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日本語に関するkaskzkasのブックマーク (6)

  • 三森ゆりか『外国語で発想するための日本語レッスン』 - Jablogy

    外国語で発想するための日語レッスン 作者: 三森ゆりか出版社/メーカー: 白水社発売日: 2006/05メディア: 単行購入: 4人 クリック: 38回この商品を含むブログ (15件) を見る 書のタイトルである「外国語で発想するための日語レッスン」とは、「テクストの分析と解釈・批判」(critical reading)を母語である日語でも身につけておくことによって、外国語で中級の以上のレッスンを受けたり議論したりするときに必要になる基礎力を養おうというもの*1。 次の記事は日と欧米のライティング教育の違いからくる差を教えているが、リーディングにおいてもやはり状況は同じようだ。 BERD 2006年 6号:日米仏の思考表現スタイルを比較する ──3か国の言語教育を読み解く── 渡辺雅子[国際日文化研究センター助教授] 書の第1章で示されているのは、欧米の国語教育において「テ

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  • 必読文献が浮かび上がる→引用マトリクスで複数の文献の関係と分布を一望化する

    (忙しい人のための要約) 引用マトリクスの作り方 1.表の上端に集めた論文名等を横方向にコピペ 2.集めた論文から参考文献リストをまとめて縦方向にコピペ 3.他の文献を参照している箇所を拾い出して表を埋める 4.言及が多い順に被引用文献(行)を並び変える 何も知らない分野について、いや自分の知りたいことが何の分野の事項なのか分からないことについて、基文献を探したいとしよう。 独学者にとってはかなり不利な(しかしよくある)状況にあっても、英語の文献を探す場合には、検索エンジンやデータベース以前から、紙のツールと標準的な手順が存在する。 (1)専門事典(Special Encyclopedia)の横断検索ツールを引く(どの辞書のどこに載っているかが分かる) レファレンス、この一冊/事典の横断検索ならFirst stop : the master index to subject encycl

    必読文献が浮かび上がる→引用マトリクスで複数の文献の関係と分布を一望化する
  • 太宰治の文学の変化をTopic Modelで分析する · Naoki Orii's blog

    海外に長い間住んでいると、日語の活字を無性に読みたくなることが頻繁にある。青空文庫はその飢えを満たしてくれるサイトのうちのひとつだ。夏目漱石、芥川竜之介、宮沢賢治など名だたる作家の作品が収められているが、中でも太宰治の作品は私にとって特別な存在だ。 太宰治というと、「人間失格」のテーマ及び彼自身の入水自殺のインパクトがあまりにも強いためか、「暗い」「陰」というイメージがあるようだ。例えば、私がまだ日に住んでいた頃に軽い病気を患って1週間ほど入院していた時のことだ。元来読書が好きだったので、「久しぶりに集中してを読む時間が出来た」くらいの軽い気持ちで「太宰治全集」を読んでいたら検温をしに来た看護師の方に「大丈夫ですか」と深刻な表情で訊かれたのを今でも記憶している。実際のところ、太宰は一貫して「暗い」作品を書いていたわけではなく、「お伽草紙」「富嶽百景」「走れメロス」などの明るい作品も

  • 日米仏の作文の作法から広がる、作文、語り方、思考様式の話

    Hiroshi Matsui(松井博)@Brighture CEO @Matsuhiro 英語版のwikipediaの情報量と緻密さは日語版の5〜10倍ぐらいある。ネット上における日語の情報はわずか4パーセントほど。英語は24パーセント。深さが違うに決まってる。 タクラミックス @takuramix @Matsuhiro この量及び緻密さにおける格差は、良質な日語の書き手の不足にもあるのではないでしょうか?伝わる文章を書くための教育が、日は圧倒的に不足しています。

    日米仏の作文の作法から広がる、作文、語り方、思考様式の話
  • 「汚名挽回」という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からない - こりゃ、ほたえな

    この記事は【こりゃ、ほたえな: 「汚名挽回」という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からない】に移しました。

    「汚名挽回」という言い方は間違っている、とする主張の根拠が分からない - こりゃ、ほたえな
  • 「飲み」と「呑み」について

    飲酒を「飲み」ではなく「呑み」と表現することに違和感がある、というか引け目を感じる。 こういった認識の根底には「飲酒=レクリエーション及び娯楽のための手段」という定式が私の中で成立していることもあるだろう。だが、それを抜きにして考えてみても、やはり違和感がある。字面の問題だろうか。 「飲み」という言葉は体内に摂取するような意味合いで用いられているということがある。そこには人間の主体性があり、飲酒に用いられた場合、ほろ酔い気分を連想させる、みんなでワイワイしゃべりながら「飲む」という楽しそうなイメージを与える。 これに対して「呑み」という言葉は「丸呑み」という言葉に象徴されるように、外部からの不可抗力のようなものを受けているように感じる。謂わば人間の主体性がアルコールに脅かされているイメージがあり、ほろ酔いどころではなく泥酔を想起させる。 「呑み」という言葉はどちらかというと未成年者の飲酒で

    「飲み」と「呑み」について
    kaskzkas
    kaskzkas 2013/02/08
    今エロゲとかでも丸呑みジャンルきてますもんね!
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