タグ

2007年4月14日のブックマーク (11件)

  • word

    今様「建築 & 職人」言葉辞典  専門用語でもないんですが、現場での会話で、普段使う言葉の意味と少しずれる言葉 わかってしまえば簡単なのですが、最初耳から入っただけではなんだかわからない言葉 年配の職人さんが使っていて、死語となりつつあるような言葉 プレカット工法が主流で、なくなりつつある過去の伝承されてきた木造の言葉のうち、このあたりで通用してた職人言葉 などを、気の付くままに、拾い上げてみました。 地元が滋賀県なので、かなり関西弁やもっと狭い地元の方言が入っているかもしれません。 また、質問があればメールにてお寄せ下さい。間違いの訂正もお願いします。

  • 小説の地形学 - 新・読前読後

    前田愛さんの『幻景の街―文学の都市を歩く』*1(岩波現代文庫)を読み終えた。 昨年11月、12月に『幻景の明治』と連続して文庫化された前田さんの著作、いずれも元版を持っていたのだが、未読なので文庫化を機会に読もうという思いと、解説が両方とも川三郎さんということもあり、買い直した。 すでに元版は処分してしまったのか、以前書棚のあった場所に見あたらないので、きちんと確認できないのだが、『幻景の街』のほうは田村義也さんの装幀にかかる緑色っぽいだった(『幻景の明治』は朝日選書)。 今回文庫版で読んでみると、漢字で書くべきところをわざとひらがなにしたり、「まなかい」などとあまり使われない和語を好んで用いたりする前田さんの流麗な文体は、かな文字のデザインが美しい精興社の書体でこそ引き立つものであると感じた。文庫化大成功と言うべきではないだろうか。 さて書は、明治から昭和までの文学作品を、その舞台

    小説の地形学 - 新・読前読後
  • 都心の古墳

    東京の大型前方後円墳 東京にも古墳がある。その事だけで、知らない人にはインパクトがあるが、100m級の前方後円墳が少なくとも3基あったとなると、どうだろうか。一般的な見方に従えば、これらの前方後円墳は中央政権の権威とつながりを持った開発時代初期の有力首長の墳墓ということになる。ここで都内の前方後円墳ベスト5をあげてみる(注1)。なお全長は推定復元長、西暦は参考年代である(注2)。 全長112m,芝丸山古墳(Shiba-Maruyama,港区),前期・4世紀後半 全長107m,亀甲山古墳(Kamenokoyama,大田区),前期・4世紀後半 全長97.5m,宝来山古墳(Horaisan,大田区),前期・4世紀中葉 現存長70m,摺鉢山古墳(Suribachiyama,台東区),前期? 全長 60m,浅間神社古墳(Sengen-Jinja,大田区),5世紀末~6世紀初頭 山手線内側を都心と仮定

  • 路傍の神々:塞神・幸神・障神・妻神・才神・性神

    塞神・幸神・障神・神・才神・性神など、用いられている漢字の違いがあり、漢字の表記によって、その性格も少しづつ違うのだが、どれも「サエノカミ」ということになり、道祖神の一種となる。 塞神、障神と表記された「サエノカミ」は、村や地域の境界、道の辻にあり、文字通り、禍の侵入を防ぐ神である。 幸神・神・性神と表記された「サエノカミ」は、性病治癒、夫婦和合、子宝の神とされている。 また、歳神、才神となると、年々の収穫を祈念する神である。 日語の場合、このように、どの漢字をあてるかによって、その意味や性質自体をも変化させる可能性があり、それがまた、道祖神の複雑さに繋がっているのだと思う。 が、基的には、上記のように差異が考えられるのだが、通常は、それぞれが混同された形で用いられているのが普通である。つまり、幸神と表記した塞神などもあり、さらに複雑さを増している。

    路傍の神々:塞神・幸神・障神・妻神・才神・性神
  • 千代田町「虫送り踊り」

  • http://www.saitama-np.co.jp/news04/13/12l.html

  • 奥谷尻集落の祈祷関札 - 『はつかいち』 ぶらり

    大竹市の飛地である奥谷尻集落の出入口境の3ヶ所に祈祷関札が立ててあった。昔は医療薬や農薬がないので疫病や病虫害が集落内に入ってこないよう氏神である原神社(旧河内神社)で祈祷して集落の出入口境に立てているようである。 正月祭、春日待祭、夏祭、秋例大祭と年4回が現在でも継承され行われており、祈祷関札には「五穀成就疫神退散氏子安全祈処」とあった。 人差し指の運動! ポチッとね!

    奥谷尻集落の祈祷関札 - 『はつかいち』 ぶらり
  • Google マップで「ぼかし」がかけられ隠されている場所いろいろ - GIGAZINE

    Google マップやGoogle Earthには通常の地図モード以外に、衛星軌道上から撮影した写真や航空写真も見ることができるようになっているわけですが、一部の施設や場所はありとあらゆる理由に基づいて「ぼかし」がかけられて不鮮明化されており、はっきりと見ることができなくなっています。 なぜぼかしがかかっているのかというと、2006年4月頃には「Google Earth」によるテロのリスクなんてたわ言に過ぎないと思われていたのですが、2007年1月頃には当にイラクでテロリストグループがテロ襲撃用にGoogleEarthを利用していたことが判明したため。 というわけで、Google マップで「ぼかし」がかけられて隠されている場所がいろいろとあるので見ていきましょう。 Google Blurred Out Places List of places blurred out on Google

    Google マップで「ぼかし」がかけられ隠されている場所いろいろ - GIGAZINE
  • http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070412id23.htm

  • 神戸海洋気象台 − 災害年表

  • 2007-04-10

    執筆のため、色々と史料の打ち込みをしてみたり。 光厳たち持明院統の天皇が遺諡で「光」を使うのは、正統性の証明って点もあるだろうけど、後醍醐の年号「建武」を強く意識していた気が。 あの建武年号は前例を全く無視して決めているから、諡号よりも後醍醐の特殊性を述べるのには、こっちの方がいいだろうなぁ。 今日は宮下先生にお渡しす。珍重。 ぼちぼち、最初もらった分はなくなるのに、いまだ増刷の沙汰は分からず。困った・・・

    2007-04-10