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ブックマーク / www.momat.go.jp (7)

  • 声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 | 東京国立近代美術館

    声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 The Voice Between : The Art and Poetry of Yoshimasu Gozo インタビュー 展覧会について イベント イベントレポート 開催概要 6月7日から始まる「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」は、挑発的な展覧会になるだろう。というのも、いわゆる絵画や彫刻ではなく「詩」の展覧会になるからだ。展は「声」にフォーカスするという。それは、書くだけでなく、語る(パフォーマンス)、撮る(映像、写真)、そして旅することで詩について思考する吉増剛造だからこそ可能な再表象の手段と言えるかもしれない。 同展を企画した主任研究員の保坂健二朗へのインタビューを前後編に分けてお届けする。 インタビュー・テキスト:島貫泰介 取材日  2016年5月11日 ―― まず、なぜ東京国立近代美術館で吉増剛造の展覧会を開催することになったのかお聞きしたいで

  • 「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展 : 東京国立近代美術館

    Where is Architecture? Seven Installations by Japanese Architects 建築家によるインスタレーションは、いつも美術館が展示しているそれとはちょっと違います。意味のある新しい建築家によるインスタレーションは、いつも美術館が展示しているそれとはちょっと違います。意味のある新しい「空間」をつくるために、会場を実測し、模型などでスタディし、見積もりをとって唸り、次の案を考える……こうしたプロセスが、できあがった作品と同じくらい重要なのです。そこで彼らの「work in progress」を、特別にご紹介することとしました。各建築家が、不定期に、制作状況をアップしてくれています。人によって「スピード」や「量」が異なるのもポイントのひとつ。ちなみに空間の割り振りが全て決定したのは、2009年12月中旬のことでした。保坂健二朗(展キュレー

  • 展覧会情報ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ | 東京国立近代美術館

    展覧会について この展覧会は、アメリカ、ヨーロッパ、日のアーティストによる、60年代から今日までのフィルムとヴィデオ作品51点を集め、ご紹介するものです。 今日、どの現代美術展をのぞいても、映像作品を見かけないことはありません。しかし、この隆盛のよって来るところを知り、それらの作品を十全に理解するためには、実はそのスタート地点にあたる60-70年代の映像作品の理解を欠かすことはできないのです。この展覧会は、これらの作品をまとめて見る機会を、国内でほぼ初めて提供するものです。 さらにこの展覧会では、60-70年代の知る人ぞ知る名作と、60-70年代の可能性を今日に引き継ぐ現代の作品とが、ともに会場に並びます。ハイテクではなくローテクであること、大掛かりなスペクタクルではなくひそやかかつ過激であること、安易な結末を望むのではなく、いつまでも結末に行き着かない長い「プロセス」を重視すること、な

    展覧会情報ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ | 東京国立近代美術館
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    karura1 2009/04/10
  • 小松誠:デザイン+ユーモア (展覧会)- 東京国立近代美術館

    展覧会について 小松誠(1943- )は、磁器の清潔な白さと可塑的な素材の特質を活かし、自らのユーモアの感性を表して、日常の暮らしを豊かに楽しくする作品を次々と発表してきました。それらは今も新鮮であり、その活躍は現代日のプロダクト・デザイン界を代表するクラフト・デザイナーとして国内外で高く評価されています。 武蔵野美術短期大学卒業後、1970年スウェーデンのグスタフスベリ製陶所に入り、スカンジナビア・デザインを代表したスティグ・リンドベリのもとでデザインに従事しました。その経験を基に、1973年帰国、1975年に器物に両手の形を合体させたユニークな「手のシリーズ」で初個展を開催し、そしてシワのあるスーパーの紙袋から型を起こしてつくった磁器製の花器で知られる「クリンクルシリーズ(Crinkle Series)」で一躍脚光を浴びました。以来、石膏原型と鋳込み成形による磁器作品を主体にガラスや

    小松誠:デザイン+ユーモア (展覧会)- 東京国立近代美術館
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    karura1 2008/11/19
    東京国立近代美術館
  • 展覧会情報 - わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者

    展覧会について ときどき、自分というものの存在が、きわめてあやふやで頼りなく感じられることはありませんか? その不安のようなものは、どこからやってくるのでしょう。 「わたし」というものが最初から存在するのではなくて、「他者」 ― 社会に生きるほかの人々 ― との関係の中でできあがっていくものだとするならば、今日わたしたちが感じる、めまいにも似た存在の不安は、ただのアイデンティティの問題にとどまらないはずです。 「他者」とのコミュニケーションのあり方や、わたしたちをとりまく現実を認識するあり方の変化にも目を向けてみましょう。 価値観が多様化し、それがインターネットなどの高度情報技術によって増幅されることで、「わたし」と「他者」との関係は幾重にも複雑なものとなり、そのために「わたし」という存在は、定めがたいものになってきたのかもしれません。 しかし、このような混沌とした状況は、わたしたちが改め

    展覧会情報 - わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者
    karura1
    karura1 2008/01/23
    東京国立近代美術館にて。牛腸茂雄の写真も
  • 揺らぐ近代:日本画と洋画のはざまに (展覧会)- 東京国立近代美術館

    展覧会について 近代日の絵画は、しばしば日画と洋画という二つのジャンルに区別されて語られます。明治初年に始まったこのジャンル分けはその後美術界にも一般にも深く浸透していますが、実はこれは近代日美術史にとって重要な問題を多く含んでいるのです。 展覧会は、この日画と洋画が並存するという、100年以上にもわたって続いてきた美術状況を見直してみようとするものです。このことはひいては、「近代」「日」「美術」を問い直すことに通じることでもあります。また、そうした概念上の問題と同時に、この展覧会では、作家個々人にとっての日画・洋画の存在理由を検証し、実制作上の問題をも取り上げていきます。 いわゆる日画の名品と洋画の名品を時代順に並べていくこれまで繰り返されてきた方法では、そのはざまに揺れ動く絵画史の姿はなかなか見えてきません。展覧会では、両者のはざまに位置する作品あるいは作家に注目する

    揺らぐ近代:日本画と洋画のはざまに (展覧会)- 東京国立近代美術館
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    karura1 2006/10/19
    「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」
  • 東京国立近代美術館_本館: 写真の現在3―臨界をめぐる6つの試論

    展覧会について 東京国立近代美術館は、この秋、「写真の現在3」を開催いたします。「距離の不在」(1998年)、「サイト――場所と光景」(2002年)に続く今回のテーマは、「臨界」です。 写真にとって、ことなる領域が接しあう境界面は、つねに重要なテーマとなってきました。公(パブリック)と私 (プライベート)のはざま、都市の中心とその周縁のあいだ、あるいは写真という表現手段それ自体の輪郭……。その境界を越えようとするならば、大きな力が作用して、ものごとの性質はがらっと変わってしまうことでしょう。ですがそのような「臨界」に接してこそ、私たちは、世界の成り立ちの根源へと目を開くことができるのです。 今回この展覧会で紹介するのは、私たちの身の回りに存在しているさまざまなレベルの境界面に立ち、あらたな世界の輪郭を描きだそうとしている6人の写真家たちです。なにかが溶け出し、また別のなにかが像を結ぼうとし

    東京国立近代美術館_本館: 写真の現在3―臨界をめぐる6つの試論
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