変な比喩。
正しいことを言うのは簡単 正しいことをただ言うのは簡単だ。「戦争をするな」とか「国が悪い」とか。まぁ、これは左翼の正しいな訳だが。そうでなくても「環境を守ろう」とか「クジラを食べるな」とか。昔の学生運動時代みたいに、みんなで集まってシュプレヒコール。俺たちは正しいんだ!ただしいことを言っている俺たちカッコいい!!と素晴らしい様相が広がる。 そんな人たちは目的が違う。正しいことを言うのは手段だ。何の?自分に酔うための。あの人たちが一度でも何か生産的なものを作ったことがあっただろうか?いや無い。 自分はそんな左翼集団の中にいたことがある*1。自分たちは正しいんだ!!でも、みんなやる気がない。ただしいことをしているのに、9割の人は心が離れている組織にいた。もう、制度が腐って崩壊していた。でも、回り続ける。回らなければ死んでしまうから。何が正しくて、間違っているのか解らなくなるような、半分洗脳に近
他人の死を取り上げない 個人ブログ・個人サイトの文章なんて、何を書いたって自由だ。できれば責任持ってアップして欲しいけど、無責任な気持ちで公開したってかまわないはず。何書いた何言ったって自由な国に住んでいます。 で、コントロールする指標となるものはいろいろあるけど、法律とかマナーとかのほかに俺が大事にしてるのは、やっぱり美学かな、と思う。自分のサイトに載ってる文章の是非は、やっぱり自分の美学のもとに完全に統制されていて欲しい、と思う。 だから俺、興味ない人が亡くなっても、自分のサイトで取り上げたりしないんだよね。 俺、自分に関係ある人でなければ、誰が死んだって全然悲しくない。お悔やみの言葉すら捧げたくない。申し訳ないけど、世界じゅうの恵まれない子供たちが、俺がmp3ファイルで音楽聴いてる間に何の娯楽も享受することなくバタバタ死んでる事実がわかっても、全然胸が痛まない。ハンバーガーのおとも
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