氏家系大辞典』を最初から最後まで読む

    2017年01月01日00:00 カテゴリ日人名録 太田亮による『姓氏家系大辞典』を最初から最後まで読む 『姓氏家系大辞典』を読んで気づいた点を『日姓氏語源辞典』と比較する項目とする。『姓氏家系大辞典』は角川書店の1963年版を使用した。 問題点としては、アの項目を調査した結果では1589個のうち259個に解説なしだった。6個に一個程度は空白となっている。 『姓氏家系大辞典』をあがめる論評 「名字の事典といえば、太田亮著『姓氏家系大辞典』という普及の名著があり、以後刊行された事典は、ほぼすべてこの流れを汲むものであった、といっても過言ではない。中には、ほとんど抜粋にすぎないものもあり、名字の研究は昭和初期から停滞していたともいえる」 『日名字家系大事典』(森岡浩編、東京堂、2002)「序にかえて」 「ネット上のサイトでは、名字の解説の部分だけ、なぜか文語体になっているサイトがたくさん

  •  皇帝マクシミリアン1世没後500年

    切手というモノを、ちょっと違った角度から眺めてみると、あなたの知的好奇心をくすぐる新たな発見がイロイロあるのです。そんな切手の面白さを綴っていこうと思っています。 1519年1月12日に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世が亡くなってから、きょうでちょうど500年です。というわけで、きょうはこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) これは、マクシミリアン1世没後450年を記念して、1969年5月30日から10月5日までインスブルックで開催された“皇帝マクシミリアン1世展”を記念して、会期中の6月4日、オーストリアが発行した切手で、マクシミリアン1世の甲冑が取り上げられています。 マクシミリアン1世は、1459年3月22日、ハプスブルク家の皇帝フリードリヒ3世の子として、ウィーナーノイシュタットで生まれました。 1477年、ブルゴーニュ公シャルルの戦没後、その嗣子マリアと結婚

     皇帝マクシミリアン1世没後500年