未曾有の惨劇となった大事故を取材する記者たちは、JR西日本の要領を得ない会見にイライラを募らせていた。一触即発ともいえる状況がピークに達していた5月4日、たまりにたまったガスが大爆発を起こした。 連日の記者会見は、JR西日本本社4階の会見室で開かれていた。 ふだんならJRを取材する青灯(せいとう)記者クラブに常駐している記者は10人前後。ところが、事故後は、各社とも記者をどっと送り込み、会見には毎回、100人を超える記者やカメラマンが出席した。 産経新聞も青灯担当の飯村文紀(現東京法務室次長)1人で対応できるはずがなく、3人の応援記者を出し、4人がかりでJR西日本の取材に当たった。 記者会見は時間を問わず、断続的に開かれた。このため、記者たちは本社に顔を出すことどころか、食事をとりに外に出る時間すらもなかった。JR西日本本社の近くのホテルに部屋を借り、そこでほんのわずかの睡眠をとるという日