大和朝廷が陸奥国の拠点として造営した宮城県栗原市築館の国史跡、伊治城の政庁南門が780年の「伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)の乱」による火事で焼失した後に再建されたことが分かった。発掘調査している栗原市教委が26日、現地説明会で発表した。 市教委によると、南門は政庁の表玄関で、門跡の柱の穴3カ所から火災で焼けたとみられる土の粒子が見つかり、乱で焼失した後に再建されたことが判明した。 乱の前の時代に1回建て替えられたことは既に明らかになっており、乱を挟んで計2回再建されたことが確認された。 南門は約3メートルの間隔で並ぶ4本の柱のほか、扉用の柱2本で構成されている。 南門跡から南南東に幅約3メートルの2本の溝跡が14メートル間隔で走っていることも判明した。溝は道路の両端とみられ、溝の外側には高さ約2メートルの築土があったという。政庁の南側には築土で区画されたエリアが存在する可能