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人生と読み物に関するkawaiponのブックマーク (6)

  • 父来たる2009 - 日々是魚を蹴る

    父が仕事で東京に出てきたので呑みに行った。父は教育畑の人で、あと1年少しで定年を迎える。ここ何年か県の教育庁で仕事をしていたが、今年度からはまた学校に転属になった。 その席で聞かせてくれた話がいろいろ面白かったので忘れないうちに書いておこうと思う。 父曰く…… 行政の仕事について 行政の仕事を経験してよかったのは、考え方が非常に柔軟になったことだ。 当の役所の人間も含めて、多くの人が勘違いしていることだが、役所で仕事をするというのは、ただ規則に従うことではない。 役所の仕事はとても多い。誰かのためになんとかしなければならないが、今まで誰もやっていないようなこともたくさんある。そのためにクリアしなければいけない手続きもまた多い。 しかし、その煩雑な手続きがあるから何もできないということはない。 たくさんの手続きの中で仕事を進めるには、柔軟な思考と想像力が必要になる。要はつじつまを合わせればい

    父来たる2009 - 日々是魚を蹴る
  • 50年生きてみると - finalventの日記

    生きているもんだという驚愕感がある。 私は20歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージで自殺してもなんら不思議でもなかった。ただ、50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが自分を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。 邱永漢も言っていたが、青春で無謀な人生を選んでも、身体は50歳までは生きられるがそのあたりで死ぬ。むちゃくちゃやっても50歳まで生きられるという人生もあるのだろう。下天とはそういうものなのでしょうね。信長も謙信も50歳で終わりと思って生きていたいようだし。 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・打つ・買う、つまり酒、賭け事、女。それと加えるなら自意識過剰。 自意識過大というか自分の才能に

    50年生きてみると - finalventの日記
  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 『ブラスト公論―誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない』 - Mellow My Mind

    他人との距離感がおかしい人ってなんなんだろーなーということをぼんやりと考えていたときに、ふと思い立って読み返し。やっぱし面白れー。とくにこの回は秀逸ですよマジで。http://kouron.blog48.fc2.com/blog-entry-31.html(リンク先に一部抜粋あり)立ち読み版なのでいいところで切れてますが、ここで語られている巨匠イズム、つまり自分の映画に他人を出演させる的感覚は、対人の距離感を表すメタファーとしてお見事だと思います。でもって、これって、可愛い女の子に限った話じゃないんですよね。わたしが思うに、オタクの人のおかしい対人距離感についてもこれで説明できるぞ、と。そういう人たちはたいがい、脚:俺、主演:俺、監督:俺、の世界を勝手に脳内に描いて、思い通りの役を演じたがってるんだなー(そして失敗してるんだなー)、という目でみると、異常に腑に落ちる。*1結局、現実を見な

    kawaipon
    kawaipon 2008/02/23
    「自分にとって深刻な問題っていうのは、たいていのことは、誰かが先に一生懸命考えてるものなんですよねえ。そこにアクセスできるかできないか、それだけで人生って変わる可能性がある。」
  • ある個人史の終焉 -after game over

    賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…

    ある個人史の終焉 -after game over
  • さばくをこえて - Mellow My Mind

    何か気に入らないことをする他人を見かけたときに、そこですぐに「○○は××だから〜〜するべき」みたいな"べき論"を生成したがるのは、実はあんまり幸福なことではないような気がしてならないのであった。単に自分が直接「それは気に入らないからやめてくれ」いえばいいところを、他者と向き合うのを避けるために理論武装してるだけなんじゃないの、という。それで事態が改善するならよいのですが。直接当事者として対話をすればすむところを、当の人を置き去りにして、周りでああだこうだいうのって、自分を安心させるため以外の効能が何かあるんじゃろか。自分の感情を正当化するためにそんな大掛かりなことせんでも、と思う。わたしは"べき論"生成後の弊害の方が大きいなーと実感することが多いです。"〜するべき"という基準ができてしまうと、他人を裁く視線ができてしまうよね。"〜してない人"を見るといちいちストレスが発生する。そして、"

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