■「医学の先進性感じて」 日本最初の西洋解剖書の翻訳本とされる「解体新書」(1774年刊)の87年前に当時の福岡藩の藩医が訳した解剖図の複製品が、福岡市の博物館の企画展で公開されている。西洋文化への警戒が強かった江戸時代から「門外不出」の資料として医師一族にひそかに受け継がれていた。関係者は「あまり広く知られていない福岡の医学の先進性を多くの人に感じてほしい」と期待している。 解剖図を訳したのは、初代藩主・黒田長政の時代から代々藩医を務めた原家の6代目三信(さんしん)(生年不詳、1711年没)。 原家に伝わる記録などによると、6代目三信は17世紀末、藩主の指示で長崎・出島へ赴き、オランダ商館の医師から外科術を学んだ。1685年に外科医の免状を受け、87年にはドイツ人医師・レメリンの解剖書を筆写し、日本語訳を付けた人体解剖図を完成させた。 当時は、西洋書籍の写本を持つだけでキリスト教信者と疑