日本とインドネシアの間では、1958年に平和条約と賠償協定が結ばれ、賠償と請求権問題は解決されました。 「慰安婦」問題は、インドネシアでも1992年に注目を集め、最初に名乗り出た女性が現れました。そこで法律扶助協会ジョクジャカルタ支部が1993年に名乗り出た女性の登録をはじめました。その後1995年、元兵補連絡フォーラム協会も元「慰安婦」の登録をはじめました。これらの登録には元「慰安婦」のケースのほか、レイプその他さまざまなケースが含まれているようで、その数は膨大なものになりました。 このような状況の下、日本政府とインドネシア政府は協議を進めました。その結果、1996年11月14日インタン・スウェノ社会大臣はインドネシアにおける「慰安婦」問題についてインドネシア政府の見解を発表しました。その内容は次のようなものです。 「慰安婦」問題はインドネシア民族にとってその歴史の中で忘れ難い暗い側面で