2018年9月13日のアディダスのメルマガは「大坂なおみ選手着用アイテムのご紹介」と題されていました。1度リンクに触れれば、「大坂なおみ着用モデル」のタンクトップやリストバンド、スコート、シューズの購入画面へとひとっ飛び。快挙を成し遂げるアスリートの身体が、商品の広告塔であることなど、とっくにわかっているつもりでした。スポンサー契約を結んでいるからこそ、より良い環境で練習に励めることも知っているし、そもそもオリンピックに限らず、さまざまなスポーツイベントが政治的・経済的・社会的な思惑がぶつかり合う舞台でもあることなんて、もはや常識とすらいえます。でも、9月13日のその広告が、僕にとってはいつもとは少し異なる意味合いをもっていました。 言いようのない、不安。……なぜだろう。 少し考えて、きっと前日に読んだ『日刊ゲンダイDEGITAL』の記事の内容が、頭の片隅で残像として残っているからだ、と思
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