広電廿日市駅周辺の整備事業に伴って新ホームが使用され始めており、大正13年(1924)の廿日市町停車場時代の廿日市駅舎の取壊し工事が始まっている。 昨日、広電廿日市駅の看板も取り外されて旧駅舎周辺に防護柵の工事が行なわれており、まもなく解体されるものとみられる。
廿日市港そばの住吉神社社殿に掲げてある神額で、神額には「・・・七十七翁 三石澤喬書」とあり、広島藩の元要職を務めていた沢三石が弘化5年(1848)77歳の時に揮毫したものである。 沢三石の名は喬ではじめ左仲のちに讃岐と称しており、広島藩の年寄職を務め致仕後は書画風流を好んだ文人武士であったようである。
JR宮島口駅の西側の第一踏み切り脇線路沿いに宮内庁管轄の任助親王の御陵がある。任助親王は伏見宮貞敦親王の子で、後に後奈良天皇の養子になり仁和寺に入り出家し宮島に滞在中に入滅された。 この地に宮内庁の管轄する御陵があることはあまり知られていないのでは・・・ ポチッとね!
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