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ブックマーク / www.style.fm (13)

  • WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その122 フィルムはなぜ?——杉本コレクションの行方

    長い転勤生活の間にはいくつもの悲しい別れがありました。それぞれに冥福を祈る中で今も心に翳りを残すのは杉五郎さんのことです。 杉さんについては連載第100回でも書きましたので重複は避け、ここでは日一の質量と言われた杉さんのフィルムコレクションのその後について書きます。 生前の杉さんは私たちアニメファンには惜しみなくそのフィルムを無償で貸与、あるいは自ら映写機を回して見せてくださいましたが、その生計はTV局や映像制作会社に記録フィルム等を貸し出した料金で立てられていました。それが大日フィルムという会社です。杉さんの死後は、長く助手を務めてこられた金子啓次さんが管理していましたが、やがてその金子さんも亡くなり、杉さんのフィルムコレクションが遺されました。 誰もがフィルムのその後を案じていた中で不可解なことが起こり始めました。私が初めて目にしたのはNHKの番組のEDでした。後継者の

    katamachi
    katamachi 2011/12/24
    杉本五郎コレクションの行方。言葉を濁しつつ書いてあるけど、彼女の今までの書きぶりからするとなんとなく犯人が分かるね「センターの搬送より先に若い男性たちが車で乗りつけ大量の荷物を運び出し」
  • WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その113 仲人は宮崎駿さん

    東京を去ることを決めた私はアニメ界と縁を切ろうと持っていた資料のほとんどを処分してしまいました。精神的にどうかしていなければできなかったと思います。以前書いた、高校の頃、毎日、図書館に通って新聞の縮刷版から手で書き写した記事を貼った何冊ものスクラップブックもアニメの感想やリストを記した手帳も、各地のサークルの機関誌や上映会のパンフもみんな。でも手書きの頃から精魂込めて育て上げてきた「1/24」はどうしても捨てられませんでした。「1/18」は生々しくて持っていられませんでしたが。貸屋を回って集めた古い手塚マンガもこの当時できたてのまんだらけに売ってしまいました。多分、店長自らが買い取りに出向いてくれたはずです。 心身ともボロボロになって田舎に帰った私に両親は「アニメの会はどうしたんだ?」と訊きましたが、何も答えられない私に二度とその話をすることはありませんでした。田舎の家にはまだ弟・富沢雅

    katamachi
    katamachi 2011/08/09
    富沢洋子の仲人をした宮崎駿。「東映動画の労働争議の中でスクラムを組んだ朱美さんの腕がか細くて守ってやりたいと思った」「宮崎さんは最寄り駅まで私の憧れのシトロエン2CVで出迎えにきてくださいました」
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第481回 『火垂るの墓』

    『火垂るの墓』は凄まじいばかりの作品であり、初見時に感銘を受けはしたけれど、できる事ならば二度と観たくないなあ、と思いもした。仕事で解説を書くために何度かビデオで観返す事になってしまったのだけれど、何回目の視聴になっても、気楽に観る事ができない。後述するように、作は反戦映画ではないのだが、戦争の悲惨さを描いているのも間違いない。空襲を受け怪我をし、包帯を巻かれた清太の母親の姿は、画で描かれたものであるにも関わらず、目をそむけたくなるくらいの生々しさだった。辛い場面は沢山あるが、あの母親の姿が僕にとっては一番辛かった。 劇場アニメーション『火垂るの墓』は、野坂昭如の自伝的小説を原作にしたもので、監督は高畑勲。彼にとっては久しぶりに手がけた長編だ。時代は太平洋戦争末期。主人公は清太と妹の節子。2人は空襲で家を焼かれ、母親を喪い、おばの家で世話になる。しかし、おばと折り合いがうまくいかず、清太

    katamachi
    katamachi 2010/10/30
    "『火垂るの墓』は反戦映画ではない" そんな当たり前のことが世間では理解されていなかったりするのが寂しいところ。20年前、押井守がある同人誌のインタビューに答えて、兄と妹との"心中者"と評していたのを思いだす
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第46回 ふたつの映画の狭間で

    最初、『魔女の宅急便』は60分の中篇、同じ長さのもう1映画と抱き合わせて2立て上映、というプランだった。『火垂るの墓』と『となりのトトロ』が同じく60分の中篇2立てプランから出発していたのと同じような座組みだった。やや違っていたのは、『魔女の宅急便』と抱き合わせられる相方のもう1には実写を予定していたことだった。 「今回は若い監督による若い女性向けの2立て」 「若い女性を動員すると客層に強みが出る。トレンディに」 「『魔女の宅急便』は若い女性を刺激するため、彼女らが憧れる理想化されたヨーロッパを舞台にする」 「併映にするもう1は女子バレーボールの実写もの」 「その監督としてこれこれの人を使うことを考えている」 宮崎プロデューサーが色々と語ることを、いちいち、 「はあ」 「はあ」 と聞いていたが、最後の最後にきて、 「ん?」 となってしまった。併映映画の監督として「テレビで見た

    katamachi
    katamachi 2010/08/31
    「となりのトトロ」幻の追加修正カット。「あのな。元のコンテのここにこういうカット挿入する」。公開直後に宮崎駿を襲った不安。いやあ、この裏話って凄いなあ。
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第45回 桜の下で

    高橋留美子さんの「めぞん一刻」の最終回で、五代くんと響子さんは生まれたばかりの赤ん坊を連れて一刻館へ帰ってくる。1988年の4月、桜の舞い散る下であったはずだ。このマンガの舞台のモデルとなった東久留米から3駅離れた所沢で同じ年の桜の下、こちらも生まれて間もない赤ん坊を乳母車に乗せて、と3人でそぞろ歩いていた。川べりに咲く桜もうららかな日差しを受けていた。と、目の前からやってきた人から唐突に声をかけられたのだが、見れば久々にお目にかかる宮崎さんだった。仕事に出かける前に航空公園で花を見てきたのだという。 「まだ寝返りも打てない虫ケラみたいな」 などと我が家の赤ん坊のことを眺めながら、目を細めていた。 このしばらく前に、うちは所沢近辺に越していたのだが、単純に交通の便でもってこの辺がいいか、と決めたものの、最初に不動産屋から紹介されたアパートは、あまりにも宮崎さんの自宅の目と鼻の先だった。『

    katamachi
    katamachi 2010/08/27
    「宮崎さんとこの件に関して初めて会うことになり、いきなりケチョンケチョンにいわれた。この企画は通過儀礼がすべてなのであり」。「魔女の宅急便」幻の片渕バージョン。ここからのエピソードが楽しみ。
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第34回 これからのあらすじ

    『MIGHTY ORBOTS』の修羅場ばなしの途中なのだけれど、今回もちょっと脇へそれる。 この連載の趣旨は、書き始めてからわかってきたのだけれど、どうも自分がいかにデコボコした道を歩いてきたかを語ることにあるようだ。はじめは、アニメーションの原理だとか、技法だとかそういうところに触れつつ経験談を繰り広げようとしていたつもりだったのだが、実際に書き始めてみると違うところに進んでしまっている。 要するに、最初の仕事である『名探偵ホームズ』が中途でこけ、つづく宮崎『NEMO』、高畑『NEMO』、近藤『NEMO』、大塚『NEMO』すべて不調に終わり、『ナウシカ』『ラピュタ』には参加せず、『魔女の宅急便』はややこしいことになり、そのほか企画したりシナリオを書いた長編の企画も軒並み実動しなかった。このコラムでこの先に展開されてゆくのはそういうお話だ。 そうした末にたどり着くのが『アリーテ姫』という一

    katamachi
    katamachi 2010/06/22
    "、『魔女の宅急便』はややこしいことになり"  野次馬的にはそこらが気になるのだけど、なにがあったのかなあ。
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第7回 ホームズ試験

    1980年のあの当時、映画学科映像コースの池田ゼミ2年生は、男3、女4の7人くらいだったはずだ。学外から人を呼ぶということで、他学年にも声をかけて大きめの教室を用意していいたのだが、いざ宮崎さんが来る当日になってみると、その大き目の教室が結構満席になってしまっていた。どうも、どこかで話が広まったらしくて学外からも人が入ってきていたようだった。 その存在を知るようになって2年目にしてご人にはじめてお目にかかった宮崎さんは、まだ30代だったはずで、ワイシャツにセーターという姿は学生とあまり変らず、なんだか我々の親戚のお兄さんが来たみたいな感じだった。まあ、そういうことでいえば、月岡さんも守衛から学生と間違えられて学内の駐車場に停めるのを拒まれるという、あの世代の方がそういう年齢感の頃だった。 宮崎さんはまだ人前に出慣れてなかったようで、映写スクリーン前でチェリーに百円ライターで火をつけようと

    katamachi
    katamachi 2010/02/18
    片渕須直が日芸時代に初めて宮崎駿と会った話。この連載、スルーしていたけど面白いよ。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第299回 宮崎駿の「セーラー服が機関銃撃って……」発言

    プロジェクトA子』は、『うる星やつら』等で活躍していた若手アニメーター達が中心になって作ったオリジナル作品だ。登場人物の大半が女性で、少女達の三角関係(のようなもの)を主軸にしたギャグアクションである。劇場作品ではあるが、アニメマニア向けの作品が、TVからOVAに移行していった時代を代表するタイトルだ。作品中でクレジットされる作のタイトルは『PROJECT “A”KO』であり、リスト制作委員会的な表記法でいくと、そのように書くべきなのだが、あまりになじみがない表記なので、今回からの数回は『プロジェクトA子』と書くようにする。 作品そのものについて書く前に、この作品についての宮崎駿の発言について触れておきたい。僕達の世代のアニメファンにとって、『プロジェクトA子』は、宮崎駿が批判した作品としても印象に残っている。この原稿を書くために「COMIC BOX」のバックナンバーをネットの古屋か

    katamachi
    katamachi 2010/02/04
    OVAの企画の縮小再生産が続いていた上に、こども向けテレビアニメも無難かつ低予算のものしか作られなくなった時代だからなあ。
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第275回 『天使のたまご』

    『天使のたまご』は押井守のオリジナル作品。劇場版『ルパン三世』の企画が流れてしまった彼が、次の仕事として手がけたタイトルだ。ビデオリリースは1985年12月15日。その1週間後の12月22日に、早朝上映のみだったようだが劇場でも公開されている。主にはOVAとして企画・製作されたものだが、押井守自身は『天使のたまご』を映画のつもりで作っていたのだろうと思う。 原案としてクレジットされてるのは、押井守と天野喜孝。押井守は脚と監督も兼任。天野喜孝はアートディレクションの肩書きで、キャラクターデザインとイメージボードを担当している。他には、小林七郎が美術監督とレイアウト監修の役職で、名倉靖博が作画監督の役職で参加。舞台は、いつの時代かも分からない廃墟のような街。主要登場人物は、大きな卵を抱えた少女と、その街を訪れた少年の2人のみ。機械仕掛けの太陽、影だけが街を浮遊する魚、天使の化石など、幻想的な

    katamachi
    katamachi 2009/12/23
    「アニメージュ編集部のあるスタッフが「いらないからあげるよ」と言って、くれた(中略)観るたびに途中で寝てしまって、いつもラストシーンまでたどり着かなかった」。睡眠薬的効果は高畑勲「柳川堀割物語」と双璧
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第136回 そんな老後はこなかった(番外編5)

    「第90回 ビデオデッキがやってきた」で書いたように、高校3年の頃から、TVシリーズを丸ごと手元に残したいという欲が生まれて、ビデオのコレクションを始めた。好きなTVシリーズを全話録画して手元に残すようになった。「謎の円盤UFO」「プリズナーNo.6」といった名作SFドラマも再放映で録ってコレクションした。「好きな時にいつでも観られる」という贅沢のために録画していたのだし、「いつかまとめて観返すかもしれない」と思って録っていたのだ。最初に買ったビデオデッキがベータだったので、初期のビデオコレクションはベータテープだ。富野作品でいうと『戦闘メカ ザブングル』から『機動戦士Zガンダム』までがベータだった。『とんがり帽子のメモル』は初期エピソードをベータで録って、途中からVHSに切り替えているから、1984年くらいにVHSのデッキを買って、そちらをメイン機にしたのだろう。当時録画したものを観直す

    katamachi
    katamachi 2009/06/03
    「好きな時にいつでも読み返す事ができる」→「いつかまとめて読み返す事があるだろう」→「山のように積まれた本を、端から全部を読み返す日は、これから何年生きてもまず間違いなく来ない」。これぞ漢。いやオタク
  • WEBアニメスタイル_特別企画 - リニューアル記念放談 佐藤竜雄×小黒祐一郎 その1  それは10年前に始まった (05.06.17)

    PROFILE 佐藤竜雄(Sato Tatsuo) アニメーション監督。1964年7月7日生まれ。神奈川県大磯町出身。主な監督作品は『飛べ!イサミ』『機動戦艦ナデシコ Martian Successor NADESICO』『ねこぢる草』『学園戦記ムリョウ』『宇宙のステルヴィア』など。現在は次回作の企画と『機動戦艦ナデシコ』のリマスター作業を進めている。オフィシャルHPのサトウタツオ通信[http://www.dragon-brave.com/]もチェック! PROFILE 小黒祐一郎(Oguro Yuichiro) アニメ雑誌編集者。1964年5月1日生まれ。埼玉県出身。「WEBアニメスタイル」編集長で、ニックネームはアニメ様。現在は「アニメージュ」(徳間書店)で「この人に話を聞きたい」を連載中。小黒の「編集長メモ」[http://animesama.cocolog-nifty.com/]

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    katamachi 2008/11/10
    1995年頃の、メジャーでない企画をスキマにねじこむかたちで始めた作品→結構成功→いつの間にかモデルケース→「95年型モデル」。苦笑....
  • 第160回 ポケモン事件 当日の病院では…… - WEBアニメスタイル_COLUMN

    あの事件で、小田原の救急病院に担ぎ込まれた女の子のことを僕が知ったのは、事件が起こってから、ほぼ1年半ほど後のことである。 劇場版『ポケモン』の2目を書き終えた頃、体調がめちゃめちゃになり、映画の脚が決定稿になったことを監督に確認して、小田原市内の大きな私立病院に入院した。 その同じ病院に、1年半前に担ぎ込まれた女の子のことを看護婦(今は看護師と呼ぶ)の方達が鮮明に覚えていたのだ。 彼女達にとって、『ポケモン』はゲームでもなくアニメでもなく、倒れて担ぎ込まれた女の子の症状を引き起こした原因だった。 その病院には、小児科も当然あるから、そこの担当の医者や看護師なら、ゲームやアニメとして子供に大ブームの『ポケモン』をよく知っているだろうが、たまたま事件の日に夜間勤務で、救急車で運び込まれてくる病人に対処しなければならなかった医者や看護師には、事件から1年半経っても、『ポケモン』は事件を引き

    katamachi
    katamachi 2008/09/25
    ポケモン事件の話は興味深かった。後半は「意識的に脚本を壊しているアニメ」→「ポニョ」の話。宮崎がストーリーに整合性を持って語るのに興味がないとは自明のことだけど、アニメ脚本家としては我慢ならないのか
  • WEBアニメスタイル_TOPICS

    今年の12月21日には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか HDリマスター版 メモリアルボックス(初回限定生産)」、2008年2月22日には「超時空要塞マクロス メモリアルボックス」と「超時空要塞マクロス Flash Back 2012」がリリースされる。いずれも『マクロス』シリーズ初期(リン・ミンメイ時代)の作品だ。 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』は1984年に公開された『マクロス』初の劇場版。作画の密度と情報量は現在の目で見ても圧倒的。SFメカアニメとしてトップクラスの作品だ。今回の「HDリマスター版 メモリアルボックス」では、編ディスクと別に特典ディスクが2枚つく。DISC1は劇場公開時の状態を完全に再現したもの。DISC2には劇場特報、予告編、CM、すかいらーく「味・おぼえていますか」CM、セガサターン版ゲームムービー等を収録。すかいらーくのCMは公開時にTV

    katamachi
    katamachi 2007/11/16
    あれ出すのか。勇気あるなあ~ 「火垂るの墓」の未完成シーンもDVD化希望
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