銅鐸、銅矛が発見されてから25周年を迎え、記念イベントに集まった「ゆるキャラ」と写真撮影する親子連れ=島根県斐川町神庭 島根県斐川町神庭の荒神谷遺跡で国宝の銅鐸(どうたく)、銅矛が発見されてから25周年を迎え、遺跡近くの荒神谷博物館で19日、記念イベントがあった。発掘当時の関係者による鼎談(ていだん)のほか、県内各地の「ゆるキャラ」がお祝いに駆け付け、祝賀ムードを盛り上げた。 荒神谷遺跡では1985年7月から8月にかけ、前年の銅剣358本に続き、同じ山の斜面から銅鐸6個と銅矛16本を発掘。同一遺跡での出土は前例がなく、従来の弥生時代・青銅器研究の定説を覆すなど全国に衝撃を与えた。 イベントは、発見から四半世紀を迎え、再び多くの人に関心を持ってもらおうと同館が企画。当時の発掘担当者だった宮沢明久、宍道年弘両氏や、取材にあたった山陰中央新報社の引野道生論説委員が発見時の様子を語り合い、今も
開館から3年目を迎えた島根県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町)の入館者数が、大きく落ち込んでいる。本年度は6月末現在で前年同期比35・5%減の5万340人にとどまり、年間25万人の目標達成が難しい情勢。不況の影響などで観光客の入館が減ったとみられ、同館は小中学生らの歴史学習利用を含め、来館促進策のてこ入れに乗り出す。 古代出雲歴博は、荒神谷、加茂岩倉両遺跡の青銅器などを目玉にした「島根の歴史と文化の殿堂」として2007年3月、出雲大社の隣接地に開館。総事業費120億円は、財政難の県による巨額投資が論議を呼んだ。 入館者数は、初年度が40万8364人と目標の30万人を大きくクリア。出雲大社本殿の「平成の大遷宮」に伴う特別拝観などを追い風に観光利用が伸びた二年目の08年度も、31万175人と30万人を突破した。 しかし、特別拝観が終わり、不況が深刻化した08年9月以降は失速。右肩下がり
古代出雲国の役所があった松江市大草町の出雲国府跡で、国司の住居跡「国司の館(たち)」の東側に溝が見つかり、館の敷地が東西八十メートル、南北七十メートルに及ぶことが分かったと、島根県埋蔵文化財調査センターが三日、発表した。また、溝付近の土から、役人がベルトに付ける装飾品「石製巡方(じゅんぽう)」一点も出土した。 発見された溝は南北に走り、長さ十三メートル、幅二・二―三メートルで、深さ三十五―四十五センチ。溝の北側に延びる四号溝とつながっていると考えられ、これにより館の東側の区画が確定し、館の敷地の大きさが分かった。他地域で見つかった館とほぼ同規模という。 館は、国司のうち二番目に位の高い「介(すけ)」が住んだとされ、同センターの神柱靖彦文化財保護主任は「当時の国司の力を示す大きさ」と述べた。 一方、巡方は奈良時代始めから平安時代の始めのものとみられ、長さ三・五センチ、幅三・七センチ、厚
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く