ブックマーク / www.kikikikikinta3.com (480)

  • 能登地震について

    いや、東日の時にはまとめておくなんて頭がなかったものだからただただニュースを見ては一喜一憂し、あるいは自分が自衛隊だったものだから最前線にオレを送れとうずうずしているうちに終わっていき、そしてとうとう行くこともなく沈静化してしまった。ただ、幸か不幸か現地に行けた人もいて、そういう人はオレ絶対被曝してるんすよねという不安に常に苛まれていた(さいなまれて)ようだったから、オレの場合は死んでも被曝しても最前線に行ければとりあえず悔いなし!という方針だったので羨ましいなあ、いいなあとしか思わなかったのだが。

    能登地震について
  • 地学4、高台と地下水と植樹の関係について

    これによって木が地下水を組み上げて大気中に蒸散させることによって地下水量の安定化を望むことができると。またこれによって木が根を地下で張り巡らせることによる土地の安定化も望むことができるだろうし、最強とは言い難いかもしれないが環境の安定化を求めることはできるかもしれない。ただ、災害には強いのだろうがあまりに勢いが良すぎてかえって地面を持ち上げたりすることもあるかもしれないのだが。 ただ残念なのは蒸散量がどのくらいになるとか、あるいはランキング形式でどういった木がそれに最適だと考えられるのかといったことは残念ながら載ってないし、地下の状態の安定化に適しているのかといったことは調べても出てこない。こういったことというのは、この現代という時代の科学水準では測ることができていないのが現状ではあるのだろう。 まあしかし経験的・歴史的にはそういった方向性はあったようではある。例えば、私の曽祖父あるいはさ

    地学4、高台と地下水と植樹の関係について
  • 地学3、液状化を踏まえて理想的な立地とは?

    戦国策途中ですが、仏語、中国語講座近日中やろうと思ってます。その後はどうしようか。ドイツスペイン、イタリア、ポルトガル……テキトーに気が向いたところをやろうと思ってます。 目指せ10か国語、ですね笑

    地学3、液状化を踏まえて理想的な立地とは?
  • 賢さゆえの愚かさと、愚かゆえの賢さ

    ふとそんなことを思いついた。 まず前提として賢いのはそりゃいいに決まっているし、愚かなんて誰だっていやに決まっている。 その次の段階としての話になる。 ・賢く目端が効いて、ここでこうすれば得だなという手を打つ。それも行き過ぎると他人を犠牲にし自らだけが得をするような手を打つ。自らの利益を最大化し、他人の利益など一切顧みない。 それというのは非常に賢いんだけど、それも行き過ぎると反感を買う。頭が良く、事態をよくわかることが利己的な態度と重なって反感を買う、そういう時に人はどういう評価をするかって「狡猾である」と評価をする。頭がいいという戦術眼であり、局地での勝利が最終的に理想的な結果に結びつかない場合だと言える。こうして評判を下げ、信用を損ない、その結果として皮肉にも損を背負いこむことになる。確かに頭はいいのだ、悪くはないのだ。 しかし結果から見れば最も愚かな結果を招いたに等しい。賢いといっ

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  • 地学1、長周期地震動

    戦国策途中ですが、仏語、中国語講座近日中やろうと思ってます。その後はどうしようか。ドイツスペイン、イタリア、ポルトガル……テキトーに気が向いたところをやろうと思ってます。 目指せ10か国語、ですね笑

    地学1、長周期地震動
  • 地学

    昨日しこたま飲んだ。というか話に夢中になってて気づかなかったけど朝になってみると日酒に焼酎、ワイン二空瓶になってて単純に2で割っても1.5l前後は飲んでたんじゃなかろうか。年とると酒に弱くなるからねえとか思ってたが意外と全然そんなことはないのかもなどと。もう一生酒のまねえなどと思うのは酒飲みの常。

    地学
  • 戦国策途中ですが、仏語、中国語講座近日中やろうと思ってます。その後はどうしようか。ドイツスペイン、イタリア、ポルトガル……テキトーに気が向いたところをやろうと思ってます。 目指せ10か国語、ですね笑

    運
  • 袁紹と松風焼

    というのは、袁紹って光武帝っぽさを鼻にかけるようなところきっとあったに違いないというもので、それを聞いて確かに!!と合点がいくところがあったのだ。 そういうモデルを示されるとよりそれに近づきたいと思う、その正解に近づきたいと願うのは果たしてどこまで現代人と古代人とで一致するものかはわからないけども、そういう正解であり理想であり好ましいモデルを示されると近づきたいと思うのは古今東西を問わずけっこう一致するものなのかもしれない。そして、だからこそ問題がより厄介な方向性へと深まるというのはあるのかもしれない。成長ということがこれを通すことで、正解というものの形が変わってしまうということは薄々意識していたけれども、それを果たしてなんと名付ければいいのかはわからない、しかし確かにそういうことはあるのだと思う、そうした何かを一体何と命名すればいいのかはわからないのだがそうしたもやもやみたいなものは常に

    袁紹と松風焼
  • ジェットウォッシャーとワザの話

    最近また虫歯ができてしまった。とはいえ、めちゃめちゃ念入りに歯磨きをしているので今回はもはや言い訳の仕様がなかったのだけど、歯磨きもジェットウォッシャーの導入後と導入前とでは全然違うはず。なのに虫歯になるってのはどういうことだ?というかそもそもジェットウォッシャーに意味はあるのか??

    ジェットウォッシャーとワザの話
  • 鉄のフライパン

    戦国策途中ですが、仏語、中国語講座近日中やろうと思ってます。その後はどうしようか。ドイツスペイン、イタリア、ポルトガル……テキトーに気が向いたところをやろうと思ってます。 目指せ10か国語、ですね笑 最近フライパンが傷んで使いにくくなった。真ん中が盛り上がってきてそこだけ必ず焦げ付くようになった。使い始めて2年半くらい、だからざっと900日くらい。毎日使うなんてことはないが、まあ仮に使ったとして一日に最大二回としても1800回程度。そのフライパンの売り文句が「100万回使える耐久性」だったことを思えば(使用率はなんと0.0018%程度ほどでしかないという)、まあ確かに実際使えないことはないかもしれないが毎回焦げ付いてイライラするよりは買い換えた方がいいなと考えた。 そこで調べているうちに気づいたのが、フライパンといえばテフロン加工だと思い込んでいたが、どうして鉄のフライパンを選択肢として

    鉄のフライパン
  • スポーツと歯

    歯ってのは骨である。で、骨ってのは歩いたり走ったりして鍛えられる。つまり破壊され再生することによって前よりも強くなることができる。となると歯も同様と考えられ、スポーツ選手は立てば重量挙げなんかは重いものを持ち上げる時に歯に負担がかかる。この圧力によってより固められ、破壊と再生を繰り返してより鍛えられるとすれば、重量挙げ選手には虫歯が少ない。歯の周りも健康的であるはずだ、と。 ということで早速調べてみたが、全くそんな記事はなかった。それどころかスポーツ選手と歯のトラブルがいかに深刻かという記事がうじゃうじゃ出てきて意外だった。自信満々で100点を狙って0点を叩き出したくらいの話だが(笑)、まあせっかくなんでそのままいろいろ調べてみると大体こういう感じだった。

    スポーツと歯
  • 幸せな戦い

    人生日々戦いだと思っているわけだけど、他人とは何かと思った際に、もし失敗して悪いことが起きた時に「あいつが悪い」と言える戦いっていうのは幸せな戦いなんだなとふと思った。 オレは悪くない、あいつが悪いとはっきり言えるということ。結局社会にいれば10年20年と経過すればいやでも成長するわけなんだけど、まあ人はそうして成長するわけだし、成長してしっかりするからあいつが悪いと言えるような戦い方をするし自然と生み出すし編み出す。非の打ち所がない戦い方法を見出す。悪かったのはオレじゃない、あいつが悪い、あいつのせいだとどこかで言えるような戦いをする、それができるってのは幸せなことではあるんだけど、でもそれって自分の成長に結びつくか?と思う。非の打ち所なく自分が100%悪い、いわゆるぐうの音も出ないというようなやられ方っていうのは非常に不快であいつのせいだとどっかで言いたいんだけど当に頭痛もするほどな

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  • 雑巾がけ

    戦国策途中ですが、仏語、中国語講座近日中やろうと思ってます。その後はどうしようか。ドイツスペイン、イタリア、ポルトガル……テキトーに気が向いたところをやろうと思ってます。 目指せ10か国語、ですね笑

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  • クラナド

    クラナドっていう作品は火というものとの関係性が非常に深いのが特徴の一つではないかということをふと思った。主人公の岡崎朋也はある時まで順風満帆な人生を送っているが、肩が上がらなくなり不遇な人生を送る。その後も仕事でうまくいったかと思えば父親が逮捕されてすべてが台無しになる。父がクズ人間であること、事あるごとに足を引っ張ってくること、そのことを別に反省しているでも何を考えているでもなさそうな態度、そういうことが癪に触る。 そこで朋也は癇癪を起す。壁を殴りつけている時の智也というのは自分の人生を歩み大切にしている智也とは別である。そういうことはもうどうでもいい、あの父親と関係性をもっているだけでこうして足をいちいち引っ張られるということよりも、そういうことで干渉され崩される脆い自分の人生を嘆いている。そういうものを含めてすべてを、特に自分の人生を破壊したいと思っている。そういう場面で智也は渚に「

    クラナド
  • うさぎとかめ

    某所に典型的な天才と秀才がいるのだが、その二人を定点観察していって2~3年が過ぎたか。現状圧倒的に秀才の方が抜きんでていて非常に興味深い結果が出ている。個人的にその天才の際立ちっぷりがあまりにすごかったのを痛感していたので、現状すっかり逆転しているってのがおもしろいところでもあり、興味深い点でもある。 ・大学の頃民俗学にハマっていた時があったのだが、柳田國男(邦夫ではない)という民俗学の大家が言った言葉が印象に残っている。 いわく、戦後の日人の味付けは大きく変化したのだが、特に顕著なのが「甘い、柔らかい、(味付けが)濃い」これを聞いてなんと簡潔明瞭でわかりやすいことかと思ったことを覚えている。多分大学2年くらいの時の話。 大学はすごいと言いたかったけど、やれ代返だのバイトが忙しいだの授業は睡眠時間だのがやたら多かったのでそう手放しに大学を褒めることはできないのだが、とりあえず大学で学ぶこ

    うさぎとかめ
  • 我々は結果を重要視するから過程というものをほぼ見ないんだけど、結果を見るとか結果が大切なんてのは当たり前の話であって、じゃあどこに個性が出るかと言えば過程に出る。過去どんな手を打ったか、そして今どうなのか、そして未来は。この3点が分かればその次も見える。つまり次の次まで見通せる、そういう意味では結局過去ー今ー未来、それがどうなっているのか。それがどのようになっており、どのような思想や考えをそこに挟むのか。そしてその結果は、その反省は。その結果何を得たのか。それらをざっと見通せば人というものはざっと見通せる。口走った思想、いかに反省がないか、いかに同じことを繰り返しているのか。どこまで進歩があるのか。 これらが意味するものは何かって、これらをざっと見渡せば大まかな部分は大体わかってしまう。ざっと80%程度はわかるのではないだろうか。そしてそれでもわからない20%以下程度の不確定要素があり、つ

    手
  • 流転

    ・劉備が中国をあっちへこっちへと移動していたのは、どこか重耳という人を、どこか重耳という人の人生を念頭に置いていた節があったのではないだろうか。いや、もちろんそれは単なる一身上の不遇に次ぐ不遇でしかなく、身の置き方に常に困っていたのが実情ではあろうが、今度は徐州、今度は荊州と流浪の旅を続けていたその心中には重耳を思えというものがもしかしたらなかったろうか。 重耳を思えと。長い間の流転を繰り返し、晩年にはとうとう中華の覇者となった。せっかく手に入れた土地を呂布に奪われ、曹操に奪われ、ようやく小城が手に入ってもそこから出なければならなくなる。北には袁紹、中原は曹操、南には孫策。こんなことで一体どうなるものかとため息の一つでも出てくるような心情だっただろうが、そういう時だからこそ心のよりどころを必要とした。そういう時にあったのが恐らくは重耳の逸話であり。 流転を繰り返すのは吉兆ですと。苦難にめげ

    流転
  • 続・コーラは歯を溶かすという言説

    戦国策途中ですが、仏語、中国語講座近日中やろうと思ってます。その後はどうしようか。ドイツスペイン、イタリア、ポルトガル……テキトーに気が向いたところをやろうと思ってます。 目指せ10か国語、ですね笑 ところで前回コーラは歯を溶かすについて考えていた時に薄々感じていた違和感があったのだが、そもそも甘いものっていうのは当に虫歯の原因なんだろうか。いやいや何言ってんだと。甘いものが歯に悪いなんて今や常識だし甘いものが歯に悪くないとかむしろ歯にいいなんて言ったら笑われますよと言われそうである。それに何より甘いものをべてしばらく経つと歯の表面がなんだかドロッとしてきて気持ちが悪い。つまり、一般的な通念からいっても個人的な経験から言っても、甘いものはどうも歯に悪いらしい、ということになる。まあまして甘いものが歯にいいなどとはとても言えないわけで。 しかし個人的に思うのは、確かに甘いものが虫歯に繋

    続・コーラは歯を溶かすという言説
  • 合わせること

    最近蒼天航路というマンガをちょっと読んだ。三国志のマンガなんだが、これ20年くらい前に勧められていたのをふと思い出したという。大学の頃はそういう余裕は全くなかったんだが最近はスマホで隙間時間に手軽に読める時代になったから、こういうところに時代の進化を感じる。 内容は仮想の三国志というイメージだが、しかし果たしてこれは仮想と言い切れるものなんだろうかと思った。AだからB、BだからCなんて我々は理屈で考えられるわけだが、その当時どこまで理屈らしい理屈があったかはかなり疑問だ。そういう意味では幻術だとか天だとか、あるいはそういう根拠ではなくただ自分がそう思うからという根拠のない自信で突き進む時代があったとしても不思議ではない。そういう意味ではいわゆる三国志三国志したものの方が余程仮想的というか、現実に基づかない可能性はあるのかもなあ、という意味では史実らしさの方がよほど史実らしくないのかもしれん

    合わせること
  • 向き合うこと

    ふと思ったのは、人生を形作るものの中で一体何が重要かって、好きなものや得意なものをとことん突き詰める能力が大切なんていったらそりゃいかにも、というか当り前だろうというような話なんだが、それというのは氷山の一角にすぎず、実際に形作っているものの大半というのは苦手なものの方なんじゃないかと。苦手なもの、嫌いなものにどのように向き合っていき、どのように付き合ってきたかが人生を決める。というよりまさに人生というのはそういう形をしているということを思った。これというのは光と影のようなもので、好きなこと得意なことを突き詰めている最中であっても付き纏っている影のようなもので、その宿命からは逃れることができない。そういう意味で我々は自由に好き勝手に生きられているように見えるのだが、実際にはそういうもの、つまり苦手なものであり嫌いなものにどのように立ち向かうかが人生を大枠で決めている。そこから逃れることはそ

    向き合うこと