
import BlogCard from '@/components/mdx/BlogCard' 『UNIXという考え方』の概要 OSを使いこなすためには、その背後にある「哲学」を理解することが必要です。本書では技術的詳細には立ち入らず、その代わりに、今まで文章で表されることが少なかったUNIXの考え方を、9つの「定理」にまとめて平易な言葉で明らかにしています。 定理1:スモール・イズ・ビューティフル 定理2:一つのプログラムには一つのことをうまくやらせる 定理3:できるだけ早く試作を作成する 定理4:効率より移植性 定理5:数値データはASCIIフラットファイルに保存する 定理6:ソフトウェアの挺子を有効に活用する 定理7:シェルスクリプトを使うことで挺子の効果と移植性を高める 定理8:過度の対話的インタフェースを避ける 定理9:すべてのプログラムをフィルタにする UNIXをUNIXらし
職場や仕事のことあれこれ。 【ビジネス】カテゴリでは書かない程度の雑談。 馬鹿の発想 最近、一時間早く職場を出ると一時間早く帰宅できることに気付きました。 大発見です。 なんて考えがふと脳をよぎったので、たぶん疲れているのだと思います。 帰宅時の運動 職場は高層ビルの20階以上のところにあるのですが、ちょっとした運動がてら毎日階段を下りて帰っています。 正直に言えば大したことのない運動量です。慣れれば気軽なものですし、膝を壊さないようにだけ注意すればいいでしょう。 ただ、退勤時にエレベータを通り過ぎて階段へ向かう様を見られると少し困ります。 (え、なんでこいつエレベータに乗らないんだ?)といった空気になるので、「実は階段で帰ってるんです」と先手を打つのですが、「なんでまたそんなことを」と言われるので、結局は変な人扱いです。 まあ、変な人であることは否定できないのですが。 ブログのカテゴリ
import BlogCard from '@/components/mdx/BlogCard' 先日、DIC川村記念美術館に行ってきた。 DIC川村記念美術館は、DIC株式会社が関連企業とともに収集してきた美術品を公開する施設です。 20世紀美術に主眼を置いた多彩なコレクション、作品にふさわしい空間づくりを目指した建築、四季折々の変化が楽しめる豊かな自然環境。これら「作品」「建築」「自然」の三要素が調和した美術館として、1990年5月、千葉県佐倉市の総合研究所敷地内にオープンしました。 -- DIC川村記念美術館についてより引用 目的は、106展示室「ロスコ・ルーム」である。 絵画に疎い私がなぜこの展示室に興味を持ったか。それは高村薫の小説に理由がある。 長編警察ミステリ作品で広く知られる著者だが、2000年代に『晴子情歌』『新リア王』『太陽を曳く馬』という3部作を発表した。この3部作は
世の中はシンプルで、そして難しい。 バックラッシュ 仕方がないことですが、米大統領が変わった影響によってここのところの国際ニュースはもうアメリカ一色になっています。 やはり停滞ではなく変化が金銭を生むのであり、ビジネス界隈でゲームチェンジャーに人が群がるのも必然というもので、ここしばらくはライターや解説者やジャーナリストの稼ぎ時だなと捻くれた目線で見ています。大人げない視点です。 まあそれはさておき、米共和党サイドが既存システムや言論をガチャガチャとぶっ壊して自勢力の都合が良い方向へ持っていこうとしていることが山ほど報道されていますが、私は自然な成り行きだと思っています。なにも特異なことはなく、ただの周期的な歴史の繰り返しです。 反対側の視点から見れば彼らの行動は言論弾圧や秩序の破壊に見えるものです。 しかし彼らの視点からすれば、自分たちの言論の復興や秩序の再構築だと思っていることでしょう
ふと辿り着いた英語の「認知バイアスのリスト」ページが、思った以上に充実していて驚きです。 アンカリング、可用性ヒューリスティック、認知的不協和、確証バイアス、自己中心的バイアス、フレーミング効果、論理的誤謬、プロスペクト理論のように日本語圏でもメジャーな認知バイアス以外にも、アポフェニア、拡大不感受性、誤った事前情報、自己評価、真実の判断のようなあまり聞き覚えのない認知バイアスも網羅されています。 聞いたこともない認知バイアスがいっぱいあるので、ざっと読んで興味を感じたバイアスの詳細を調べるだけでも良い勉強になりそうです。 なんとなく面白かったのでこのページを紹介したかっただけです。 ただ、まあそれだけで終わってしまってはアレですので、少し認知バイアスに対する私見を補足してみます。 認知バイアスを認知すること 認知バイアスそれ自体は常にネガティブなものではなく、時に有益で、時に適応的です。
import BlogCard from '@/components/mdx/BlogCard' 今年も早いもので1月が終わろうとしている。 ここ数年、1月になると前年を振り返り、新たな年に向けての目標を書き連ねることが習慣となりつつあった。しかし、昨年は年明け早々に家族の一員であった文鳥が亡くなり、それどころではなかった。 今年は、何というか、過去や未来への関心が薄れている。無気力というのとは少し違う。ただ、今を生きることに集中しているという感じだ。 元来、目の前のことを見聞きしつつ、関連する過去の記憶に思いを巡らせ、その先の展開を考えたりすることが好きだった。しかし、最近は、そういった思考が減り、「いま」に集中していることが多くなった。 なぜそうなかったのかを振り返りつつ、最近思うことを書いてみる。 実感は薄いのが、この数年で多くのことが起きた。 コロナ禍が始まる直前、母親が脳梗塞で倒
僕には世界がこう見えている。 あわせてよみたい 僕には世界がこう見えている。 今日は忙しい。朝は食材の買い出しを行なってきて、午後はカウンセリング。それが終わったのちにニュースレターを書いて、夜も予定がある。こうやってブログを書いてるが、手抜きで自分が楽に書ける話題を書くとする。 色々とカウンセリングで話したのだが、どうも僕は概念をレゴブロックのように積み上げて考える癖があるようだ。ブログの文章でもそうなのであるが、どれか一つの出来事にフォーカスして内心を描き出す情景描写というよりは、さまざまな知識を散りばめて情報量が多くて考えさせる文章の方を好む。 実は、これは多少コンプレックスでもある。僕はこうやって毎日日記代わりに文章を書いてるのだが、内心を掘り下げて「分かる!」と共感させる文章が書けないのではないかと思うのだ。自分が経験したことに対して、すぐに外部の知識が割り込んでくる感じであり、
「中国が軍事(又は経済)で他国へ侵略的な攻勢を行っている」 と聞いて、そんなことはない、そんな悪い国ではないと反発する人を見かけることがあります。 今回はそういった国家間のコンフリクトに関する雑記を。 国際社会の基本 当ブログでも度々述べてきたように国際社会はアナーキーです。統一政府があるわけでもなく権力分立や保障制度も存在しない以上、国際社会は無秩序な無政府状態、すなわちアナーキーであると認識することが国際関係を考える上での前提とする必要があります。 身近で分かりやすい例を言えば、国際社会には警察が存在しません。私たち個人の人間は法を犯せば警察に捕まりますが、国家は国際法を犯したとしても捕まりません。たとえ国際司法裁判所で法的拘束力を持つ判決が下されようともそれを強制的に執行するための存在が無いため、真向から国際法に違反している侵略国家ですら批判はされるものの罰則を強制することができませ
いや、まあ、朝に投稿しようと思っていたのですが、そうは行かないのが現実というもので。壮大な前振りからの、実に残念な結果です。 まとめると、そろそろ通常通り朝に更新するスタイルへ戻すためにも連休最終日の明日は朝に投稿したいと思っている、そんな話でした。 ◆自己開示的な日記 - 忘れん坊の外部記憶域 まあ、世の中そんなものです。 自分の思うままに世の中が動くはずはありません。 思うがままの世界 世の中とは理不尽で不合理なものと思われる方もいらっしゃると思います。 自らの思う通りにはまったく進まず、どこかの誰かの何かしらの行動がバタフライエフェクトのように影響してきて私たち個人が求めている行動を阻害している、そんな感覚でしょう。 ただ、それはある意味で合算的な合理だとも言えます。 なにも難しい話ではなく単純なことです。「世の中とは理不尽だ」と述べる方は、しかし自身は思うがままに振る舞おうとしてい
前回「網膜色素変性症」の可能性があると診断を受けてから2か月が経過した。 昨日、久しぶりの通院だったので診察内容とその後の経過を記録しておく。 診察の内容~引き続き検査が続く 前回は、これまでの検査結果から「網膜色素変性症」でほぼ間違いないとのことだった。 ところが、他の病気の可能性を潰していくため、引き続きさらなる検査を行いたいとのことだった。 午前中だけのつもりだったが、午後から目だけでなく血液検査や心電図など、健康診断でよくある検査をひと通りやった。 もし他の病気だった場合、治るかと言えばそういうわけでもないらしい。 改めて前回撮影した網膜の画像を見せてもらった。 網膜の中心部分が白く、これは何らかの原因で薄くなってしまっているからで、その範囲は視野検査で欠けている部分と重なる。 いずれにせよ確立した治療が無いことに変わりなく、なぜこうなったかを、さらに検査を進めて絞り込んでいくらし
長らく愛読しているブログ「関内関外日記」の中の人、黄金頭さんにお会いしてきた。 黄金頭さんがBooks&Appsに寄稿した記事。 黄金頭さんのブログは2004年から始まっている。 今調べてみたら、はてなブックマークで初めて関内関外日記をブクマしたのは2015年だった。 今年いっぱいで約10年、いつも楽しく読ませていただいている。 文体が妙に心地よく、内容はいつも刺激に満ちている。 黄金頭さんの日常、人生、思索を深めていく様子がとても興味深く、考えさせられること多々あり。 今回、デザイナーの「ぱる(@paruchi11)」さんの作品販売をお手伝いするため、黄金頭さんが店頭に立たれると知った。 自作のポストカードも販売されるとのこと。 一方的にではあるが、長年文章を通じて知っていた方に直接お会いする機会などめったにない。 ということで世田谷区梅ヶ丘まで出かけてみた。 かなり緊張してしまったが、
本書概要 孤独感を抱える人物の心理を端正な文章で綴った小説。イエズス会の寄宿学校での出来事や、父の死、ナチの高官でユダヤ人迫害に加担した祖父への言及などの自伝的エッセイ。ある俳句を教えてくれた京都からの留学生をめぐる、著者の死生観が垣間見えるエピソード。ドイツで死刑が廃止される12日前に斬首刑となった男の犯罪実話。ボクサーとの恋の思い出を語る老婦人や、収支報告書の改竄で告訴された男といった、弁護士として出会った人々との交流譚──。 クライスト賞受賞、日本で本屋大賞「翻訳小説部門」第1位に輝いたデビュー作『犯罪』、映画化された法廷小説『コリーニ事件』、世界各国で2600回以上上演された戯曲『テロ』。これまで社会や人間を深く描写してきた現代ドイツを代表する作家が、多彩な手法で紡ぐ新たな作品世界! -- 東京創元社より引用 読書感想 フェルディナント・フォン・シーラッハ初のエッセイ集。 文体はこ
今思い返すと小学校の頃の色々な決まりごとはよくできていて、"大人"の組織にも適用できること多いよなと思うことがある。 ジェネレーションギャップもありそうだが雑に書いてみる。 帰りの会 いわゆる"夕会"だよね。大事な連絡事項を漏らさず伝えて、皆で話し合うべきことがあれば話せている。そういう場が定期的に必ずやってくるのは大事。 係活動 "勉強"という主目的以外に必要な取り組みをうまく分割して役割として任せて自律させている。大人になった今、組織目標に囚われて必要な取り組みを"差し込みタスク"のように扱っていないだろうか。必要なことであれば、"いきもの係"的に切り出して取り組めるように設計するといいかもしれない。 日直 リードをローテーションして皆が均等にできるようにしている。ある程度マニュアル化されており、たいてい2人ずつアサインされるところもいい仕組みだと思う。小学校の日直でできていたなら、定
ちょっとした思考実験的思索。ちょっと極論ぎみ。 ジェンダーレス制服 ここ数年ほど学生のジェンダーレス制服についての話題を時々見かけるようになりました。「スカートとズボン、どちらも自由に選んでいいですよ」というようなやつです。 制服に関しては様々な立場の意見があり、絶対的な正解は無いものだと思います。特にすれ違いがちなものとしては、金銭的な格差の観点から「画一的制服が望ましい」とする意見と、多様性の観点から「多種多様な制服や私服を許容すべき」という意見です。どちらの言い分もそれぞれの面から見て正しく、ある程度の自由化とそれに伴う補助制度の確立など、現実的な落としどころを見つける必要があるでしょう。 本日はそういったジェンダーレス制服の是非自体が主題ではなく、その先を少し考えてみます。主題は「ジェンダーレス制服で育った子どもたちが社会に出た時どうなるか」です。全体の話というよりは、ジェンダーレ
現代社会における問題が明確になった際、「若者へ教育をすべきだ」とした意見を見かけることがあります。最も顕著なパターンとしては『いじめ問題』が筆頭で、それ以外にも人権関連などで若者への教育の必要性が時に語られているでしょう。 ただ、本当に効果的な教育を望むのであれば、末端(ボトム)ではなく上層(トップ)へ教育を施すべきだと私は考えます。 何事も率先垂範が必要です。 トップダウンとボトムアップ 意思決定の流れにはトップダウンとボトムアップがあります。これはトップが決めるかボトムが決めるかではなく、トップが意思決定を行う際に情報がどちらの向きで流れるかの違いです。 どのような社会や組織であっても末端(ボトム)が意思決定を行うことはありません。意思決定を行うために上層(トップ)が存在するのであって、意思決定を行わない上層は存在する価値が無いためです。 よって責任と意思決定の連動が壊れていない通常の
恐らく、人によるとしか言えない。 今回は結論の無いふわふわした話をしましょう。 社会の高度化と人間の連動 先進国の基本トレンドとして少子高齢化があります。 少子高齢化については様々な切り口で理由や原因が説明されてはいますが、どのような因果関係があるにせよ少なくとも社会の高度化と少子高齢化には相関があると言っていいでしょう。 そして社会は概ね一方通行で高度化していきます。時に時計の針が巻き戻ることはあるものの、高度化がトレンドです。 そのため、世界は全体を平均すれば次第に高度に発展していき、その結果として国連が予測するように人口はピークを迎えて世界的に減少していくものと思われます。 人口減少は必然的に社会問題となることから、今後の世界では労働力を機械・コンピュータ・AIが代替する必要があることが予測されていますし、実際にそのような研究や実証は次々と進められています。 ただ、そのような未来にお
import BlogCard from '@/components/mdx/BlogCard' 記事概要 数年前からモノが見えづらくなった。加齢によるものとあきらめていたが、2年ほど前からいよいよ生活に支障を感じ、近所の眼科へ通い始めた。 処方された目薬を点眼し、眼鏡をかける生活となった。だがあまり効果は無く、悪化の一途をたどる日々だった。今年に入り、大きな病院で検査を受けるようにすすめられた。 そして先日10月12日の土曜日、「網膜色素変性症」と担当医から指摘された。確定診断ではないが、検査結果からほぼ間違いないだろうとのこと。 40代も後半に入ったところで思いがけずも残りの人生で失明する可能性を指摘された。 若かりし頃の視力はいつも1.5。目に問題を感じたことがない人生だったが、こんなこともあるのだ。 のちに振り返ることができるよう現時点での症状、検査結果に対する心境を記録しておきた
こんにちは、暖淡堂です。 今年の7月に出向して、仕事の内容がガラッと変わりました。 それから3ヶ月以上。 法定研修も終わり、仕事も基本的な手順は一通り経験しました。 これからはアウトプットの質を上げていくことになります。 まだまだ勉強ですね。 そうではありますが、個人的には明日を過ぎると、いくつかの山を乗り越えて、気持ちが少し楽になります。 3ヶ月ほど控えめにしていたものも、元に戻していけそうです。 まあ、そんなこんなで日々、穏やかに暮らしています。 で、この3ヶ月を暮らしながら考えたことの一つ。 自分の枠を広げてから中身を充実させるのがよいか、自分の中身を充実させてから枠を広げるのがよいか。 まあ、結論はないのですが、考えていたのは以下のようなことです。 枠を広げて中身を充実させる 自分が希望しなくても、枠を広げることを外から求められることはあります。 例えば、今回自分に起こったように、
何かを進める時に感じている懸念をうまく伝えるのは地味にむずかしい。 あまり気にせず伝えられる人もいると思うが、自分が消極的なことばかり言って水を差してるみたいな空気になる気がして言いにくいという人もわりといるんじゃなかろうか。自分もそう考えてしまって伝え方やタイミングに悩むことがある。 しかし個々人が感じている懸念というのはめちゃくちゃ重要で、小さな違和感もちゃんと伝えてくれる方がよい。これまで誰かのちょっとした懸念から事故を防げたということは何度もあった。 "伝え方"にも一定コツはあるが、"吸い上げ方"にも工夫できることはあるので、雑にまとめておきたい。 枕詞の引き出しを増やす 伝え方の工夫として、変な空気になりにくい枕詞がある 「めちゃくちゃ心配性なこと言ってもいいですか」、「やりたくないとかではなくて、イチ意見として気になったんですけど」、「今さらなんですけど、皆で安心していい感じに
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