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家庭教師をやっていると、けっこうな確率で学習障害、発達障害など、ハンディを抱えた生徒に遭遇する。理由はかんたんで、そういうハンディを抱えた子どもは、サポートを必要とする。必要なサポートが得られなければ、高額な負担をしてでも家庭教師を雇わなければならなくなる、というわけだ。それが一概にいいことなのかどうかはわからない。まあ、いろいろやってみることそのものは、わるいことではないのだろう。 ただ、どういうわけだか、私はまだ典型的な学習障害、典型的な発達障害の生徒を受け持ったことがない。家庭教師の仲間内の話では、かなり壮絶な事例を聞く。別段誇張があるとは思わないし、自分ならうまく対処できる自信もない。まあ、ここまでラッキーだったのだろう。私の運の良さは親譲りだ。 だから、発達障害についてのこんな話題に、何か具体的な事例で反応するわけにはいかない。 gendai.ismedia.jp この記事、まず
「地域」という名の地域はない ――「地域の絆を見直す」 ――「地域の活力を取り戻す」 ――「学校で地域の事情を学ぶ」 ――「防犯で大切なのは地域の目」 毎日のようにどこかで見聞きする「地域」という言葉。特に出没頻度が高いのは、役所の書類かも知れない。もし仮に「行政関連書類 頻出単語ランキング」みたいなものがあったとしたら、かなり上位に食い込むと思う。 でも、この言葉。あまりにも使われ過ぎていて、最近では意味の輪郭がぼやけてきている気がする。「書類」に好んで使われるということは、実は裏を返すと「都合の良い言葉」でもあるわけで、そういったものには何かしらのカラクリがあることが多い。 試しに「地域」を辞書で引くと、「区画された土地の区域。一定の範囲の土地」(『大辞泉』)と出てくる。つまり「地域」とは「一定の範囲の土地」のことなのだけれど、ぼくらはだれも住んでいない土地のことを指して、わざわざ「地
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