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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/tatsu2 (6)

  • 「響け!ユーフォニアム2」7話のバリサクソロ/藤田春香の演出 - subculic

    原作を読んだときから吹奏楽部部長・小笠原晴香が駅ビルコンサートで吹くソロは期待していた。普段、部の中心である田中あすかの影にかくれがちな晴香が、前に出てノリノリのソロを披露する。これはぜひアニメで観たいな、と思っていたのだ。 『響け!ユーフォニアム2』7話で描かれたアニメ版のソロパートは、期待以上の映像に仕上がっていた。原作では「A列車で行こう」だった曲が「宝島」に変更され、アルトサックスで吹かれることの多いソロ(原曲はピアノ)をバリトンサックスで吹く。それだけでも見応え・聴き応えのある上、アニメならではの「動き」にも目を見張るものがあった。懸命な晴香の表情とリズム良く走る運指に加え、臨場感あるカメラワークが盛り立てる。 たとえば麗奈がそうであるように、ピンと背筋を伸ばして前を見て吹くのが作の基的な演奏スタイルだ。カメラも正面から演奏者を捉える。それがこのソロでは、正面にカメラを置いて

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    kast
    kast 2016/11/20
  • 西住みほは白旗を上げない〜「ガールズ&パンツァー」主人公の在り方 - subculic

    いったい、何の白旗が仕込まれているんだろう。無骨なはずの戦車がその瞬間、少し可愛らしいオブジェクトに擬態する。横転して動けなくなったり、致命的な命中弾を受けて行動不能になった戦車に上がる白旗。この判定装置によって『ガールズ&パンツァー』はスポーツの精神で行われる、あくまで「競技」(武道)なのだと視聴者に訴えかける。ひっくり返った戦車の「お腹」から白旗が上がる愉快な光景は、作でしか見られない。楽しく、朗らかなギミックだ。主人公・西住みほが車長を務めるあんこうチーム・IV号戦車からも白旗は上がる。劇場版まで含めるとその数、なんと4度。テレビシリーズ12話、劇場版120分の間に「主人公メカ」が4度も撃破されているのだ。個人戦だったら、やられすぎと思ったかもしれない。しかし戦車道はチームで戦う競技であり、そこに妙味がある。たとえばサンダース戦(テレビシリーズ第6話)では、ナオミという作中屈指の

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    kast
    kast 2016/05/20
  • 「ふらいんぐうぃっち」の挑戦と生活実感 - subculic

    アニメ『ふらいんぐうぃっち』を観ていると、かつてあずまきよひこが自身の漫画『よつばと!』が何故アニメ化されないのかという問い合わせに答えていたことを思い起こしてしまう。 よつばが出掛けるまでの様子を引き合いに出し、「よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、でんっと玄関に座ってヘタクソにを履き、よっこらしょっと重い玄関のドアを開けて、元気よく家を出て行く。そういう、普通アニメでカットされそうな描写もやらないと、アニメにする意味が無いと思うんです。で、こういう日常の演技描写はアニメの最も苦手とする分野です」、と。要するにこれは、よつばの全身をフレームに収めて動かすことを前提としている。キャラクターの全身を映した日常芝居は作画のカロリーがきわめて高い。もちろん、それを活かす演出あっての話だが、よつばの動きをアニメーションで描くのは、アニメーターへの負担がとんでもなく

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    kast 2016/05/20
  • 「響け!ユーフォニアム」の生々しさ、その正体 - subculic

    アニメ放映終了後にまとめて読もうと思っていたが、我慢しきれず『響け!ユーフォニアム』の原作小説に手を出してしまった。アニメと比較しながら読み進めていくと、これが面白い。原作1巻を1クールかけてアニメ化しているのだから(正確には短編集の挿話も拾っている)当然かもしれないが、アニメを再び観直すと「これはオリジナルだったのか!」という描写が頻出し、膨らませているポイントの多さになかば感心してしまったほど。たとえば、第5話「ただいまフェスティバル」で印象的だった久美子と麗奈の帰り道(麗奈が髪をかき上げるあの場面)も追加されたエピソードだ。そもそも、原作の久美子は麗奈のことを最初から名前で呼んでいて、距離感に若干の違いがある。アニメは麗奈との関係性を強調するためだろう、少し“遠い”ところからスタートしている。その甲斐あって第8話で「麗奈」と名前を呼ぶ特別な儀式が生まれたわけだ。名字と名前、どちらで呼

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    kast 2015/06/21
  • 「SHIROBAKO」23話のラストシーンについて - subculic

    新人声優「ずかちゃん」こと坂木しずかにようやくスポットライトが当たった。『SHIROBAKO』第23話「続・ちゃぶだい返し」のラストシーンについて少し、書いておきたい。前回、しずかは自室で一人、テレビに出演しているフレッシュな声優をみながらビールをあおっていた。その様は胸に突き刺さり、痛々しかった。今回、まず憎い演出だなと思ったのは、キャサリンの妹・ルーシー役にしずかが選ばれるんじゃないかと視聴者に期待させている中、アルバイト先の居酒屋で映されるしずかのカットだ。静かに電話と取ったしずかの後ろは前回を引きずるように暗く、目の前は明るい。アフレコ現場にシーンを移す直前のこのカットは妙に引っ掛かった。どうして気になったかというと、23話のポイントは「誰と何を共有しているのか」だと思ったからだ。ラストシーンをみてみよう。宮森あおいは追加シーンのアフレコ現場に姿を現したしずかをみとめ、言葉にならな

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    kast 2015/03/21
    作劇的には無粋とか蛇足になるだろが、仕事場では無言のやりとりだったのでその後プライベートで彼女たちが会う所を覗き見たい。
  • シュタインズ・ゲートの選択の先は―― - subculic

    『劇場版 STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』鑑賞。デジャヴとは言い得て妙だなと思った。『シュタインズ・ゲート』にまつわる作品群、原作,アニメ,ドラマCD,コミカライズ……“世界線”が分かれていくように、可能性世界を広げていくシュタゲコンテンツ。メタフィクショナルな視点も含め、『負荷領域のデジャヴ』は新たな「選択」という既視感を生み出した映画だと思う。ところで、作とよく比較される映画に『バタフライ・エフェクト』がある。タイムリープや事象の原点へ遡って関係を無かったことにするメソッド、たしかに展開のアイディアは同じで、類似性を指摘する意見には理がある。面白いのはラストシーン。かの映画は没になったエンディング案がDVDに収録されているが、「Happy Sappy Ending」ヴァージョンのコメンタリーは必聴モノ。最後に2人が街角で言葉を交わすすべてを振り出しに戻す行為で―主人公は何

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    kast 2013/05/01
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