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ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (5)

  • 九条道家は捏造だ(笑) - 我が九条

    今回プロフィール画像に九条道家公の画像を使わせていただいた。『天子摂関御影』の道家像である。ということで九条道家ネタ。 九条道家という人物は実在しない(笑)。藤原道家ならば実在する。 「九条家」という言い方は後世の我々が便宜上付けている名称である。同様に「足利尊氏」も存在しない。当時の文書をみればもれなく「源尊氏」である。北条時宗もいない。「平時宗」である。当時使われていなかったから、という理由である歴史学における用語を否定するならば、「足利尊氏」も「北条時政」も「執権」も否定されなければならない。もちろん「鎌倉幕府」も「室町幕府」も、である。 話はもどって藤原兼実及びその子孫を「九条家」あるいは「九条流」と呼ぶのは、邸宅が「九条殿」であったことに由来する。「九条家」というのを家名という。近衛・九条・二条・一条・鷹司という家名、金沢・赤橋・常葉・大佛という北条氏の家名、いずれも各家の邸の

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  • 安達泰盛による「異国征伐」計画 - 我が九条

    モンゴル戦争の最中、三度にわたって「異国征伐」が計画された。1276年、1281年、1292年である。このうち有名なのは1276年の「異国征伐」であり、ターゲットは高麗であった。従来さまざまな議論がなされてきたが、例えば戦前には「壮挙」と位置づけられてきたが、戦後には「冒険主義的な侵略」と位置づけられてきた。 ただ戦前と戦後に共通する視点として挙げられるのが、同時に進行していた「異国警固番役」を「消極的防禦」と位置づけ、「異国征伐」を「積極的攻撃」と位置づける点にある。 海津一朗氏はその見方の根を批判する。現実的な「防衛」とは相手の軍事施設の破壊を含めた海上警固の徹底であり、「防衛戦争」という概念自体が、近代国民国家の帝国主義的分割段階に入った時点に現れたものだとする。それは「防衛戦争」というスローガンで派兵する、という帝国主義諸国の常套手段であった、と。 そういう目を取り去って、「異国

    安達泰盛による「異国征伐」計画 - 我が九条
  • 扇動されやすい人 - 我が九条

    現在鎌倉時代の講義*1をやっている。一昨年にもやったが、今年もやっている。なぜだかテスト一発勝負はダメ、という大学で、そのくせ数百人を一つの教室に詰め込むから、講師としてはどうやってテスト以外の評価をするべきなのか、よくわからない。そこで適当な時期に小レポートを書かせている。 一昨年宝治合戦のところでレポートを書かせた。宝治合戦とは、鎌倉幕府の有力御家人であった三浦泰村が北条時頼に滅ぼされ、鎌倉幕府の政治上の大きな画期となった合戦である。一般には得宗専制への道と評価される事件だが、永井晋氏の『吾鏡を読み直す』という著書の該当箇所を読ませて、レポートを書かせた。永井晋氏は、従来の時頼黒幕説ではなく、時頼は三浦氏から安達氏への外戚の交代をスムーズに行いたいと思い、三浦泰村にも事を荒立てるつもりはなかったのだが、時頼派の強硬派安達景盛と三浦氏の強硬派三浦光村に引きずられる形で合戦に至った、とい

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    kanototori
    kanototori 2007/05/24
    臆面もないやっつけレポートたち
  • 李下に冠を正さず - 我が九条

    タミフルと異常行動との関連を否定する研究内容をまとめた研究グループにタミフルの販売元から寄付金があったケース。いくつかのことを感じたので備忘録代わりに。 私が一応所属している学会で、かつて英文年報を出すとかでもめたことがあった。当時委員だった私はもめているところをずっと見ていたのであるが、結局600万円を捻出できない、ということでつぶれた。総会では企業からの寄付金を募ってはどうか、という意見は失笑とともに否定された。一応某左翼系の学会なので、企業からの寄付金は受けることは出来ない、というのが理由である。実際には英文年報を出したがっている大家と英文年報を出す時に実務をやらされる研究委員の間の軋轢が原因だったのだが、最終的に研究委員側が「金」で押し切ったことに、当時総務委員だった人がぼやいていあ。「誰か600万円くれへんかな」と。 私は父に聞いてみたことがある。「600万円の寄付は実際出来るの

    李下に冠を正さず - 我が九条
  • アイヌ史 - 我が九条

    「日史」という講義でアイヌ史をやると「わからない」という声があった。こういう声は初耳だ。今までならば「偏向している」という苦情になるはずだった。確かに「偏向している」だろう。アイヌモシリへの侵略の歴史をやっているわけだから。当然「みんななかよくやってきた」という歴史像を相対化しているわけだから。私のそういう歴史像に対し、「偏向している」という批判はある意味建設的な批判である。和人によるアイヌ侵略の歴史を前提にした上で、和人側のアイヌに対する平和的な関係構築の歴史を見ることは意味のあることだ。 実際松前藩がアイヌの生活環境を守るためにさまざまな政策を打ち出していたことは特筆されていい。しかし松前藩の財政破綻とともにアイヌモシリ(アイヌの大地)は切り売りされていったのだ。和人のアイヌに対する抑圧一辺倒の歴史像では、松前藩と幕領化以降の歴史の違いは見えてこない。具体的に言えば、アイヌの自主性が

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