ハイラル通信 »〈ふたり〉へ香月泰男と家族―山口・三隅 画家は戦地から、来る日も来る日も妻子にはがきを送り続けた。家族を気遣う文に水彩画を添えて――。 香月泰男の愛した久原山(左)。朝もやの中を行く列車の音に、カエルの合唱がかき消された=山口県長門市三隅で 自宅台所に香月が3年越しで描いた壁画が残る。「色あせてしまって」と婦美子さん 町には香月の小彫刻「おもちゃ」の複製が=いずれも山口県長門市で 「俺(おれ)がそだった、俺をそだててくれた、あの三隅(みすみ)の山、空、人々。子供達も同じ様にそだててやり度(た)くも思ふ。子供達の姿が見度く思ふ」 31歳で召集令状を受けた香月(かづき)泰男は1943(昭和18)年4月から2年余り、旧満州(中国東北部)のハイラルに軍隊の営繕係として駐屯した。その間、山口県で暮らす妻、婦美子さんと3人の幼子に、絵を描いた軍事郵便はがきを毎日のように出し続けた。家族