そろそろ池田小事件とかどうでもいいと言うべき時期に来ている。今日のような警察国家を招いたのは池田小事件である。あれで、犯罪者を事前に捕まえるというエスパーのような試みが始まった。池田小事件では、宅間を止められなかった社会の罪というのが問われた。新聞記事は警察の記者クラブ発表を元に書かれるので、たぶん警察のシナリオなのだろう。あやしい人間を事前に捕まえるという発想が警察国家に有利なので、そういう絵が描かれた。 池田小事件がミスリードされているのは、あたかも誰も罰せられていないという心象である。そういうイメージを持たされてるのだ。宅間は(確かに本人の発言通り)好んで死刑になったので、われわれが罰を与えたという感触はない。死刑を嫌がる人間を死刑にしないと刑罰のゲームにならないからだ。宅間は勝利宣言とともに立ち去っていった。だから誰も罪を背負ってないので、宅間の代わりに、社会が罪に問われたのである