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g龜光に関するkanototoriのブックマーク (3)

  • 私年号「亀光」確認 鳥羽・浦村、民家の古文書に 三重、福岡、愛知で5例 /三重 | 毎日新聞

    鳥羽市浦村町今浦の民家で見つかった大量の古文書の中に、公式の年号(元号)と異なる「私年号」で「亀光元年」と書かれた文書のあることが、同市教委の調査で分かった。全国で最初に私年号の「亀光」を確認した福岡県古賀市立歴史資料館によると、同年号が見つかったのは福岡、三重、愛知県に計5例があるだけとされ、幕末に使われたらしい。福岡県と遠く離れた三重、愛知県で同じ私年号が使われたことについて、同歴史資料館は「理由が分からない。謎だ」と首をかしげている。【林一茂】 解読した元三重県史編集委員の吉村利男さん(73)によると、文書は、用紙を横に二つ折りにしてとじた帳面の表紙に「亀光元年 諸色掟之帳(しょしきおきてのちょう) 戌(いぬ)霜月吉日若連中(わかれんちゅう)」と書かれていた。内容は、若者たちが同町の沼や河川などに生育しているマコモを刈り取り、持ち寄る数量が記載されていたという。

    私年号「亀光」確認 鳥羽・浦村、民家の古文書に 三重、福岡、愛知で5例 /三重 | 毎日新聞
  • 近世の石部 第四章 江戸時代後期の石部 第三節 天保の義民と石部宿-天保の義民

    kanototori
    kanototori 2014/06/27
    「亀光(ママ)元年の『近江国田畑御見分ニ付騒動写』(岡山大学付属図書館黒正文庫所蔵 裏表紙に「隠岐邑浅五郎書」とある)」
  • 近世| 古賀の歴史| 古賀市の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページ

    古賀の海岸と花鶴浦 かつて白砂青松の景勝地として知られていた古賀の海岸は、黒田氏による砂防政策として宝永3(1701)年と元文3(1738)年に植林されたものでした。 この松林は大正時代まで厳しく守られていました。 市域には花鶴川河口付近に「花鶴浦」と呼ばれた漁村が一ヶ所だけ存在しました。 しかし、砂丘に展開する河口を利用した港は良港とは呼べず、明暦4(1658)年に港としての機能を返上、漁業権と海上交通に関する賦役は新宮浦と福間浦に分け与えられました。 近代の水利事業 農民にとって、毎年の米の作柄は非常に重要でありました。市域に見られる多くのため池は、江戸時代に造営されたものも少なくありません。 また清瀧仕掛水など用水路の開削は、費用と水利権が絡み簡単には行なえない大事業でした。 天候不順の際には各地の神社仏閣で祈祷が行なわれており、神社にはそのとき奉納された絵馬などが残されています。

    kanototori
    kanototori 2014/06/23
    「山本屋甚兵衛名義の『講鋪證文之事』にも「亀光元年戌九月」と」
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