について、稲葉振一朗『公共性論』に面白いアナロジーがあったのでご紹介。ちょっと長めの引用ですが。 (…)左翼は基本的には、凶兆や福音を告げる預言者として現われる、とイメージしたほうがよいでしょう。となれば無神論者よりもその前提たる唯一神教徒こそが左翼のモデルにふさわしい、ということになります。(…) 大雑把に言えば、使徒たる左翼の福音に触れた者は、自らもまた左翼として同道者となるか、懐疑的な保守主義者となるか、あるいは反動形成して右翼となるか、のいずれかでしょう。その結果は左翼の福音戦略の巧拙にはもちろん、福音に触れる側の態度によっても、またその他人々の努力ではどうにもならない環境要因にも規定されるはずです。(…) ということでアナロジーを整理しますと、普通の土着宗教は本書の用語法で言えば素朴な共同性であり、唯一神教と無神論とが公共性の地平で勝負を繰り広げているわけです。右翼とは公共性へと