■[diary][art]岡崎乾二郎展、夏の経験、ショコリキサー ロダンが心血を注いで取り組んだ《地獄門》は、彼の生前にはついに完成を見ず、また当初予定された美術館へ設置されることもなかった。しかしいまでは世界中にその複製が散在している。この事実はちょっと考えてみると興味深い。この彫刻の来歴を知り、対峙する者は、次のような奇妙な問いを口にすることができる。それでは、本当の《地獄門》はどこに立っているのだろうか、と。そして、ある彫刻家の人生においてただ一度、これっきりの出来事がかつてあったことを示す痕跡を前に、見る者はひとつの逆説に逢着する。つまり代替不可能なロダンの制作経験(唯一のものとしての経験)は、見る者にとっては代替可能な作品として経験される(経験の重層化)。彫刻の複製可能性が、場所を前提とした経験から場所に依存しない経験への移行を、別の言い方をすれば、場所から自由ではない(つまり