鳥取砂丘人骨ミステリー 明治に流行したコレラか 2011年07月09日 先月30日、鳥取市の鳥取砂丘で砂の中から風化の進んだ4体分とみられる人骨が発見された。「なぜ」「いつ」―。”砂丘ミステリー”にさまざまな臆測が広がり、人骨の年代など詳細な鑑定が待たれる。同市国府町糸谷の森医院の森納理事長(82)は、自らが編さんした書籍を手に「人骨は、明治時代のコレラ患者が埋葬されたものでは」と独自に推測している。 膨大な資料に囲まれた中で推測を語る森理事長=鳥取市国府町 森理事長は大正以前の疾病に関する統計記録がないことから、当時の新聞やさまざまな書籍をひもとき、『鳥取県の疾病史覚書―明治・大正時代―』を編さんし、2000年10月に発行している。 日本にコレラが初めて発生したのは江戸時代末期。明治時代に流行は激烈を極め、特に1879(明治12)年と86(同19)年には、全国で死者が10万人以上にも達