katari_mata_katariのブックマーク (406)

  • 洗濯物を取り込みながらたたむ - 語る、また語る

    洗濯物をたたむのが面倒である。空間が圧迫されるため、たたまないわけにもいかないのだが、とにかく面倒さ減らしたいということで「取り込みながらたたむ」ことを思いついた。 何が面倒なのか 取り込むときのポイント たたんだものをでかごに入れるときのポイント おわりに 何が面倒なのか 何が面倒なのかを考えてわかったことだが、そもそもたたむこと自体はたいしたことはなく、「たたむまで」が面倒なのであった。 わが家では主に使う衣服などは1Fで稼働しているため、2Fに干していた洗濯物を1Fに持ってきてからたたんでいる。1Fに持ってきてすぐたためばいいのだが、気がすすまず先延ばしにして、ますます面倒になっていく。 そこで、2Fで取り込みながらたたむのだとしたら、面倒と感じる暇もなくなるのではないかと考えたわけである。もう洗濯物を手にもっているのだから、持っている手でそのままたたんだらいいだけだ。やりたくないで

    洗濯物を取り込みながらたたむ - 語る、また語る
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    katari_mata_katari 2024/07/30
    動画の方がわかりやすいだろうけれど、あえて文字にしてみた。書いて寝かせてを繰り返し、ブログ史上二番目くらいに時間がかかった記事になった。
  • 祭りの季節 - 雑感日記

    暑くも寒くもない、完璧な温度設定の図書館で読みたかったを読み終え、窓の外を見ると、いつの間にか日が暮れはじめていた。さて、そろそろ帰るか、と自宅に向けて車を走らせていると、各所で行なわれているらしい年に一度の祭りに向かう車の交通渋滞にまんまと巻き込まれた。別に自分は急いでいるわけではないから進みが遅いことに関しては問題無いのだが、車間距離を空けている車を煽るように背後からエンジンをふかす車や、クラクションを鳴らしながら隙間を縫うように前方車を追い抜いていく車の数々に囲まれながら走っていると、なんとなく自分も気が急いてしまい、心臓の鼓動が早くなってくる。普段は穏やかな近隣の道路が、祭りの季節になると一変、通勤ラッシュの都心の駅構内のような様相を帯びて、不自然な熱に浮かされてしまう。祭りの良さももちろん知っているから、一概に祭りの雰囲気が嫌いだ、とは言いたくないけれど、部外者とはいえそうした

    祭りの季節 - 雑感日記
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    katari_mata_katari 2024/07/29
    “僕は僕なりに静かに過ごしたい、と思っているその心の平穏が、別の何かを楽しんでいる人たちの熱に侵食されて落ち着きを失ってしまうのはやはり社会として釣り合っていないような気がして”
  • 他人の小言がずっと気になって頭から離れない時の対処 - 晴れのうらかた

    誰かに何か言われて腹を立てたり、ちょっとしたことでもいちいち小言を言ってきたりして、それがいつまでも気になってしまう時があるかと思います。 そういう時は一旦俯瞰して見て、「そのことで今腹を立てている自分がいる」という視点に気づくことが大切です。 自分の中に溜め込みすぎて辛い思いをしたり、言い返したくなって爆発しそうになることは誰にでもあることですから、そのこと自体を否定する必要はありません。 それよりも大事なのは、「それも自分である」と一旦受け止めて肯定してみることなのです。 一般的に自己肯定感と言われるものは「前向きで積極的な態度」という印象が強いようですが、実際のところはそればかりでなく、「どうしようもない時の自分も認める」ということも自分を肯定するという面もあります。 人から何かを言われて受け流せずに、「それを何とか変えたい」と思うことは自己否定とも言えますから、そうすればするほど自

    他人の小言がずっと気になって頭から離れない時の対処 - 晴れのうらかた
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    katari_mata_katari 2024/07/24
    “ まずは自分のことが見えていればそれでよい” “ 人から何かを言われて受け流すというのは、「結果として受け流している」というだけである。客観的に自分を観察することができるから、受け流せるようになる”
  • 2024.7.23 - Letter from Kyoto

    ネットを見ていてときどき思うのが、自分を甘やかすことに一生懸命になっている人がいて、それはちょっと違うんじゃないか、そんなことをやって何になるんだろうと思う。 その人は実生活で誰からも褒められたり肯定されたりしないからか、必死で自分を褒めたり、自分を肯定する言葉をやドラマやあらゆるところで探し回っているように見える。それがある種の中毒になっているんじゃないか。褒められ中毒、肯定中毒、承認中毒。 SNSなんかで自分の盛った姿を見せびらかして他人からの承認を得て悦に浸っているなんてまだましで、誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めたり肯定したり、人が誰かを肯定する言葉を探してきて自分に向けた言葉かのように飲み込んでやり過ごしてる姿は、なんかちょっとつらいものがある。 それだったらまだ、自分にハードルを課して目標を設定して達成して喜んでいる姿は、例えそれが自己満足だとしても前進があるように見え

    2024.7.23 - Letter from Kyoto
  • 自分なりにゆっくりとした速度で考えながらやっていけたらなと思う。 - 超メモ帳(Web式)@復活

    自分なりにゆっくりとした速度で考えながらやっていけたらなと思う。 あわせてよみたい 自分なりにゆっくりとした速度で考えながらやっていけたらなと思う。 今日は病院受診でお休み。主治医の先生との関係は、まぁ良好であり、テキトーに最近の出来事なんかを話して終わり。 それから飯をって、映画の時間までスタバで時間を潰してるのだけど、何にもせずぼんやりとして座ってるのも時間が勿体無いのでブログを書いてしまう。 最近はスマホがあればどこでもブログを書けるから便利よね。僕のブログは毎日2000字以上とノルマを設けているので、小さな画面でポチポチとフリック入力で書くのは、PCに比べると確かに面倒ではあるが、やれなくはない。 まぁ、基的に僕の趣味というのは文章を書く事なので、会社でもサボりがてらに頭の中の思いつきをエディターに叩きつけてる事もある。どうも、世間一般の人には理解されにくい様なのだが、頭の中の

    自分なりにゆっくりとした速度で考えながらやっていけたらなと思う。 - 超メモ帳(Web式)@復活
  • 他者の好みを直球で否定する人の心理を理解したい - 忘れん坊の外部記憶域

    直球で否定する人を否定したいわけではないことを上手く言葉で表現するのは難しい。 個人的に、理解が難しい心理の上位ランカー 世の中には他者が好むものをストレートに否定する人がいます。 もちろん人それぞれ嫌いなものはあります、それは当たり前のことです。 ただ、それをいちいち口に出す理由を掴みかねています。 何かしらを楽しんでいるや何かしらを好んでいる人に対して自分はそれが嫌いだと告げたり、わざわざSNSで自身の嫌いなものを発表する、その仕草がどうにも私の理解の範疇外にあると思っています。 私はそもそもあまり好き嫌いをしない性格ですが、一応程度の心掛けとして「嫌い」をなるべく公言しないようにしています。このブログでも注意しており、あえて強く公言したものはせいぜい「袖」と「無駄な会議」くらいでしょう。 このブログでは様々な事柄に対して「私の好みではない」と評する表現が頻出しますが、「嫌い」を用いな

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  • 多数決に関する2つの考え方~対立と協力 - 忘れん坊の外部記憶域

    「僕は自民党に投票していないので今の政治に責任は無い、僕の選んだ代表じゃない」 先日、後輩と話していて言われた言葉です。まあ言いたいことは分かるのですが、これはちょっと民主主義や多数決の考え方として望ましくありません。 今回は多数決の考え方について考察していきます。 多数決は対決ではなく代表の選出であるべき 特に政治家の方に多いのですが、選挙や多数決を闘争だと考えている方がいます。しかしながらこの考え方は集団の信頼関係を損ないかねません。対立した意見をぶつけ合うものだと多数決を捉えることは望ましくないのです。 多数決を対決のイメージだとした場合は次のような図になります。それぞれの意見を別々の集合であるとみなして、それらの大小を比較することが多数決であると考えている状態です。 このような対立視点で多数決を見てしまうと多数決後の団結が起こり得ず、別々の集団での勝敗が決したのだから勝った集団のウ

    多数決に関する2つの考え方~対立と協力 - 忘れん坊の外部記憶域
  • 全部足して「民意」 - 忘れん坊の外部記憶域

    選挙が終わると、各所で「民意」を用いた言説を見かけるようになります。 ただ、「民意」はそこまで安易に用いていいような言葉ではなく、むしろ個人的にこの言葉は取り扱い注意だと考えています。 人々を区切ることの危険性 選挙で多数派となった側は「これが民意だ」と述べ、選挙で少数派となった側は「民意が反映されていない」と語ることが常です。 とはいえ民意とは『人々の意思や考え』であり、極めて総体的なものです。多数派となった候補者に投票した人、少数派となった候補者に投票した人、そもそも投票をしなかった人、それら全ての合計が民意であり、特定の勢力が切り取って自勢力の都合が良いように用いていいような類の言葉ではありません。 そもそも選挙や多数決とは集団内での代表意見や代表者の選定行為です。決して集団を区分して勝敗を決めるようなものではありません。その点を忘れてはならず、選挙や多数決をするのであれば同じ集団と

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  • 選挙たけなわの時期に思うこと - スイス山里COSMOSNOMADO

    チューリッヒのスイス民俗衣装祭 今、ヨーロッパでは選挙が目白押しである。イギリスでは、労働党が圧勝した。これからフランスでも選挙。マリーヌ・ル・ペン率いる極右政党が伸びそうだ。マクロンさんの誤算?何しろ今の党首は28歳のジョルダン・バルデラで、若いことと一見爽やかな印象が人気を呼びそうな気配。現在ヨーロッパでは振り子がだいぶ右に振れている。今までへの揺り戻しなのだろう。振り子は大きく振らせれば右に左にと大きく揺れるもの。でも、と思う。そもそも静かに垂らしてはおけないものなのか。もちろん、それでも振り子というものは振れるのが自然だ。けれども、その振れ幅は大きくない。政治において、極端というのが一番怖い。熱狂が悲劇を生むというのは、かつてのドイツを見ても明らかだろう。冷静な目で見れば、台頭してきた頃のあのヒトラーの演説の姿は異様である。叫んで叫んで聴衆を煽る。敵を作って拳を振り上げ攻撃する。そ

    選挙たけなわの時期に思うこと - スイス山里COSMOSNOMADO
  • 仏教の三観を知っていると生きることが気楽になるかもしれない - 忘れん坊の外部記憶域

    唐突に仏教の話をします。 と始めると日ではどうしても「宗教の話はノーサンキュー」となりがちなので難しいところですが、そもそも仏教が宗教かと言えば必ずしもそうとは言えません。宗教か否かを『教条主義(ドグマティズム)であるか否か』と雑に定義すれば、仏教には極めて宗教的な派閥もあれば哲学的な思考に傾倒している派閥もあり実に多種多様です。 例えば釈迦の教えの基礎である中道・八正道・四諦あたりは教義というよりもむしろ哲学的な考え方の集合であり、これらを軸とした初期仏教や一部の部派仏教は釈迦の教えの分析や批判、拡張や修正などを行っていた点で非教条主義であり、そこまで宗教的ではありません。彼らはある種の学問集団であり、数学や哲学を重視していた古代ギリシアのピタゴラス教団に近いと言えるかもしれません。もちろんこれはかなり雑で不正確な峻別ではありますが。 対して大乗仏教の一部などは長い歴史をかけて磨かれて

    仏教の三観を知っていると生きることが気楽になるかもしれない - 忘れん坊の外部記憶域
  • 人付き合いや人間関係で疲れてしまうときの対処 - 晴れのうらかた

    人間関係で疲れてしまう人は割といるものなのでしょうが、ある程度は諦めたり見切りをつける力を高める必要があるのかもしれません。 周りの人みんな全員と仲良くなれれば確かに幸せなのかもしれませんが、そうならなくて当たり前ですし、その考え自体に無理があるでしょう。 また、それよりは気の合う人と仲良くする方が簡単ですが、せいぜい5人くらいが限界でしょうし、気の合わない人とはそれよりももっとエネルギーを使うのです。 ところで、そのエネルギーは、あなただけが使わなければならないのでしょうか。 真面目な人ほど、気の合わない人や話の通じない人と分かり合おうとするから疲れてしまいます。 その一方で、相手が中立的立場にいるとか今はその気がないという場合は、あなたの気遣いがかえって迷惑になってしまうこともあります。 また、当に「あなたがエネルギー使わなければならない」と言い出す人が近くにいる場合、その人との関係

    人付き合いや人間関係で疲れてしまうときの対処 - 晴れのうらかた
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/06/29
    "適切なコミュニケーションをとる"
  • 「私」だけが歩いてきた道 - 小さな花たち

    少し前のテレビ番組で、芸能人が小学校や中学校までの通学路を制服を着て歩きながら、当時を回想する、という企画があった。自分には馴染みのない通学路にもかかわらず、私はなぜかその企画が好きだった。当時、いじめられっ子だったOさんが、帰り道にいじめられながらも、帰宅すると笑顔を見せて、親に心配をかけないようにしていた、といったエピソードには、涙が出た。通学路から学校までの道のりは、同じ学校に通っていたみんなが、ほとんど同じ道を歩いたけれど、思い出は、それぞれに違う。 通学路と言えば、私には、悲しいことに母校が一つも存在しない。いや、厳密に言えば、実際に通った母校が物理的に存在しない、ということである。小学校は、卒業してまもなくして、福祉施設になってしまった。その後、通った中・高一貫校は、卒業後、改築されたのだが、部分的な改築などではなく、正門から中庭まで跡形もなく変えられてしまい、もはや全く別の学

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  • 否定を信条のコアとすることの問題点 - 忘れん坊の外部記憶域

    私たちが暮らす民主主義の国では精神の自由が保障されており、他者の権利を侵害しない範囲において自由な内心を持つことができます。よって個々人がどのような信条・理念・思想を持っていようとそれは個人の自由です。 ただ、個人的には否定を信条のコアに据え置くことをあまり推奨しません。それはあまり健全な方向へは向かないのではないかと考えています。 反〇〇の弊害 何かに反対することを否定したいわけではありません。社会情勢や倫理観に基づいて否定されるべき物事は無数に存在していますので、対抗勢力としてのアンチパターンは世の中に不可欠です。 ただ、『反〇〇』のような形の否定を手段ではなく信条の核となる目的に据えた場合、それはあまり望ましい結果を招かないと考えています。 まず第一に、否定は易きに流れるものです。 率直な話、反対することはとても容易です。なにせゼロからの理論構築が不要であり、他者が構築した土台に立脚

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  • 議論を整理するTips - Konifar's ZATSU

    議論がとっ散らかって、何の話をすべきなのか何を話せば前に進むのかわからなくなることあるよね。そういう時にうまーーーく整理してくれる人が近くにいていつもすごいなと思っている。自分から見たTipsとして雑にまとめておきたい。 枕詞をつけて切り出す 「自分もまだ整理できていない中で確認なんですけど」「間違っていたり齟齬があったら指摘してほしいんですが」のように切り出すことが多い 停滞している時に前に勧めていくのは難しいが、枕詞をつけてうまく論点の整理などに持っていっている 純粋な疑問を聞いて深ぼる 「ちょっとわからなかったので質問していいですか」のように、わからないことをそのまま聞いて深堀りする 深ぼっていく中で、論点が整理されていくのは別の技術なのだが、とっかかりとしては有効 どこまで揃っているか確認する 「自分の理解も兼ねて確認なんですが、これまでの話でおそらくこの部分については皆さん異論な

    議論を整理するTips - Konifar's ZATSU
  • 意思決定と責任を分離してはならない - 忘れん坊の外部記憶域

    今回は愚痴っぽい内容なので、いっそのことぶっきらぼうな文体を目指してみます。 意思決定と責任の連動 仕事には分掌がある。丁寧に言えば職務分掌やらそんな感じの、各人の役割と権限を明確にした仕組みを意味する言葉だ。 難しそうな言葉に聞こえるかもしれないが、つまりは役割分担の気取った言い回しだと思ってもらえればいい。 組織の運営者は誰が何をやってどこに責任があるかの役割分担をはっきりしておかなきゃならない。それが不明瞭な組織はどいつもこいつも責任回避や責任の押し付け合いに終始して保身に走ることが行動の基原則になっちまう。 そりゃあ大抵の奴は責任を負わずに旨い汁を吸いたいと思うもんだが、それじゃあ組織はまともに動かねえ。事前にカッチリキッチリ誰が何の責任を負うか決めておく必要がある。 ところが、分掌が明確だというのに何故か他人に意思決定を任せようとする奴が世の中にはいる。自分の職務権限の範囲にお

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  • 人を動かす梃子への理解と忌避感 - 忘れん坊の外部記憶域

    今年度から仕事の回し方が大きく変わったのでそれについて思うところを記録してみます。 仕事への向き合い方や考え方は年齢や立場によって大きく変わるものですので、今回の記事も未来の私や別の立場の人からすればまた異論があるはずです。それでもあえて今思っていることをまとめることには意味があると考えます。 仕事のやり方の変化 事業所で設計屋をやっていた頃は、基的に仕事は頼まれる側でした。 もちろん他所へ仕事を頼む機会はたくさんありましたが、どちらかと言えば頼まれることが多くなります。市場にマッチした新しい製品の設計なり、製造上のトラブルに対する対処なり、市場トラブルの分析なり、生じた事態や要求への対処が主な仕事であり、案件の流れ着く先、プロセス中の停留所として設計屋は存在しています。 頼まれる側からすれば仕事は受動かつ主体です。仕事自体は他所から投げられるため受動的で、しかしどう受け取るか、どう動く

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  • ホットな時事問題を扱わない理由に関する言及 - 忘れん坊の外部記憶域

    あまりリアルタイムの時事ネタを扱わないことに対する個人的な見解。 方針的な何か 当ブログは真に雑記的なブログでございまして、それは別に意図して狙っているわけではなくただただ徒然なるままに思い付いたことをのべつ幕無し語り続けている影響でごちゃごちゃしているだけではございますが、そもそも文体すら自由気ままに安定させていない当ブログにおいて一貫性なんてなんのその、時には特許明細書のように延々と文章を繋げて句点を用いないこのような読み難い文章を書くことも厭わないのが私です。 読みにくいし書きにくいから止めましょう。 そんなわけで、社会派を気取るつもりは一ミリもない割に社会問題を取り扱うこともある私ですが、それでもホットな時事問題は意識的に避けていたりします。 ホットでなければ時事問題ではないのではないか?と思われるかもしれません。 しかし時事とは「近年起きた事象」に関してであり、近年とは「ここ数年

    ホットな時事問題を扱わない理由に関する言及 - 忘れん坊の外部記憶域
  • 失敗を批難する人は、ただ足を引っ張っているだけ - 忘れん坊の外部記憶域

    たまには珍しく、少し直接的な苦言を。 失敗は必ず生じる上、目にもつきやすい 新しいモノやコトにトラブルは付きものです。特に複雑系の大きなシステムを変える時には失敗せずに順調に置き換わることのほうがレアケースだと言えます。 なぜならば私たちは預言者でも予知能力者でもない以上、ありとあらゆる外乱を予測し切ることはできませんし全てのリソースを最適に活用し切ることも不可能なためです。想定外のトラブルはどこからしらで必ず起こり、意図せぬ何かしらでリソースの不足や過剰が絶対に生じます。 上手くいったプロジェクトとは失敗やトラブルが生じなかったのではなく、失敗やトラブルに対処するだけのリソースがあったために上手くいきます。 また、人々の認知の問題として『現状の事柄』よりも『新しい事柄』のほうが失敗の印象が強くなります。 なにせ現状の事柄とはたとえ不合理で不平等で不自由で導入時に失敗があったとしても「今は

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  • 無知への謙虚さ - 忘れん坊の外部記憶域

    私たちは日々様々な情報に触れています。 しかしそれらは世界に存在している情報量からすれば極めて僅少なものに過ぎません。 よって私たちは知っている情報を基に物事を判断することよりも知らない情報があることを前提として思考をしたほうが適切な場合が多々あります。 私たちはどれだけ知っている? 一例として警察の話をしましょう。 全国ニュースで警察の不祥事が時々報道される度、まるで日の警察はダメな存在だとする言説をよく見かけることになります。 これは典型的な誤認です。 私たちはその不祥事に関係した警察官の情報をニュースによって入手しますが、約30万人が所属する巨大組織である警察の全貌、そして警察職員の全員を知っているわけではありません。 つまり入手した情報よりも入手していない情報のほうが遥かに膨大であり、膨大な無知領域を無視して組織全体の是非を判定することは論理的に不正確な判断だと言えます。 そもそ

    無知への謙虚さ - 忘れん坊の外部記憶域
    katari_mata_katari
    katari_mata_katari 2024/06/11
    “入手した情報だけで物事を考えるのではなくそれ以外の広大な無知領域が存在することを認識する“
  • 昔の自分に戻れない - 『半分死んでいる』

    は治ることはないんだ。ずっと付き合って生きていくしかない」…当である。は完治しない。寛解があるだけで、自分でコントロールして抑えたつもりになっても、ある時ふっと、死の匂いがする。前触れはない。脳の回路がシャットダウンされて、暗転…。パソコンで立ち上げたアプリケーションが急に「落ちる」ときに似ている。 これではいけないと思い、心療内科に行っている。僕は投薬はされていない。知り合いの話を聞いたりして、原因になるものをはっきりさせないことには、薬の量の増減になるだけで、物事の根の解決はできないと思ったからである。その代わり月に何回か、心理士のもとへカウンセリングに行き、自分の頭の中を整理する時間を作っている。 ちなみに、全く筋と関係ない話ではあるが、「」という症状は来中年の、特に男性に現れやすい脳のホルモン異常のことで、活発に仕事をしていて趣味もあり、充実した生活を送っているよう

    昔の自分に戻れない - 『半分死んでいる』