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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/tatsu2 (28)

  • 劇場アニメオーディオコメンタリー傑作選 - subculic

    アニメのオーディオコメンタリーが好きだ。とりわけ、スタッフコメンタリーと呼ばれる演出家やアニメーターなど、制作スタッフによる裏話を聴けるものがいい。今回は劇場公開されたアニメ映画のコメンタリーの中から、聴き応えのある傑作をチョイスして紹介したい。あくまで自分の聴いた範囲の作品になってしまうが――、一度まとめておくにも良い機会だった。また、レンタル版にコメンタリーが収録されているかどうかも合わせて記しておこうと思う。参考までに。■関連サイト:アニメDVD・BDのオーディオコメンタリー出演者一覧まずはアニメ映画コメンタリーの「マストアイテム」と呼べる3。 ■風の谷のナウシカ (レンタル版収録有り)出演者/庵野秀明、片山一良これが日一有名なアニメコメンタリーではないか。当時一原画マンとして参加し、巨神兵のパートなどを担当した庵野秀明と演出助手だった片山一良による実況解説。話の中心はあの「ナウ

  • 京都アニメーションはなぜ回すのか? 「さすがの猿飛」をみよ! - subculic

    最初に断っておくと、これはトンデモ理論の類かもしれない。資料も少なく、証言も取れていない。「もし、そうだったら面白いな」というレベルの小話だ。さて、つきましては京都アニメーション。よく回す。どうしてだか回転大好き。『けいおん!!』『日常』『中二病でも恋がしたい!戀』それぞれのオープニングで回しているし、『エンドレスエイト』でも回転のモチーフが取り入れられていた。主犯は取締役・石原立也。そこで下記の記事を参照して欲しい。「中二病でも恋がしたい!戀」OPの回転カット「だって昔のアニメとかって背景とかも、引いたりぐるぐる回したりとかしながらキャラクターがぐるぐる回り込みで走ったりしてましたよ」と石原さんは話されているが、これはいわゆる「作画回り込み」を指しているのだろう。「作画回り込み」とは、カメラワークに合わせて背景まですべて作画で描く高カロリーのアニメート(細かく分類すれば、全背動回り込みと

    京都アニメーションはなぜ回すのか? 「さすがの猿飛」をみよ! - subculic
  • 「あなたの使っているその日常というのはどういう意味なんですか?」 - subculic

    「日常系アニメ」多くの場合、便宜的に使っているだけとわかっているのに、妙な引っかかりを覚えてしまう言葉。そもそも、アニメにおける日常とはなんぞや。これは押井守も高畑勲に問われた経験があるらしく、「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」(庵野秀明回)で明かされている。高畑さんて曖昧じゃないからねえ……むかし押井守とそれこそ雑誌で対談したときに、押井守が『赤毛のアン』の第1話、 これが僕がね、アニメーションをやるときに非常に大きな影響を与えられた。それで簡単に言うと30分の話を30分でやってた。 こんなことをテレビのシリーズでやっていいのか、と勇気づけられた覚えがある。 そこで描かれていたのはね、日常を描くということで……って言って、言った瞬間。 高畑さんがね「あなたの使っているその日常というのはどういう意味なんですか?」 って言ったんだ。したら押井さんがね、黙りこくったんですよ。 押井さんを黙らせるのは

  • 「咲-Saki- 阿知賀編」のアイディア――“竹井久メソッド” - subculic

    アニメーション『咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A』は原作者の小林立先生とアニメスタッフのアイディアが掛け合わさった作品だと思う。穏乃が原村和のインターミドル優勝をみて、かつての麻雀教室に足を踏み入れ、松実玄が待っていた場面。やっと来たんだ! いつか戻ってくると思ってたんだ!玄さんの優しさが染み渡る名場面だが、「誰かが来るのを待っている」のは編の部長である竹井久もそうだった。分の悪い賭けじゃ。今年新入部員が3人以上入るなんて、そんな可能性ほとんどないじゃろうが。そうね。でも、わたしがここ一番ってときほど、確率の悪い待ちを選ぶの知ってるでしょ。(『咲-Saki-』11話)竹井久が個人戦にも出場せず、一度きりのチャンスにインターハイ出場の夢を賭けた理由を「悪い待ちであがる」能力の延長だと説明しているのですが、これは原作にはなく、アニメシリーズ構成・浦畑達彦さんのアイ

  • 「精霊の守り人」とアニメ化、あるいは物語論 - subculic

    「物語」と「アニメ」の関係を確認したくなり、『精霊の守り人』を観直していた。『山月記』を取り入れたアニメ流世界観設定をはじめ、たしか氷川竜介さんが仰られていたのだったか「馬鹿と悪役が出てこない」し、人々が知恵を絞り、生き抜いていこうとする生活観、実に練り込まれている。とびっきり優秀な「原作付きアニメ」だと思う。神山健治監督が制作当時を振り返って、珍しくポジティブに語っている稀有な作品でもある。精霊の守り人 SET1 〈期間限定生産〉 [DVD] 麻生我等 ジェネオン・ユニバーサル 2010-08-25 by G-Tools『精霊の守り人』は原作を大胆にアレンジしてのアニメ化だったが、質実剛健な土台を作ったのは脚。神山健治という人は脚へのこだわりが尋常でなく、脚家チームを編成しての合宿、自ら執筆もするし直す。しかし、アニメの「脚」は視聴者にとって判別しづらいところも多々あり、「脚

  • 「戦う司書」ノロティのネバーエンディングストーリー - subculic

    『戦う司書』に登場するノロティ=マルチェは「世界は私のものなんです」と断言するキャラクターだった。はじめはいったい何を指して自分のものと言い切るのか漠然としか掴めなかったが、「どこかで誰かが幸せになったら全部あたしのものなんです。そんなに凄いことは他にない」という根拠を聞いて唸った。それは当に凄い思考の飛躍だ。悲しみや暗い世界があっても愛していける。幸せにするために行動する。魅力的なキャラクター揃いの『戦う司書』でひときわ異彩を放つ存在。彼女よりも強いキャラクターはたくさん居る。けれど、ノロティほど壮大で飛躍した愛を持ったキャラクターは居ない。最も優しく、最も大きな愛情を持つ、最優と最愛の融合体のようなノロティは「憧れ」。手を伸ばしても届きようがない、見上げる存在だと思っていた。そんな「憧れ」を紐解くために、かれこれ十数年ぶりに『ネバーエンディングストーリー』を鑑賞。『戦う司書』に出てく

  • アニメを「切る」という表現に含まれるニュアンス - subculic

    アニメーションテレビアニメに対して「切る」という表現をみかけるようになったのは、いつ頃だろう。頻繁に、とまでは言わないが、たまに「アニメを切ると言うのはいかがなものか」と提起されている場面にでくわす。微妙なニュアンスを残す表現だなと思っていた。少し、考えてみたい。そもそも、「切る」と表現されるのは利便性に優れているからだろう。カジュアルに意思表明できる。視聴意欲がない、途中で観なくなったと書くより、「切った」と書けば短く断定をもって伝わる。加えて、ヘビーユーザー的な表現だとも思う。現在放送している、または放送予定のテレビアニメ(クールで区切られる深夜アニメや一部朝アニメに限定されることも多いが)の“すべて”を候補としてチェックリストを作成する思考方式だ。ひとつふたつではなく、候補の多さゆえに使われる表現。これは同人誌即売会における買い手のサークルチェックに近い。行きたいサークルが多くなると

    karimikarimi
    karimikarimi 2012/06/18
    「切る」「クール」
  • 「花咲くいろは」 に流れる時間はマジックタイム - subculic

    アニメーションひとまずの終着を迎えた『花咲くいろは』について。P.A.WORKSの新たな代表作に相応しい作品になったなあと思う一方、気になる箇所もあります。女将の病気のくだりや、孝一に恋していたメガネが素敵な五十嵐波子だとか。そうそう、いちばんはじめの緒花の台詞が意味深に聞こえた父親話も出てくるかと睨んでいたらまったく絡まなかった。前を見つめる青春のフィルムに、辛く悲しい話は似合わないとする旨があったのでしょうが、すこし不思議な按配にも思えるのです。具体的に挙げてみましょう。観ていて「んん?」と感じた最大のポイントは文化祭。緒花・民子のクラスではなく、菜子のクラスの在り方。美術部の水野枝莉が描いた絵を展示すると決まったのに、準備を行うのは人と文化祭委員の菜子だけ。それほど人手のかからない出し物とはいえ、準備に出てくるのが2人、他のクラスメイトは何故手伝いに出てこないのだろうか。緒花に文化

  • 「うさぎドロップ」は幸せなアニメだった - subculic

    アニメーション『うさぎドロップ』の第1話を観たときの衝撃はすごかった。なにせ、次の日には原作を買いに走っていた。精緻な心情描写、柔らかな色使い、子供と大人の対比的なカットワーク、ダイキチの三十路過ぎという設定からも社会人の感情移入が加わり、これは原作を買わねばと焦らされたものだった。そして原作を読み、再度アニメを鑑賞し、亀井幹太監督以下スタッフの読み込みの深さに舌を巻く。なんて余念のない尺の使い方なんだと。丁寧に原作を膨らませ、11話しかないノイタミナの枠でほぼ原作のペースと相違ない第1話にしてしまっている。原作の4巻分にあたる“前半部”に絞ってアニメ化すると調べてわかったが、それでも24話(1巻につき6話)あるのに、目移りせず、腰を据えてダイキチとりんの出会いを描いている。“はじまり”にはこれだけ時間を使ってもいい、言い換えれば、物語上大切な挿話は手塩にかけて育てていきますよという作り手

  • 「戦う司書 The Book of Bantorra」4話 夕方とシロンとコリオ を振り返って - subculic

    アニメーションシリーズ構成:岡田麿里 脚:花田十輝「コリオ=トニスを愛していると」たったひとつの台詞ですべてが報われるなら、それはきっと美しく、幸せな物語なのだろう。良回揃いの『戦う司書』から構成・脚に唸らされた挿話をひとつ。1話以来続くコリオ=トニスとシロン=ブーヤコーニッシュの物語を締める4話、ガジェットと張り巡らされた伏線に感嘆の声をあげずにはいられない。シロンは250年前の人物で1000年先の未来をも予知する大予言者にして、神溺教団の真人。コリオの体内に爆弾を埋め込みハミュッツ=メセタを殺せと命じた教団の祖にあたる少女。コリオがシロンの(生涯の記録)に触れたからといって、シロンが実は教団に操られ、己の意とはそぐわぬ生涯を送っていたことを知ったからといって、恋心を抱いてしまったからといって、シロンと心を通わすなんて到底出来るはずがない。意中の相手は大昔に死んでしまっているんだ―

  • アニメにおけるバスケットボール描写について - subculic

    アニメーションアニメ『ロウきゅーぶ!』が放映されはじめ、バスケットボールを描く難しさについてちょくちょく考えたりしています。でも一口にバスケ物といっても幅広くて困りもの。すごく大雑把にいうと素人か経験者か、スタート地点で大きく分かれると思うのですが、バスケットボールの素人と経験者では何が違うのか、これが問題になってくる。自分の経験談で申し訳ないですが、学生時代バスケ部に入っていたときの思い出を引っ張り出してみると、入部してまもなく、先輩(経験者)と自分(素人)のプレイの質で何がちがうか判りました。単純に、左手の使用頻度が右手と遜色ないのです。右利きの人間は右手のドリブルが得意。カットインに行くときも右から抜こうとする確率が高いという自明の理。たぶん先輩方もそうだったのでしょう。1年生は右から抜きに掛かり、左のドリブルは甘いと明らかに知っている動きをするのです。これが経験者と素人の最も初歩的

  • 「花咲くいろは」はどうして低いポジションで映すのか - subculic

    アニメーション以前書いた「花咲くいろは」の「足」と演出 の追記に近い形。相変わらずローアングルや足元の描写が目立つコンテ。各話に必ず足元を映すカットが挿入されていることからも、低めの意識が統一されているといってよさそう。何故、「低い」のだろう。客商売の旅館経営、お客様に対して従業員は低姿勢であるポジションの意識付けや、前述のエントリーにも少し書きましたが、歩き出す・走り出すという成長への道程、など色々と考えは浮かんできます。そういうことにしておけばいいのですが、『true tears』が好きな自分は少々飛躍をつけてしまう。『true tears』は飛ぶことが重要なテーマでした。天空から見下ろすような俯瞰が多用され、象徴的にカモメや防波堤、木に登るといった行動、場所、動物が随所に見られた。とりわけニワトリの「じべた」は飛べないモノと言われ、軽蔑を受けていましたが、終盤になってじべたの心情が明

  • 「花咲くいろは」 フレームの中の世界を探ってみよう - subculic

    アニメーションフレームの中の世界を探っていくと新しい発見があったり、驚きがあったりする。アニメのレイアウトは画面の設計図と呼ばれますが、遊び心に溢れた意図(かもしれないもの)を見つけられたとき、より面白くなってきます。いつもの散歩道で見る風景を、ちょっと変な角度で捉えてみよう、それくらいの感覚で。つまり、『花咲くいろは』のグッときたところを書いてみよう記事。 ■「枠」を作るということ / フレームのイメージまずは3話の頭のシーン。桂剥き、うらみつらみはバケツの中へ。バケツの丸い枠が主題となるフレーム。薄く切られた大根に、「うざい」「死ねっていうなっていう」だとか、延々と書かれているよう。白紙に白文字で恨み言。角張っていると堅く見えてしまうのが、「丸い」おかげでちょっとおとぼけ、民子の独り言が可愛らしく思えてくる。徹が右上の小窓を開けて登場しますが、アイコン形。上手下手で対角線上に視線が流れ

  • 「花咲くいろは」第一話冒頭シーンの解釈考 - subculic

    アニメーション今更ですけどね、好きなシーンなんです。詳しく書いておきます。作品のファーストカット。どんな映画やアニメでも、最初のカットは悩みの種。『花咲くいろは』は、電子レンジの内から覗くカメラではじまる変り種でした。電子レンジが開き、サランラップをかけた春巻きを入れるまで。料理の名前に「春」が付くように、春巻きの名称の由来は、元々は、立春のころ、新芽が出た野菜を具として作られたところから「春巻」と名付けられた。ですから、緒花もまだ新芽、作品もはじまったばかりの新芽、ふたつを掛けて春巻き。それを温めるための電子レンジ。「冬から春へとチンする物語」ですよというための意図を筋に、『花咲くいろは』とタイトルを出しておきながら、春巻きをチンするちょっとしたジョーク交じりのカット。どうして電子レンジの中にカメラを置いたのかに関して。緒花の視点で映すとですね、左手が先に画面に入ってしまう。想像してみ

  • 「花咲くいろは」の「足」と演出 - subculic

    アニメーション『true tears』の後継な感もしますが、邦画や連ドラっぽさを受けるからでしょうか。1話を視聴した時点では、仕事というより「部活もの」に近い印象がありました。世知辛さ、理不尽、どれにしても、社会人の目線で描いた方が説得力は乗るし、「高校生」という“若さ”の権化を主に置いてしまっては仕事が部活ノリになってしまうのでは、と。そんな危惧を2話でぶっ飛ばしてしまったのだから、いやはやさすが。ねちっこい台詞の数々といい、ちょっと恥ずかしくなる昨日を振り向かない突っ走り方といい、岡田磨理の青春節がそこら中に散りばめてある。「部活」から「仕事」へ半歩踏み出した状態を描けるのは高校生しかあり得ない、そんなニュアンスで作られているように思います。緒花の境遇をもっと酷くして、親族のうんたらが出てきたら「連ドラのアニメ化」になりそうですが、おそらくはそうはならないんでしょうね。青春のデフォルメ

  • 「スーパーロボット大戦OG -ジ・インスペクター-」のサプライズ主義 - subculic

    アニメーション終始「アニメでコレをやってくれるとは!」を貫き通した作品も珍しい。いわゆる“サプライズ”の応酬。サプライズと一口で言っても、加減を間違えると改悪と叫ばれてしまうケースもあるし、どこまで原作通りにやってどう原作を超えるか、調整の難しさは語るまでもなく、実践できた作品は大抵名作入り。あんまりない。「サプライズ」と呼ばれる驚かせ方は、ポジティブな方向の、肯定的な意味合いの言葉。そこをいくと『スーパーロボット大戦OG -ジ・インスペクター-』はサプライズの見市のようなアニメで、毎回驚きと興奮があった。最終回の勢いたるや、壮絶なまでの必殺技&サプライズのオンパレード、スパロボにありがちな「ボスユニットには出し惜しみなく、気力120~150で使用可能の必殺技を精神コマンドフル使用の上に連続でぶち込む」アニメ化をここまでやるかオイオイと突っ込みたくなるほど。もー、原作通りの武器で原作通り

  • 面白い2クールアニメとは 「戦う司書 The Book of Bantorra」を例に - subculic

    アニメーション | 周りから面白いと聞き、視聴してみたら当に、相当に面白かった『戦う司書 The Book of Bantorra』。短編(2〜4話)を基としながらも、短編を連ねる中に全体の伏線を織り込み、集束していくスタイルの2クールアニメなんですが、『カウボーイビバップ』や『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』の系統じゃないかと思うんですよね。視点キャラクターが短編ごとに変わるのは共通しているし、能力バトル要素は後者と通ずる。シリアスにドラマを正面から描いているのもそう。どうして短編を連続させた2クールアニメが好みなのかなーと考えたとき、まずもってキャラクターの描き幅が格段に広い。メインキャラクターを短編ごとに視点キャラクターにすることもでき、なおかつゲストキャラクターを主人公に持ってきても2クールなら余裕がある。ビバップでいうSession#8「ワルツ・フォー・ヴ

  • 「ストライクウィッチーズ2」 少女たちはオラーシャを横から見たかった - subculic

    アニメーション『ストライクウィッチーズ2』6話について。各所で絶賛されていますが、スト魔女版「ヤシマ作戦」、トップやオネアミスといったガイナっぽさが良かったのか、演出か、エイラ・サーニャか、たぶん全部複合的に面白かった。少し角度を変えて見ると、かなりエイラの“選択”が鍵となっていて、彼女の選択が結末を左右する話なんですね。シールドを使うか否かにはじまり、サーニャの枕を避けるか否か、超高高度までサーニャと共に飛ぶか否か。何処か1つ選択を違えればエイラは空より高くは飛べなかった。全てに繋がりがあるのだから、飛べるはずがない。宮藤・サーニャ組であっさり終焉してしたかもしれない。でも、エイラはサーニャと一緒に飛んだ。諦めなかったから。「if もしも」が片隅にチラつくけれど、絶対やってくれるという感覚には憶えがあるんですよ。夏の定番、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』。プールの競争に端

  • コミックマーケット78発行のアニメーター/アニメ関連同人誌 - subculic

    同人誌毎年、夏コミが終わると季節の巡りを感じるもので。恒例(?)の同人誌紹介兼次回へのメモクリップ。壁配置のサークルはお馴染みかもしれませんが。 ■馬越嘉彦原画集 / BBM発行者・馬越嘉彦。『キャシャーン Sins』オープニング、『グラップラー刃牙』、『PROJECT ARMS』、『君に届け』、『も〜っと!おジャ魔女どれみ カエル石のひみつ』、旬の『ハートキャッチプリキュア!』原画、L/O修正などを収録。どれもこれも巧い凄い素晴らしいの三拍子感想しか出てこないんですが、原画の迫力を特筆すべきでしょうか。線一つ一つの生々しさ、荒々しくも繊細なタッチに圧倒される、まさしく勢いを感じられる原画集。編集後記で「包括的に作品をコントロールしている事を証明するかのような〜」と記されている通りですね。あずまんがの神楽ばりに「すげぇ!」と連呼しちゃう。 ■一歩前進! / 越中動画舗企画立案・大東百合

  • 「アマガミSS」イベント選択と平池芳正監督流カメラワーク術 - subculic

    アニメーションはるか先輩、相変わらず天然女王ですなー…。無邪気な好意にあてられて、勘違いしない男なぞ存在せまい。告白の受け流し方までイノセンス。だが、まだスタートした直後だ。これからが当の“男殺し”ターン!のっけから森島はるかルート、言わば「ド命」で始まった『アマガミSS』ですが、原作プレイ組としてはどうしても、一体どのイベントを採用するのか?に注目してしまいがち。というのも、元となった原作は膨大なイベント量を誇り、基の筋となる必須イベント以外にも山ほど映像化して頂きたい物がある。アニメ化に際し、入念な打ち合わせの末に何が選ばれたのか、楽しみにしていましたが、理解あるチョイスをしているようで。 美也とはるかのお風呂妄想&鼻血を見て、懸念材料が晴れた視聴者の一人だったりします。主人公である橘純一を語る上で、過去のトラウマと肩を並べるほど重要な“変態紳士性”を、いきなり炸裂させたことに意