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2015年9月3日のブックマーク (3件)

  • 「我慢できてえらいね!」…でもその我慢は本当に必要?〜子どもの可能性を引き出すために親ができること〜

    理不尽なことを言われても、耐えることが大切という話を聞いたことがあります。 確かに社会人になった時、上司に叱られて逆上してしまったり、嫌な仕事はやらずに逃げてしまったりするのでは、その子は将来的に生きづらさを感じるかもしれません。でも、だからといって、その子に当に必要なのは「我慢できるようになること」なのでしょうか。 当は怒っているのに、我慢して怒りを押しこめる? 当は嫌なのに、我慢して仕事をする? もちろん、その我慢が将来的にその子にとって得をするものだとその子自身が感じられることならば、それでも良いでしょう。しかし、我慢すること自体が目的になってしまったなら意味がありません。 例えば、おもちゃを取られた子が我慢する時に「我慢して偉いね」と大人は言ってしまいがちですよね。 けど、それで良いのでしょうか。 「我慢すること」そのものが良いことになってしまっていませんか? 嫌な仕事を任さ

    「我慢できてえらいね!」…でもその我慢は本当に必要?〜子どもの可能性を引き出すために親ができること〜
  • ピーマン嫌いって

    教育番組なんかでピーマンを嫌っているシーンを見て、子どもたちが学習する結果生まれてるんじゃないかと思うことがある。 品種改良された最近のピーマンより、グレープフルーツや濃い目の麦茶のほうが、単体で口に入れる分体感の苦味は強そうだけれど、 それらが嫌いって話はあまり聞かない気がする。

    ピーマン嫌いって
  • カムアウトをしない「自由」はない、あるのは「不自由」だけ(インディペンデント・マガジンpe=po掲載原稿) - macska dot org

    (同性愛者らが)カムアウトをするべきかどうか、あるいはカムアウトするとしたらどういうタイミングでするかは、人の判断に任されているべきである−−それは、まったくその通りだと思う。勝手に「あの人は〜だ」とアウティングしてしまうのは、良いか悪いかと言えば悪いに決まっている。 でもそのアウティングについて、レズビアンの小説家で活動家のサラ・シュルマンは、1990年にThe Village Voiceに掲載した短い文章「Outing: The Closet Is Not A Right(アウティングについて−−クロゼットは権利ではない)」で、次のように書いている(超意訳)。 同性愛者の有名人を無理矢理クロゼットから引きずり出すことが道義的にどうであるかについては、わたしはよく分からない。しかしわたしが分かるのは、そうした行為を「プライバシーの侵害」と呼ぶことは、歪曲であり不誠実だということだ。ほと

    カムアウトをしない「自由」はない、あるのは「不自由」だけ(インディペンデント・マガジンpe=po掲載原稿) - macska dot org