いよいよ、阿久根市長の竹原信一氏が社会ダービニストであることを宣言したようだ。 障害者への差別記述問題で謝罪して削除したにもかかわらず、「活力ある社会を作るために命の定義をしなければいけない。刈り取る作業をしなければ全体が失われる」などと、障害者や病人は一定、死んでもらった方が社会のためなのだと言わんばかの発言をしていたという。 そんなことで得られる活力とは何なのだろうか。活力のために、切られるべき人とはどこまでのことを指すのか。健全で健康な人だけで構成される社会の不気味さを考えたことがあるのだろうか。 先日も書いたが、障害者を公的に全面的に支援したところで、国全体では大した財政負担にはならない。障害者の福祉を充実させて、彼の言うところの「幹が腐る」なんてことはない。 あまりにも悪質な人物である。これでも護憲派なのである。 ●何人か仲間が入っているので書きたくはないが、「開かれた議会をめざ
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