はてなーは応援してやれ
大相撲初場所で、幕尻の徳勝龍(33=木瀬)が初優勝を果たした。 徳勝龍には特徴的な動きがある。土俵際で相手を突き落とした際、両手を万歳し、片足立ちになって残る。どこかユーモラスなこの場面は、早くから相撲ファンの「ネタ」にされてきた。ツイッターでは5年前、このポーズをコラージュした画像があふれ「#徳勝龍クソコラグランプリ」というハッシュタグまでできた。 突き落としは「相手の肩や脇腹に手を当てて突き落とす」という技。今場所特に、徳勝龍の武器になった。8日目に加え、10日目から5日連続で決まり手は「突き落とし」。右からも左からも突き落とせる動きの良さがある。あの「万歳ポーズ」は8日目に飛び出した。 木瀬部屋の部屋付き親方である稲川親方(元小結普天王)は、徳勝龍の相撲について「左四つの型を持っているのと、小技がうまい。あとは、突き落としの感覚を持っている」と言う。徳勝龍の突き落としについては「独特
28日に現役引退した大相撲の元大関豪栄道の武隈親方(33=境川)が29日、東京・両国国技館で会見を行った。26日まで行われた初場所を自身9度目のかど番で迎え、5勝10敗と負け越して関脇陥落が決定。10勝すれば大関復帰となる、ご当地の春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)での奮起も期待されたが、27日までに現役引退の意向を日本相撲協会に伝え、28日に現役引退と年寄「武隈」襲名が決まった。 主な一問一答は以下の通り。 -引退を決めた心境 豪栄道(以下豪) 自分の中ではやりきった気持ちがある。今は満足している。 -引退を決めた要因 豪 数年前から大関から落ちたら引退しようと心に決めていた。今場所で大関から落ちることが決まって、来場所相撲を取る気力がなかった。 -葛藤はなかったのか 豪 自分自身は迷いはなかったけど、いろんな方たちから説得された中で、自分勝手なわがままで引退とした。そこは申
初場所中、国技館のロビーなど人が集まる場所で押尾川親方(元関脇豪風)を見ない日はなかった。本場所後の2月1日に引退相撲(両国国技館)を控えており、PR活動に懸命だった。 常にチラシを抱え、観客と対話しながら来場を呼び掛ける。自身のツイッターでは毎日、空席情報をつぶやく。昨年初場所での引退後から、ほぼ休みなく準備を進めてきた。故郷の秋田に戻って宣伝もした。「チラシは数万枚、配ったでしょうね」と押尾川親方。来場者への土産に入れるオリジナルグッズは、自ら考案した。 ここまで熱心に動いた親方は見たことがない。「圧倒的だとよく言われます。こういう経験はなかなかできません。最初で最後のセレモニーは、記憶に残るようなものにしたいですから」。引退相撲は、集客が自らへの実入りに直接影響する。元稀勢の里の荒磯親方のようにチケットが即完売する人はまれで、営業努力は欠かせない。 引退相撲の見せ場は、いくつかある。
28日に現役引退した大相撲の元大関豪栄道の武隈親方(33=境川)が29日、東京・両国国技館で会見を行った。 ◇ ◇ ◇ 大阪生まれで、寝屋川の中学校に通っていた共通点もあり、豪栄道とは“裸の付き合い”をさせてもらった。ある年の九州場所前。「いつも博多に着いた最初の日に行く店があるから来る?」と誘われた。指定された中洲の某所へ行くと「サウナに入ってから行こ」と言われて、2人そろって汗をかき、湯舟につかった。既に大関だったが、一般人の目など気にしない。おおらかな、お相撲さんそのものだった。 義理人情には本当に厚い。大関昇進直後の14年秋巡業。京都・福知山の焼き肉店で「昇進祝い」をしたことがあった。すると「借りはつくらへんよ」と言って、九州場所前に、博多で絶品牛タン串をごちそうしてくれた。紅白歌合戦出場歴のある人気女性歌手との会食を断って、記者との食事会に来てくれたこともある。「こっちの
そうかー 豪栄道、引退しちゃうかー 残念だなー もう乳首見れないねー 眞鍋かをりの乳首の色は、豪栄道のと同じ。(本人談) ...ていうのを知って以来、相撲中継見てるとつい豪栄道の乳首を凝視しちゃうんだがなーw
元小結高見盛の振分親方(43)が東関部屋を継承する見通しであることが29日、分かった。30日の日本相撲協会理事会で承認されれば、名跡を「東関」に変更して新師匠になる。 元幕内潮丸の先代師匠は昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、当面は同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきなども案として浮上した。だが東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたっていないこともあり、東関部屋関係者は存続の道を探っていた。 振分親方は、先代が入院していることが多かった昨年、師匠代理として稽古場で指導。師匠会にも代理として出席するなど、継承するには最適の立場だった。慎重な性格もあって悩み抜いたが、周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先。初場所中の高砂一門会でも、振分親方が継承することで話がまとまった。錦戸親方(元関脇水戸泉)は「ど
日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で理事会を開き、元小結高見盛の振分親方の年寄「東関」の継承と襲名、東関部屋の継承を承認した。両国国技館で行われた師匠会に参加した東関親方は「今も正直、いろいろと落ち着かなくてドキドキしている。できることを精いっぱいやりたい」と心境を明かした。 元前頭潮丸の先代師匠は、昨年12月13日に血管肉腫のために41歳で死去。師匠不在となり、同じ高砂一門の「八角部屋預かり」となっていた。他の部屋への移籍や、一門内からの新師匠の抜てきも浮上。しかし周囲のサポートもあり、育った部屋の存続を優先した。東京・柴又に部屋を新設してから約2年しかたってないこともあり、部屋関係者が存続の道を探っていた中で、春場所前に一段落する形となった。 師匠としての心構えを聞かれた東関親方は「まずは力士たち。親方として相撲を教えるだけではなくて、仮に相撲がダメになっても、第2の人生を考えてあ
ポエマー大臣がいいこと言っていたが、これは本当に「休」なんていい方が良くない。 少なくとも、少子化で育児子育て大事って言ってる中で、それに専念している人をお休み扱いしてるのはどうかと思う。 戦時中の兵役はまぁ大なり小なり行きたい行きたくないに関わらず、敬っていたわけで、現代の兵役=育児くらいの認識にしないと。 少子化なのに子育て期間の人たちを休んでるってさ。どうなんそれ。 兵役だよ兵役。 育休終えて帰ってきたら凱旋だよ。 仕事で働いている方が偉いみたいな感覚だから休むなんて使うんだよ。 育児の方が忙しいし休みは無いし寝る時間も削られるし常に臨機応変だし常に命がかかってる。 もうね、育役。 という意識になるような流れってのはどうやって作るんだろうかとも思うけど、以外と大臣の発言はその一歩だったかもしれないと思う。
野良アライグマとかを鍛えて人間とコミュニケーションが出来るまでに育て上げたら 労働力不足の猫の手も借りたい一部の業界とかに投入できるんじゃないの?
※この記事はワニウエイブ/文章書く彦さんのnoteから転載したものです。 実は去年末あたり「シェンムーIII」のレビューに取り組んでおり、結局うまく書けずにわやになってしまったりなどしていた。なぜうまく書けなかったのか自分なりに分析すると、あまりメディア向けの言葉をつかって説明するのに適していない(とオレは感じる)ゲームだからなのではないかというような気がした。お行儀の良い、「レビュー」の言葉遣いでは、少なくともオレにとっての本作を正確に描写することはできない。「シェンムーIII」は、有り体にいえば中年ゲーマーの懐古主義であり、アジアへの(誤解に基づいた)憧憬であり、ここではないどこか、今ではないいつかに作られたゲームかのようだった。だから本作をたった今現在、この場所から語ることには多大な困難が伴う。昨日見た夢の話をするようなもんだからだ。 ライター:文章書く彦 主にPCゲームや海外ゲーム
かなりレアな体験でしたし、ネタっぽくもありましたから、そこそこ反応はあると思いましたが、こんなに反応いただけるとは思っていませんでした。質問がかなりありましたので支障のない範囲で答えます。 ・性別は? 残念ながら、50代男性です。これが20代の女性ならセンセーショナルでしたよね。 ・ご褒美だったんじゃないの 図星です。人前で裸を晒しても羞恥心は感じないようになってしまっていて、むしろ、どこまで裸のままなんだろうと興味津々だった自分がいました。連行のときは「何かかけてやった方が良いんじゃないですか?」って言ってくれた警官がいたのですが、リーダー的な警官が「自分で脱いで歩き回るような奴は裸のままで良い」って言ってそのまま連行されました ・釈放されたときは裸? 逮捕時脱いだ服は公園の入り口に置いていたのですが、犯罪の証拠品として押収された形だったので、連行のときに着ることは出来なかったのです。釈
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