小坂忠が1968年に「ザ・フローラル」というバンドのヴォーカルとしてデビューした頃、日本にはまだ確たるロックシーンは存在していなかった。 加熱するGSブームの渦中に売り出されたザ・フローラルだったが、1967年から始まったグループサウンズの全盛期は短く、翌年には早くも下降気味になってしまった。 そこでブルース・ロック志向を打ち出したザ・フローラルは、新メンバーに細野晴臣と松本隆を迎え入れている。(注) そして英語の歌詞でオリジナル曲をうたうバンド、「エイプリル・フール」となったのである。 ところがサイケデリック・ロックへの指向性を強める柳田ヒロと、新メンバーに加わった細野晴臣の音楽性がうまく噛み合わなかったことから、デビュー・アルバムを作ったまでは良かったが、発売と同時にバンドは解散という結果になってしまう。 細野晴臣が当時の心境をこう語っている。 当時、僕はサイケバンドも聴いていたけど、