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2017年4月6日のブックマーク (4件)

  • 文化としての涙 北澤毅編

    人は泣きながら誕生し、涙に送られて人生を終える。これまで生理的現象や個人の内面に生起した感情の発露とみなされてきた涙。書は、その社会性・文化性を感情社会学の理論研究と質的データの実証研究を通して明らかにする。相互行為場面、フィクションデータ、史資料を分析する多彩な視点が、構成主義的研究方法の可能性を拓く。 はしがき[北澤毅] 第Ⅰ部 感情経験への社会学的接近 第1章 感情はどこにあるのか――社会化・制度化への着目[北澤毅] 1. 感情概念再考 2. 感情の記述可能性について:実践することと記述すること 3. サックスの感情論:相互行為系列上の適切な場と意外性への着目 4. クルターの感情論 5. 情緒経験の社会的機能:感情調達装置としての儀礼への着目 第2章 感情社会学の変遷と課題――社会・文化性の問い方をめぐって[小野奈生子] 1. 感情経験の一般的なとらえ方 2. 感情社会学の基礎理

    文化としての涙 北澤毅編
  • きょうだいが賃貸住宅で自然死。そのとき誰が、何を、どうすればいいの?

    先日、タレントのいとうまい子さんが、兄の自然死とそれにともなう不動産会社の対応をブログで明らかにし、話題となっていた。晩婚化・未婚化が進み、一人暮らしの人が増えている今、賃貸住宅での自然死・突然死はひとごとではないというのが注目を集めた背景にありそうだ。では、実際にきょうだいや家族・親戚が自然死をしたらどうしたらいいのか、トラブルの相談先や予防の方法を専門家に聞いてみた。 自然死に気がついたら、まずどこに知らせる? 警察? 救急? まずは、いとうさんの話を整理してみよう。今年1月、いとうまい子さんの兄が、自宅で亡くなったという。眠ったままの突然死であり、殺人や自殺でもないとのことだが、不動産会社から「1日でも早く撤去させろ!」「フローリングを変えるから120万円払え!」といった心無い言葉をかけられたという。 きょうだいや家族・親戚が亡くなったとあれば、それだけでもショックは大きいもの。とは

    きょうだいが賃貸住宅で自然死。そのとき誰が、何を、どうすればいいの?
  • 九州大学入学式祝辞 「共感」の落とし穴 - ロバート キャンベル公式サイト

    建ったばかりの椎木講堂は満員。九大フィル演奏、久保総長の告辞、新入生総代による誓詞、同窓生紹介の後に、来賓すなわち私の祝辞。 人が「いいことをしたい」気持ちって何だろう、という疑問を中心に約10分の話。終わってから、「文字として読みたい」というツイートが流れたので、再録(というより、初めて公開)します。 なお最近、共感の危うさについての優れた考察がいくつか発表されています。今回はとくにPaul Bloomの Against Empathy: The Case for Rational Compassion (New York: 2016年)と

    九州大学入学式祝辞 「共感」の落とし穴 - ロバート キャンベル公式サイト
    karotousen58
    karotousen58 2017/04/06
    "理性に裏打ちされない「共感」ほど、危険なものはない"頭と身体を使って、自らがめざす営みを他者に丁寧に説明する言葉を磨き、ファクトを切り出して、論理と共感という綱渡りを自分に課し、それを繰り返すスキル"
  • 子供は「役割」や「仕事」が大好き、という話。

    大したことじゃない、というかもしかすると当たり前の話なのかも知れないんですが、改めて考えたら上手いなーと感心したので書いてみます。 長男、9歳。小学三年生(今月から四年生)。長女と次女は5歳の双子。 長男は小学校のクラブ活動でサッカーをやってまして、この前の日曜は多摩川沿いのグラウンドで試合がありました で、今回はしんざき奥様ともう一人保護者の方が引率役でして、小学生サッカー少年少女たちを11人くらい引き連れて、電車とバスでグラウンドまで行くことになりました。 大人の手が足りないこともあって私も着いていきまして、必然長女と次女も同行することになったんです。 皆さんご存知かと思うんですが、小学生男児って、一人でも結構な存在感ですけど、複数人いると暴れ具合が相互作用で幾何級数的に増えてくんですよ。 大人が目を離しているとあっちでぎゃーぎゃーこっちでふらふら、騒音にはなるわ非常に危ないわで、10

    子供は「役割」や「仕事」が大好き、という話。
    karotousen58
    karotousen58 2017/04/06
    「所謂『お世話係』に世話をしてもらわなければいけない、手のかかる子」という「役割」を押し付けられる子(特に発達障害系)もいる。投げ込み統合崇拝者は、「頼られたら嬉しいものよ」と騙して、子供を黙らせる。